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昼食を食べたあと、母が好きなパンと明日自分で食べるパンを買ったら母も同じ組み合わせでパンを買っていました。

食パンはすぐ冷凍しちゃうのでロスはない

このやり取りが嬉しくてとりあえず日記の気持ちで報告するか!くらいの気持ちだったのに、ついでに母のことを書くかと思ったら重たいエピソードしかなくてびっくりした。
あんまりいい気分にならない人もいると思うので注意してください。



母は優しい人だと思う。
でも、カウンセラーにどこが優しいと思う?と聞かれると次の言葉は出なかった。

母が苦労していると、しんどそうにしていると自分のせいだと感じる。
大学寮の狭い部屋で授業料を毎日ドブに捨てていたから。

僕が捨ててきたお金の額とそれのためにどれだけのエネルギーを母が費やしたかを考えると今でも気が狂いそうになる。

たぶん中学くらいから家にあまりお金がないんだなと肌で感じていて、無意識のうちに自分にかけるお金が少なくあればいいなと自分に刷り込ませていた。
だから、月10000円もあれば住める大学寮を出る相談が出来なかった。

お金がないことはわかっていたのに、体は動かなくて、自分を責めて、心の中で母に謝り続けて、僕の華の20歳は終わってしまった。

そんな日々があったから、今でも母に後ろめたい気持ちがあることを否定できない。
もし、自分が親になったとしたら子どもに絶対そんな感情を抱いてほしくないし、そう思うことで前を向いていた時期もある。
姉も兄も結婚したから、僕がさいごまで面倒見ることになるのかなと考えてしまう上に、僕が一番苦労をかけてしまったのだからそれが自然なのかななどと考えてしまう。

今はまともに働けることを証明して親孝行をしたいと思っているし、暮らしに悲壮感などない。
家に共同で住んでいる一員として互いに支えあえていると思う。
家に少しお金をいれて晩御飯を多少作る程度で支えているなんて言ったらどっかから刺されそうではあるけど…


きっと、あの頃の自分の感情を封印している箱を開けて、許して、受け入れる日が来るのはまだまだ遠いと思うけど、母が元気であるうちになんとかなってればいいと思う。
イマジナリーツイッタラーがいつまでも親が健康だと思うなよって攻撃してくるけど、焦っても仕方ないよねって言い聞かせてる。

あまりにnoteに書くことが思いつかなくて、七夕に願うことすら思いつかね~って感じだったけど今年は『家族の健康』でお願いします。



こんな記事を読んでくれてありがとう。
また明日も何か書きます。

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