短所を「未熟」と「あえてやらない」に分けて「らしさ」を保つ
まとめ
・現状があるべき姿と比較して未熟なのか、それとも「強みを活かすためにあえてやってない」のかの会社の指針を考えようとしている
・すべてを「改善」して普通の会社になってしまう恐怖心がある
・個別の事象だけをみると短所に見えて、改善したくなる。しかし、そこを改善すると全体としての強さを失ってしまうことがある
・状況やアクションに関する膨大なレパートリーから、「未熟」と「あえてやらない」の境界線が産まれる
以下詳細です。
最近つくった資料の冒頭にかいたテキスト。
2018年にも似たテキストを書いていた。
すべてを「改善」して普通の会社になってしまう恐怖心
「普通の会社」とは何だろう。特徴がなくなること、企業の競争優位性がなくなること、だろうか。この図における、一番右側を想定している。
個別の事象だけをみると短所に見えて、改善したくなる。しかし、そこを改善すると全体としての強さを失ってしまう。
ここで『ゲーム作りで「第1世代目はなぜ一線級を保ちつづけるのか?」と、そのなり方、落とし穴』という本当にすばらしい記事から引用する。
第1世代は、ある特定の部分を改善することで「全体としての強さ」を失ってしまう危険性を理解できる。しかし、第2世代の専門家からすると、同じ部分が「自分の担当範囲がこの質では許せない」と改善したくなる。
具体例:退職者が多い
問題点として、退職者が多い状況があるとする。
対策として、退職率を下げる施策を行う。
しかし実際には、一定の退職があることでそのポジションの後継者の成長機会をつくる、というメリットがあったりする。「上が詰まってる」が発生しない。
単に退職者を減らすと、後継者の成長機会も奪ってしまう。人材不足であることは間違いないから、人事異動で成長機会をつくりつつ退職者も減らす、ならよいかもしれない。
ある社員が退職したとき「その社員が辞めることによるデメリット」と「後継者が育ちつつ、その業務を一から見直してくれるメリット」のどちらが大きいか、きちんと比較するのは難しい。デメリットはわかりやすく、メリットはわかりにくい。そして退職する社員ごとに、この比較結果は異なる。
退職後の後任社員が1年ぐらい経つとかなり変化して頼もしくなる姿を何度も何度も見てきた。個人的には「〇〇さんが辞めてしまうかもしれない」という恐怖によって決断を間違うことは減ったように思う。社員に辞めて欲しいわけではない。退職が本人にとってよい決断だと感じたら、例え会社視点でマイナスでも後任がなんとかしてくれると信じられるようになった、が正確な表現だろう。
ここまで考慮せずに「人が辞めるのを減らしたい」と言われると「う〜ん」となってしまう。この流れを説明すれば納得してくれるだろう。でも、すべてここまで言語化できていない。この課題感から最初のテキストが出てきた。
「未熟」と「あえてやらない」の境界線は、不確実性の4分類をヒントに考える
一直線、選択肢、幅、まったく不明の4分類に分ける。「外部からみると真似したいとも思わないぐらいの意図的なわかりにくさ」をどれぐらいの抽象度で設定するか。それを決めれば「未熟」と「あえてやらない」の境界線がひけるはずだ。
不確実性時代の戦略思考には、レベルにあわせて分析する方法が書かれている。
今働いている会社における「未熟」と「あえてやらない」の境界線はどこか?
レベル4のアナロジーで考えている例を紹介したい。私は今働いている会社(面白法人カヤック)における「未熟とあえてやらないの境界線」を、反脆弱性に書かれた例え話を基に考えはじめている。
ざっくり書くと、「面白さ」とは「反脆さ」なのでは?という仮説だ。反脆さとは?
「荷物を頑丈にする」という改善策をとってしまいがちだ。そうではなく、衝撃を加えれば加えるほどプラスになるような「反脆い改善」を荷物に施すこともできるはず。今働いている会社における「各施策に一貫性があり、しかし外部からみると真似したいとも思わないぐらいの意図的なわかりにくさ」はここをベースに考えられそうだ、という自信がある。
まちづくり事業の反脆さは何か?
いまの会社のまちづくり事業について自分なりに考えてみる。国土交通省が発表した「国土の長期展望」によって、「人口の低密度化と地域偏在が同時進行する」が予想されている。
人口の低密度化と地域偏在が「脆さ」、壊れやすい荷物だ。それに対して、荷物を頑丈にするアプローチは何か、むしろ荷物を雑に扱ってリターンを得るアプローチは何か、を考えていく。普通に考えると「荷物を頑丈にするアプーロチ」を取りがちだ。低密度化と地域偏在をリターンに活かすストーリーは何か?を掘り下げるのだろう。
資本市場からの評価のされ方はどうなる?
これも考えてみた。
基本的には計画を発表し、その見通しがきちんとしていて成長可能性を評価されるのが王道だ(上の図の左側)。でも、右側で評価されるパターンもあるはずだ。
状況やアクションに関する膨大なレパートリーから、「未熟」と「あえてやらない」の境界線が産まれる
「境界線」はいきなり思いつく、というのが真実である気がする。
ある文章を思い出した。
この文脈に沿うなら、ここ5年ぐらいは経営者の意思決定を近くで観察してきたから、いまの会社における経営的な意思決定のレパートリーが自分の中にかなりある、という説明になる。意思決定のレパートリーを参考に、どこが未熟で、どこが「あえてやっている」のかの線引きをしていくガイドラインをつくれそうだと考えているのだろう。そしてそのガイドラインは今働いている会社においては「反脆弱性」ではないか、という直感になっている。
今回は以上です!
おまけ:もらったコメントから考える
私の記事でも定義が揺らいでるのですが「強み」と「らしさ」という言葉があって、らしさは強み以外のニュアンスもあるけど、変えちゃいけない「聖域」っていう感じは近いかもしれない。「うちの会社らしさ」と言われているものが、実は変えてもよかったりするものも多くて、それはそれで難しい。
未熟に見えてもそれが悪いとは限らない。それかも!ありがとうございます!
その通りだと思いつつ、このハイコンテキストというか、空気を読む能力が必要な働き方のデメリットも多いから、熟達者(単に組織の暗黙の了解を知ってるという意味)といわれてる人達が頑張って言語化して証明することに労力を割きまくってもコスパがよい、という考え方もあるかなと思ってます。最近はそこに力を入れてますね。
自分観点だと「それっておかしくない?」と否定的に感じても、なぜ相手はそのように判断したか、意図を理解する、ですかね。私はよく、完全に相手になりきって、相手視点だとそう考えるのも自然だよなーみたいな形で理解するようにしてます。こういうのとか。
誰かが書いてたけど、サポートしてもらったらそのお金をだれか別の人のサポートに回すと書いていて、それいいなとおもったのでやります!