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ママがオカンになる瞬間

息子たちに"ママ"と呼ばれるのは私のキャラには合わず、どうもくすぐったいので私は息子たちにはずっと名前に"さん"付けで呼んでもらっている。変声期を迎えた長男もすっかり低くなった声で相変わらず私の名前を呼んでくれる。

それぐらい自分は"ママ"ではない!と思いながら子育てをしてきた私だが、昔は少しながらもキレイでいたいという願望があったように思う。自分が"ママ"であることを認めるのは癪に障るが、そんな風に思っていた頃の私はきっと"ママ"だったのだろう。

あれは長男の卒園式を迎える頃だったと思う。6歳、4歳、2歳と、半年そこそこの4人の息子たちの世話に追われ、なかなか美容院にも行けなかった私は"このタイミングを逃すといつ行けるかわからない!"という危機感のようなものも感じながら実家近くの美容院に予約を入れた。

当日は四男にしこたま乳を飲ませ、私は4人を両親に預けて美容院に向かった。
制限時間は3時間ほどか。多くの人が美容院に求める「気分転換に」や「キレイになるために」という目的もないことはないのだが、制限時間付きで、なおかつ「泣きわめいていたらどうしよう」と気もそぞろな状態で自分のためだけの時間を過ごすことはできず、どちらかというと「用事を済ませる」という思いの方が強かったかもしれない。

卒園式まであと2週間ほど。そしてその2週間ほど後には小学校の入学式も控えている。
「今日はどうされます?」とケープをかけてくれる美容師さんに、少しでも早く用事を済ませたかった私は
「パーマとカットをお願いします。ちょっとキツイ目に巻いといてください」と即答した。

この瞬間、私は完全に"ママ"ではなく"オカン"へと進化した。"ママ"の進化形が"オカン"なのかどうかはわからないが、とにかく私はその瞬間"オカン"になったのだ。

オカンになった私はラップを巻かれた頭で「そうか。こういうことが積み重なった結果があのオカンパーマなのか…」と妙に納得した。
オカンのあの短髪にしっかりとキツイ目にかけられたパーマは家族のために自分の時間を惜しんだ結果ではないだろうか。家族への愛を形にするとああいう表現になるのかもしれない。
そう思うとあのガチガチのオカンパーマも紫メッシュもトラの顔の描かれたTシャツも格好良く思えてきた。私の頭の中に鳴り響くBGMはもちろん下町兄弟のパリッ!とオバさんである。

私がオカンパーマで颯爽と街を歩く日はそう遠くない未来なのかもしれないな、と思いながらオシャレなママたちがゆるふわな髪をかき上げている雑誌をペラペラとめくった。

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