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零れ落ちた追憶の甘さ




「死んだらわたしの骨を食べてね」


唐突にそんなことを言うので、箸で掴んでいた唐揚げを落としてしまった。

先程まで、今日の天気はどうだったとか、仕事であった嫌なこととか、こちらが話すことを静かににこにこしながら聞いてくれていたのに。その話に繋がるような会話はこちらからは投げかけた覚えがない。

固まるこちらをよそに、彼女は箸を止めず、お茶碗の半分くらいになったご飯を食べようとしていた。


「どうしたの急に」


やだなあ死ぬなんてそんな、困るなあ。
少しも偽りのない本心からの言葉も一緒に出た。さっき落とした唐揚げがなかなか取れない。


「何もないんだけど、思いついた時に言っとかないと。いつ死ぬかわからないし」
「困るなあ」


ちらりとこちらに視線をむけて、それさっきも聞いたよ、と言ってご飯を食べ続ける。少し嬉しそうにしていた。


「骨ってどんな味がするんだろう」
「苦そう、ボロボロになるまで焼いてるし」
「わたしは甘いものたくさん食べてるから甘いかも」


おいしくなかったらごめんね。と笑って、彼女はおいしそうにまた白いご飯を頬張った。


そんなことを話したのを、唐突に思い出した。


確か5年前、この街にくる前の小さい街で一緒に暮らしていた時だった。
今の今まですっかり忘れていたのに、急に思い出した。


僕たちはあれから3年ほど一緒に居たのだけど、うまくいかなくなって別れた。
それから彼女とは連絡を取っていなかった。




今朝、いつもの時間に起きて枕元のスマホを見ると、共通の友人からメッセージがとどいていた。


彼女が死んだらしい。

まだ夢の中なのかと思って、日付や時間、身の回りのことを確認したり、立ち上がって部屋を歩き回ったりしてみたのだけど、行動すればするほど現実だということを嫌でも思い知らされた。
自分がひどく動揺していることも、同時にかろうじて理解ができた。

友人からのメッセージによると、事故に巻き込まれてそのまま息を引き取ったらしい。

仕事に行く時間になってもぼんやりしたまま動くことができなくて、結局休んでしまった。なにもする気になれずに、ベッドの上に横たわってただただ白い天井を見ていた。

自分も、この部屋も、外から聞こえる小学生の声も、鳥の声も、車の通る音も、毎日と何一つ変わらないのに。

どうやらこの世界から彼女はいなくなってしまったらしい。




「じゃあ、ありがとう。元気で」
「うん、またね」


最後に彼女の顔を見たのは、一緒に住んでいた家を引き払う時だった。

いつ会うかわからないのに、また明日も会うみたいに、笑って握手をして、それぞれ別々のホームに向かって歩いた。後ろは振り返らなかったし、たぶん彼女も振り返っていない気がする。

心臓がぐっと掴まれて、痛くて痛くて仕方なかった。

電車を待つホームの向かいに、さっきまで笑ってた彼女が泣いている姿が見えた。
それを見て、涙が出て、顔がぐしゃぐしゃになるのを抑えることさえ我慢ができなかった。

じっと見つめて泣いているこちらに気付いて、彼女は泣きながら笑って、大きく手を振った。
時間が止まったらいいのに、と少し思いかけた気持ちをかき消すように、両方のホームに飛び込んできた電車が遮った。


乗り込んだ電車からは、彼女はもう見えなかった。



目を開けると、薄暗くなった自分の部屋の天井が目に飛び込んだ。どうやらいつのまにか寝ていたらしい。
寝起きの気だるさに引きずられつつも、身体をゆっくりと起こす。

別れてからも、目に映る全てに彼女がいた。
時が経つにつれてだんだん薄れてきて、ひとりももうすっかり馴染んだ今、時々思い出すくらいで、彼女がいない生活は当たり前だった。



キッチンに立ってお湯を沸かす。部屋の電気をつける気力がなくて、外から入る少しの明るさをたよりに、コーヒーを淹れた。


ダイニングテーブルに座って、湯気のたつコーヒーを見つめた。
そういえばあの子は、ブラックが飲めないから、いつも牛乳と砂糖をたっぷりいれていた。
今さら同じことをやってみたくなって、牛乳と砂糖をいれる。

いつも飲んでいるブラックコーヒーとは違うのに、引っ越しの時に引き取ったダイニングテーブルにはぴったりだった。

いつもと違うのに、なつかしい匂いが漂う。
そっと飲んでみると、久しく口にしていないくらいの甘さが広がって、思わず顔をしかめた。


誰もいない向かいのイスでは、あの頃のあの子が、おかしそうに笑っていた。



「…甘すぎだよ」



涙が止まらなくなって、声を上げて泣いた。


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