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「他人から聞いた話」になることで、嘘が真実になっていく

ふと思ったのでメモ。

内容は嘘でも、「誰かからこの話を聞いた」はホント

まず嘘がある。

この嘘をネットで見たとする。

内容は怪しくても、自分がそれを見たという部分はホントなので、話し方が変化する気がする。内容はウソだけど、私がそれを見かけたのはホントだよ!という話だと、正々堂々と話せる気がする。

何度も聞いたから真実味が増す

内容はウソなのに、何度もその話を聞いたという話は本当なので、そこが混同されていく。

昔話がつくられていくプロセスも関係ありそう

私の好きなエピソードを紹介する。確かマスターキートンという漫画のどこかだった気がする(ここが伝聞でいいのか!まあいいや)。

・ある地域の昔話として「天狗と村の女性が恋に落ちて、子どもをつくった」という話がある
・その昔話が伝わる地域は、江戸時代よりもっと前に、漂流した西洋人が住んでいたという歴史がある
・「西洋人と村の女性の恋愛話」が、口伝で伝わっている間に「天狗と村の女性の話」に変わったようなのだ

マスターキートン「アザミの紋章」の話のおぼろげな柴田の記憶

このエピソードから私が最初に受け取ったのは「人間は、面白い話として脚色してしまう性がある」というものだ。ちょっとしたウケを狙って、村人はいろんな人にこの話をしたのだろう。そのまま「面白い話」を500年ぐらい伝言していくことで「鼻の高い西洋人」が「天狗」になってしまった可能性がある。自分の経験で考えてみても、過去のエピソードを色んな人に話していくうちに、余計なところを除いた話に「編集」されることはよくある。

何度も人を経由した話は、それだけで魅力的な面白い話になっている可能性がある。つまりこんなイメージか!



今回は以上です!


twitterの反応から学ぶ

この「社会的な現実をつくっていく」という感じにまとめが入るだけで記事が引き締まるなと思いました。どうやったらこういうまとめが思いつくのだろう。私は天狗の話で満足してしまうので・・・。

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