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1日8時間労働というルールはいつ生まれたのか?

本日もお疲れ様です。週休四日研究会です。

前回の記事では、今の日本における労働時間のあり方について制度面から考えてみました。
日本では労働基準法によって、1日8時間以内・週40時間以内という上限が定められています。
この8時間労働というルールは、いつ頃生まれたのでしょうか。

8時間労働が世界的なルールとなるきっかけを作ったのは、国際労働機関 (ILO) だったようです。
ILO は第一次世界大戦後の1919年に設立され、国際的なレベルで労働条件を改善する役割を持っています。
設立後、最初の ILO 総会で採択されたのが、「1日8時間」という労働時間の条約でした。

100年前の1919年11月28日にワシントンで開かれた第1回ILO総会で各6本の条約と勧告が採択されました。真っ先に採択されたのは労働時間に関する条約でした。
 どこでどんな仕事をしようとも労働時間の問題は付きものです。しかし、労働時間に上限を設定することのルーツが最初のILO条約である「1919年の労働時間(工業)条約(第1号)」にあることに気づいていらっしゃる方は少ないかもしれません。

労働者の権利の道しるべ:第1号条約 | International Labour Organization

この条約は、批准していない国や、批准していても法律化していない国があるものの、実質的にはそれらの国に対しても影響を及ぼしていると言えそうです。
日本もこの ILO 第1号条約に批准していない国の一つですが、1日8時間という労働時間の上限は、戦後に労働基準法で採用されました。

この第1号条約で「1日8時間」が上限とされているのは、国際労働組合運動が要求した内容を踏まえたからだそうです。
1886年にシカゴなどで労働組合が1日8時間労働を求めるストライキを立ち上げ、この日が5月1日であったことから、その日をメーデーとして世界各地での労働組合運動に広がりました。

この労働組合運動から100年以上が経った現代においては、当時と比較して産業構造、労働環境、生産性など多くのことが変化しています。週休四日研究会では、現代の社会に見合った労働時間の上限について考えていきたいと考えています。

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