テトラポット・ら・ら・ら

無意味な演説が鳴り響く中、背中を丸めて歩きながらaikoを口ずさむ女。
実際のところaikoかどうかの確証は持てないが、テトラポットという単語が聴こえてきたので、もう断言してしまってもいいだろう。
彼女のことをテトラポットお姉ちゃんと呼ぶことにする。
テトラポットお姉ちゃんは、まあまあのボリュームでテトラポットと言った後、消え入るような声で「登って〜」と続けた。
テトラポットお姉ちゃんの「登って〜」がaikoのように「登って〜!」だったら僕は憤慨していたと思う。
テトラポットは背中を丸めて慎重に登るものだからだ。
正直aikoは跳躍力がおかしいところがある。
登れちゃうなら仕方ないが、尋常ではないことは確かだ。
そういえば、テトラポットお姉ちゃんは、「テトラポット登って〜」の前にアーーとは言っていなかった。
助走なしでテトラポットに登ろうとする人間なんか聞いたことがない。
背中を丸めながらも着実に登る、テトラポットお姉ちゃんの決意がそこにある。
これも僕がテトラポットお姉ちゃんに惹きつけられた要因の一つでもあった。

人は誰しもふとした時に口ずさんでしまう曲、フレーズを持っているものだ。
僕の場合は大黒摩季『ら・ら・ら』である。
僕にはちゃんとした名前があるが、さっき人の名前を奪ってしまった以上、ここからは僕も、ら・ら・ら21歳になる必要がある。
『ら・ら・ら』は、完全に思考が止まっている曲ゆえの心地よさが素晴らしい。
他にも思考が止まっている曲はあるが、例えばEDMなんかも思考停止したジャンルだが、あれは全く心地よくない。
ら・ら・ら21歳は、ダンダンダンダンダンダンダンダンッ!という登り方が下品なので大嫌いだ。ら・ら・ら21歳は階段を登るのが好きで、とりわけ螺旋階段を好む。
ぐるぐる回りながら高みを目指す、そういう登り方を愛している。
ところがEDMはそうではない。
高速エレベーターで最上階まで楽して登り、チンッと鳴ってドアが開いた瞬間に一番盛り上がる仕組みになっている。
ら・ら・ら21歳はEDMを耳にするたび、楽して成果を上げようとする人間の影がちらつく。
とにかく、ら・ら・ら21歳はEDMを絶対に許さない。
一方で、思考を停止させることの喜びが『ら・ら・ら』にはある。
腕を振り、らーらーららーらーららーらーと揺れるだけで得られる多幸感。何かを得ようとする態度はそこにはない。
ら、という文字が飛蚊症のように目の前で揺れている。
ら、ら・ら・ら21歳、ら・ら・ら21歳の右腕(時には両腕)、空気が一体になって揺れる。
その時、ら・ら・ら21歳は全てを忘れ、身体を飛び出してらになり、無数のらの一人になる。
これからも大黒摩季『ら・ら・ら』は歌詞を全てらにしても違和感が全くない、唯一無二の曲であり続ける。

『ら・ら・ら』と共にあらんことを。


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