肯定派

私は彼女の意見に賛成だ。
理由は他人の考えに他人は口出しする権利などないと考えるからだ。
人間は生きている上で1人だし自分に語りかけられるのは余程のことがない限り自分しかいないと思っている。それこそ神的なものを信仰していたとしてもそれを信じるのを選んだのは自分だしそれを信じるに至った人生を選択して生きてきたのも自分だし。その気はなかったかもしれないけど。
他人になんか口出された所でそれは煩わしいだけだしお前に私の疾走感溢れる鬱を止められるだけの抑止力はないぞ。そこまで彼女の中で人間という存在は大きいものではなさそうだと感じる。そんなこと言うの烏滸がましいとか思わんのか、なんて傍観者は思うわけです。当事者共ないくせにね。
そっちの方が余程おこがましいというか性格悪い感じはしますけどね

別に他人は自分の事を助けてくれる訳では無いしもし親だったとしても人を救うという行為の、せいぜい金銭的な支援や励ましの言葉をかける、程度ではないのか、いや、その行為が他人という人間にできる全てなのだから程度、なんて言ってはいけないのは分かる。でも心の苦しみを救うことは誰にも出来ないと考えるのだ。
自分が全てに対して諦めの気持ちを持ち全てに対して目を背け決して直視せず、時の、世間の流れに何も考えず身を任せ抗わず川を流れる笹舟の様に意志を捨て救われたい、漠然とした幸せ、救われた状態という理想を捨て今ある自分の状態、見える全てに蓋をし全てに無関係に自分だけの世界で生きる事が一番楽なのではないだろうか。
私はそう考えるようになり全てから逃げ楽になった。人が考えることを捨て逃げたのだ。ただの植物人間と変わりない。普通の人間とは会話も続かない道筋立てた思考もできない、考える気がないからだ。考える必要も無くなった。人とつるんで生きなければいけないという考えを捨てるだけでここまで開放されるのか、と清々している
それは今自分が祖父が私のために残してくれた遺産でそういう事が叶う環境に通うことが出来ているから感じることでは無いのかこの学生生活が終わったら私はどうなるのか。
社会に溶け込むために考える日々が必要になるのか。今までの何も考えない期間がブランクになって人より足りないもの、になるのか。
表だけでも考えておいた方がいいのかもしれない。
私の人生論、価値観などは中学生の時に全て完成したといっていい。
全てを諦めた事により今は感性は死んでしまったが。
好きな物が消えた。ものを好きになる体力が無くなった。絵を描きながら生を実感する機会が少なくなった。あんなに絵を描くのが好きだったのにもう机にも向かわなくなってしまった。
頭の中に一心不乱に机に齧り付く理想の私がいる。
その私は絵を描いて、好きな勉強をして好きな音楽を聞いて歌いながらペンを走らせている。
音楽を聴きながら絵を描くのが至高の時間だった。何にも邪魔されず大好きな音楽で世界を塞いで楽しい気持ちで聞こえる音楽に合わせた絵を描くのが一日の終わりの勉強をしたご褒美だった。1ヶ月で100枚綴りの百均の落書き帳を潰した。上手にかけた落書きを見返してにやにやしたり昨夜描いた時は上手くかけたと思ったのに次の見たら下手くそで絶望するあの気持ちも今はないのだ。いや、少しはある。とても薄くなった。
耳も聴こえなくなって音楽を聴く解像度というかただ流し聴きするだけになってしまって聞こえてきた音にはもれなくなった。とてもショックだった。
小学生が人生のサビだった。
中学生の時本当に毎日消えたくて消えたくて仕方なかった死にたいでは無く消えたい死にたいとかいう現実的な事を考えたくもなかった。実際に血が出るとか遺体が出る事になる。それを処理しなければならない。火葬代がかかる。世間体がある。そんな面倒な現実の象徴みたいなのに自分を当てはめたくなかった。蒸発して消えたかった。
でもそれは理想だった。脳死というのがあると聞いた時はそれがいいな〜と思ったけど結局遺体は出るしほっとけば腐る。そういう現実をどう処理するかという点を考える気がない私はほっといたから未だにタラタラタラタラタラタラタラタラ意味もなく目標もなく使命もなく価値もなく生きてる

でも全て捨ててから毎日辛くなくなった。大学一年生の半分ぐらいに気付いた。なんかもう全て無駄だと。考えるのも無駄だし生きるのも無駄。なんかもう全部無駄なんだからもういいやと思った。終わりのない厨二病引きずったみたいな考えに疲れたのかもしれない。アホでいいやと思った全部捨ててやると思った。めちゃくちゃ幸いな事に生まれた環境に恵まれたおかげでお金には困らないし悪い事もしてないから前科もないし好きな事できるし好きなもん食って死ねばいいやと思った。他人とか至極どうでもいいし気にした所で相手が何してくれる訳でもない誰も他人を救うことは出来ない自分の人生自分で救うしかない自分で励ましてやるしかない自分で生きるしかない死ぬ時は死ぬ。なんも考えずほっときゃ生きられる、日常的に命を狙われない日本に生まれた。来世は小バエかな
ごみやな。全部ゴミやくだらない価値がないゴミ、似ても焼いても食えない犬も食わないどうにも出来ない虚無何も無い


私が彼女の考え方対して賛成派の考えを持つのも私が彼女の普段の考え方を気に入っており、全く自分と違う考え方に対して尊敬しており、彼女の普段の湿度の低い考えに則って彼女に気に入られたいからだけなのかもしれない。
私が彼女の湿度の低い思考を気に入っているからその思考に則って彼女を図りたいだけなのかもしれない。
私は彼女を救えないしそんな力持ってない、彼女の抑止力にならない。なった所で多分それは共依存。破滅の道しかない

他人のことなんか考えて踏みとどまれる訳ないだろお前自分のこと何様だと思ってんだ私にとってそんな大事な存在になったと思ってんのか
別にお前は私がいなくても生きていけるしなんかよォ分からん自己満足の使命感に駆られて怒って下さってるんだろうけどなんかあんまりこっちの主張聞いてないみたいだし面倒臭いから適当に謝って乗り過ごすしかないよね
それもわかんないのか?本当に?お前も見て見ぬふりキメてるんじゃないのか?それならキメるとこ間違ってんぞ
見て見ぬふりするんだったら私の発言自体を見て見ぬふりするべきだわな


なんかもうどっか壊れてんのね
普通の人がどうやって生きてんのかわかんないにぇ
普通の人ってなに?????だれ??

どうやっても他人は他人で自分ではないという時点でどうすることも出来ない壁があってひとつにはなれない、精神に介入することは出来ないしされたくない。だって他人だし。生まれも育ちも違うから考え方も違うんだよ、どんだけ似てても「似てる」っていう言葉って「違う」と同義なんだよ。それ分かってない体育会系は嫌いだ。
俺もできるから俺に似てるお前も同じ生き方ができるだろ?な?みたいなお前の考え方が理解出来ねぇよ。何故人は皆同じだと思っているのか。チームワークが必要だったからなのか。思考を共有してチームで勝ちを目指さなければいけないのか
お前らはチームとして、選手側として生きてきたのだな、「応援してくださった皆様」だなんだらセリフとしては述べるもののやっぱり試合して辛いのも嬉しいのもお前らだし「応援してくださった皆様が座ってる席の清掃してた」お前らに興味無いバイトの存在は知らないわけだろ?そりゃそういう事言うよね。まぁそれも偏見な訳だが
体育会系という括りで見てしまうのも愚かよなでもそういう人多いように思う「知恵」で片付けて許されるだろうか。お前は誰に許しを乞うているのだろうな。それも世間一般の大多数の声でないのか、見えない世間の大数の声を目前の問題を叩きやすい様に捏造して1億総袋叩きの時代だ。
周りの目が気になるねぇ。考えずに気にするねぇ。大多数が言えばそれが正義だねぇ。それに乗ってればなんも考えなくていいから楽だよねぇ、多数派に入れば勝ちだよねぇ
それでいいの?考えて正しいものを見える人を叩いて潰して大多数のバカが蔓延って日本を殺すんだよ
盲目の馬鹿程危険なものは無いよ

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