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「言語化で曖昧さをなくす」副作用

柴田(@4bata)です。言語化できても、あえて言わないほうがいいときがあります。

最初にまとめ

言語化とは曖昧さをなくすこと
・言語化の副作用1:自分もシステム内部にいるまま言語化すると、言及したシステムに影響を与えてしまう。
・言語化の副作用2:他人が言語化した曖昧さを排除した説明をインプットすることで、自分が使うときに借り物の言葉になってしまう。

言語化とは、曖昧さをなくすこと

言語化とは曖昧さをなくすこと。以下、ある書籍の「真面目な仕事」の定義。

職務内容を規定し、成果目標を精緻に定め、仕事の責任範囲を定めるなど、仕事の曖昧さを払拭するような実践
(「遊ばせる技術 チームの成果をワンランクあげる仕組み」より)

曖昧さをなくすメリット、もしくは目的はわかるだろうから省略。以下「言語化の副作用」の話をする。

医薬品の使用、あるいは医療的処置に伴って生じた、治療者や患者が望んでいない作用全般のことである。
(wikipedia「副作用」より)

広義の副作用には「悪いこと」というニュアンスはないらしい。今回話したいのは「言語化の副産物」のほうが近いかも。以下、2つ書く。

これから説明する言語化の副作用まとめ

言語化の副作用1:自分もシステム内部にいるまま言語化すると、言及したシステムに影響を与えてしまう。
言語化の副作用2:他人が言語化した曖昧さを排除した説明をインプットすることで、自分が使うときに借り物の言葉になってしまう。

以下、説明。

------言語化の副作用ひとつめ-------

「選挙結果の見通し」が事前に出ることで結果に影響を与える

言語化によって状況に影響を及ぼす例
・3人の候補者がいる選挙
・調査の結果、候補Bが有利だ(曖昧さが減る)
・「どうせなら票を無駄にしたくない」と候補者Bに投票が集まる

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言語化している当人は、この環境を客観的に観察している体になっている。しかし、実際には違う。言語化している当人も環境の内部にいるのだ。つまりこうなる。

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自分も環境の内部にいるので、言語化というより「自己言及」だ。システムの内部にいる人間が自己言及をすることで、他のプレイヤーにも影響を与える。候補Bが有利らしいという言及によって、候補Bに投票する人が増える。

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「調査の結果」と「候補者Bの投票増」の因果関係の証明は難しい。なので、「影響を与える」というニュアンスが近いと思う。

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言語化の副作用1:自分もシステム内部にいるまま言語化すると、言及したシステムに影響を与えてしまう。

ニュースで「緊急事態宣言延長予定」とか、事前に情報がでることがある。いわゆる「観測気球」というものだ。あれも、システム内部に対して観測気球として情報を出し、「延長の準備しておけよ」とか「ほんとに延長してまずかったら教えてね」という影響等を与えているのだろう。ただ、客観的な情報として出されているので、表向きはシステムに影響を与えることを目的としていない。

自分がシステム内部にいるかどうかは「世界観」の違い

例えば、自分が働く会社の「改革案」を考えたとする。そのとき、自分を「会社を客観視している存在」と見なすか、「自分も改革される対象の存在」と見なすかは、その人の世界観の問題だ。どっちでもいける。

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人間の世界の出来事に関して言語化するならば、自分はシステム内部にいるとみなしたほうが筋がいいかなと、個人的には思っている。昆虫とかに関しても同じだろうけど、そこまでは考えたことがない。

------言語化の副作用ひとつめ 終わり-------

------言語化の副作用ふたつめ -------

ではふたつめ。

仕事で「解像度」という言葉をこれから使いにくくなりそう

以下のスライド。ものすごいわかりやすい説明が出てきた。「あー、これで使いにくくなるなあ」と感じた。ちなみに私は現在「解像度」という言葉を使わない。それなのに「使いにくくなるな」と感じたのはなぜかを考える。

自分にだけはよくわかるが、他人には理解しにくいイメージ

私は管理部門で仕事をしている。管理部門として、5種の施策を中心に方針を考えようとしたとき、自分頭の中のイメージを伝えるために最初につくった資料を紹介する。(施策名はA〜Eに変えた。)

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これをつくったとき、「おお!これでやっと自分の頭の中を他人に説明できる!」と思ったものだ。しかし、実際にはまったく伝わらなかった。伝えたいことは、好き勝手にやってもらっていいけど、何かしら統制はとりたい、その方法として5つだけ「くさびとしての施策」を用意するぞ、ということだった。どれぐらい好き勝手やってもらってよいかを「事業」という躍動感あふれる図にしてみたのだが、伝わらなかった。

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ただ、実際には表にまとめればいいだけだ。A-Eの施策をやるだけだから。

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最初の図は、曖昧さを払拭していなかったから、伝わらなかった

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ただ、曖昧さを排除した右の図だと、あまりに伝えたいことが伝わってない。コントロール感が強すぎるのだ。そこで、違う図を考えた。シーソーをつかって、「不安定な中でなんとかする」というニュアンスを加えた。

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どういうときに失敗か成功かも書いたりした。

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いい感じに曖昧さが残っていて、自分としては気に入っている。つまりこういう感じか。

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「解像度」という言葉が使いにくくなりそうな理由→自分の中にイメージができる前に、他人にもよく分かる曖昧さを排除した説明が自分にインプットされたから。借り物の言葉になってしまう。

これで理由がわかった。先に「曖昧さがない説明」をインプットされてしまったから、「解像度」という言葉に対して、自分の脳内イメージをつくっていく隙がなくなってしまった。借り物の言葉になってしまう。私はそういう言葉をつかうことができないことがわかった。

言語化の副作用2:他人が言語化した曖昧さを排除した説明をインプットすることで、自分が使うときに借り物の言葉になってしまう

自分で曖昧さを払拭していく場合と、他人に曖昧さを払拭してもらった場合では、応用可能性が違うように感じる。たまに、曖昧さを払拭するプロセスも説明してくれるブログや書籍があったりして、そういうものは本当にありがたい。

------言語化の副作用ふたつめ 終わり -------

最後に感想

・自分のブログを書く動機は、自分が曖昧さを減らすために書いている。考えたいことを、ブログを書くことを通じて曖昧さをなくしている
・自分が曖昧さをなくしていくプロセスをほかの人と共有すること(=ブログでシェアすること)は無邪気に良いことだと考えていたフシがある。ただ「解像度」のスライドの例を考えると、「先に曖昧さを埋めてしまう」悪影響もあるということを理解した

次の展開

この先考えたいことがある。自分の仕事において得た知見を「公共財」としてみんなでシェアするという考え方だ。参入障壁(=利益の源泉)に影響を与える情報は公共財にはできない。しかし果たしてそうなのか、怪しいぞ、と思っている。もっとシェアしていい知見が多いはずなのだ。キーワードは一般解と特殊解。

終わりです。ありがとうございました!

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