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無責任に好きでいて、別れのときに泣くだけさ。

ポリアモリーっぽい恋愛観なんだよね、多分。佐藤さんを本当に好きなのも嘘じゃ無いんだよ、と彼は言った。

私は難しい言葉よくわからない、あんまり賢くないし、私の知らないことを教えてくれる彼をすなおに信じた。複数の人を同時に愛せる、そういうひとは身近に心当たりもあったし、だからなおさら。
疑うより信じたいにきまってる。好きなんだもの。





ピピピピピ、って電子音で意識を引き戻されて、スマホのアラームを止める。
午前5時。早すぎ、こんな時間にアラーム設定した記憶無いよ、って思ってから、それが着信だったことに気付いた。こんな非常識な時間に電話してくる人なんて彼女くらいしか心当たりない。最近ご無沙汰だったけれど、近くに来てるんだろうか。
切っちゃった電話を掛け直す。マナーモードにしてなかったのは、仕事を辞めたからだ。


久しぶり、って言う前に彼女は私をぎゅっと抱きしめた。待ち合わせは駅の大きな時計の前。人は大勢居て、でも誰も私たちのスキンシップを気にしてない。それぞれ自分たちの別れと再会をあたためている。
「ただいま、千草」
「……おかえり、真優」
彼女、マユちゃんは真っ直ぐに私の目を見詰めてから優しく頬にキスしてきた。
吟遊詩人の友達が居る、なんていうと驚かれるから他の人に彼女の話をしたことは無い。マユちゃんは好きに海外をふらついて、ギター片手に歌って、チップをもらって、気紛れに帰国する。三十路までには定職に就かないとな~なんて言いながらも、就活する気配は無い。
いいなぁ、憧れるな、私には真似できない。って言ったら、こんなことは、家族がないからできるんだよ、って、以前そう返された。
千草は心配する両親とかが居るでしょ、それを振り切れない、真似しようとしてすることじゃないよ。って。
「しばらく会わないうちに見慣れない格好してる」
マユちゃんに言われて、自分の着てる服に目を落とす。
彼が買ってくれた、花柄のワンピース。今時の子がよく着てる、大人しそうで無難な格好。
「趣味変わった?」
「……ううん。別れた彼氏の趣味」
「そうなの?じゃあ好きな服着て見せてよ、日本の服屋も見たい!」
マユちゃんに手を引かれて、思わず吹き出した。日本人なのに、日本の服屋も見たい、だって。
「案内してあげるよ」
「頼んだ」
お金払って買うのは私の財布からになる、仕事を辞めてお金の余裕なんてないのに、それがぜんぜん惜しくなかった。
腕を絡めてくっついて、もう何年も素通りしてしまったブランドの入り口をくぐる。ほんとは何度も横目で見ながら、ずっとずっと、気になってたお店。
何軒かお店を梯子して、元々身につけてた服を全部紙袋の中身と入れ替えていく。
買った服に着替えたら、マユちゃんは沢山ほめてくれた。シースルーブラウスにタイトなレザースカート。足元はヒールのあるブーツ。
「かわいい、よく似合うよ」
「そうかな。ありがとう」
私が腕を取ると腰を抱き返してくれる。人混みでもぜったいにはぐれない。歩調は私に合わせてくれて、久しぶりに履くかかとの高い靴でも、安心していられる。
マユちゃんも会った時着てた服から着替えて、真っ白なボートネックのシャツに緑味のかかった濃い青の、オシャレなジーンズを履いた。
マユちゃんはわたしよりだいぶ身長が高いし、髪も短くて身体が薄い(海外でお風呂入れないからと、食事を摂れるか怪しいからだそうだ)から、いまどきの男の子っぽい服を着てても体型に合っててかっこいい。

道の途中でケーキ屋さんに入って、ケーキと紅茶を頼んで食べながら「うちにおいでよ」ってお泊まりに誘ったら、マユちゃんがびっくりした表情で「珍しいね」って言った。
「休み取れたの?泊まりがけでもいいなんて……正直助かるけど。なんかあった?」
「……仕事やめたから。だから当分おやすみなの」
仕事を辞めるはめになっちゃったのは、ひとえに私の愚かなおこないのせい。いわゆる、不倫をしていた。
バレたわけじゃ無い。それが相手の奥さんを傷付けたり、世間的に配慮を欠いた、道徳に反することだってわかってる。だから絶対、バレることだけはダメだって思ってた。
先の無い恋だったんだ。バレる前に私は逃げ出した。
相手が職場の上司だったから、仕事も辞めたんだ。
てことを、包み隠さず正直に、手短に話したらマユちゃんは
「彼氏ってそれかー」って目を丸くしたまま聴き入っていた。
「じゃあ遠慮なく泊らせてもらおうかな」
悪いことした人間だ、ってふうに見て無さそうな、あっさりした返事。この場では根掘り葉掘り訊かずに、すぐ一緒にいることを選んでくれた。
疲れちゃってた身勝手な心が、ほっと安らぐような気がする。





小さい頃からあんまり勉強が得意じゃなかった。両親はそんな私を心配してか、幼稚園から高校までエスカレーター式に進学できる、私立の学校に受験で入学させた。小学校までは男女共学だったその学校は、中学、高校は女子校に進学するか、共学に進学するか、選ぶことができた。
「千草は女子校の方がいいよ」って、両親に言われるがまま、私は女子校の方に進級した。「かわいいから、色気づいた高校生の男なんか身近に居ない方が良い」って。
ほんとは少し怖かった。男の子より、女の子の方が、私にとって怖かったから。
私はずっと自分のこと、「ちぐさ」って名前で呼んでいて、そのことをよくぶりっこだとか、赤ちゃんみたいで気持ち悪いって嘲笑された。そういうことは全部、女の子から言われた。男の子たちには逆に、優しくしてもらえたから、女子校は自分にとって怖い人しかいない、優しくしてくれる人がいない場所なんじゃないかって思えた。
中学になっても結局「ちぐさはね」って自分のことを呼んで喋って、嘲笑される原因を無くせずにいた。「私」が上手く馴染まなかった。
けど、高校生になったら周りの人はべつに、そんな私を笑ったりしなかった。怖がっていた心は、杞憂に終わった。
他にも色素の薄いうねった髪や、あんまり日本人ぽくない変わった顔も、中学の時ほどわるく言われなくなって、むしろ「妖精さん」って女の子たちから可愛がられた。……周りのメンバーが違うからなのか、みんな大人になってきて他人を攻撃しなくなったからなのか、それはどっちなのかよくわからない。ただ危惧してた憂鬱な高校生活にならなかったことに安堵していた。
そんなとき、……彼女に会った。

外部の高校からわざわざ、受験で編入してきた同級生。閒真優、って名前の彼女を、私はまちがえて「ゆう」って読んだ。しかも彼女はそれを訂正しなかったから、大学に入る頃までずっと「ゆうちゃん」って呼んでた。他のみんなは「はざまさん」って呼んでいた。佐藤、とは出席番号が離れていて、私とゆうちゃんの席は遠かった。
名前を覚えるのが苦手らしい彼女は、人懐こくすぐに打ち解けるのに相手の名前を覚えていなかったりして、よく後輩や、好いてくる相手を泣かせていた。彼女は女の子にすごくモテたんだ。……女子校だからか女の子同士の恋愛はふつーに日常にあった。でもいつも一緒にいる相手は、席が近いわけでもない私だった。
「千草は自分の名前言ってくれるから助かる。それに毎回ちゃんと名前言うの、かわいい」って、彼女は初めて私の口癖を肯定的に言って、あったかく笑ってくれた人だ。


真優ちゃんは誰に告白されても誰とも付き合わなかった。
どうして?って訊いたことがある、その時に「付き合うってことがよくわからない」って教えてくれたんだ。
「恋愛と、友情の区別も、よくわからないし……、好きじゃ無い人と好きな人の区別は、つくんだ、性欲が……あ、いや。ごめん。品がない話だな。でも……千草のこと好きなのと、他の友達好きなのは、違うよ、……違う人への感情だから一個一個全部ちがう。特別じゃないわけじゃない、むしろ逆で、……どう思ったらいいかわかんないんだ。キショいかもしんないけど、好きなら、えっと、セックスもキスもできるよ。こないだ千草と演劇の時ちゅーしたよね。ああいうのうれしいなって思ってしまうし、あー、……興奮するっていうか、まぁ。ごめん。きもいかな」
私は首を横に振ってみせたけど、項垂れた真優ちゃんには見えてなかっただろう。
「……そんなだから、ほら、恋人って一対一で、他の人に好意向けたりスキンシップとるのは浮気っていうでしょう、不誠実だって……私はとだもちのことちゃんと好きだけどさ。……それをひとつに絞れないから、付き合えないよ。せめて友情と区別あったらよかったかもだけど、……できないよ」
そっか、って私は納得して頷いた。俯いてあらわになった細い首に触れないように、黒くてまっすぐな真優ちゃんの髪を撫でた。





「ゆうちゃん」
家のドアをくぐった先で、そう呼び止めたら、彼女はきょとんと私を振り返った。
「……って、呼んでたの、おぼえてる?」
「……おぼえてるよ。あれ?いつの間にマユになったんだ」
ぼけたこという真優ちゃんにまた笑って、「どうして名前、すぐ教えてくれなかったの」って訊く。ほんとの名前。訂正してくれなかったから、私は長い間ほんとの名前を知らなかった、他のみんなが知ってたのに。今更なにを、って言われるかもしれないけど、思えば私が真優ちゃんってちゃんと名前を知って呼び始めたあたりから、私たちは滅多に会えないようになってた。私に彼氏が居るようになった(大学の頃だから、不倫の人とは別の彼氏。)し、真優ちゃんは日本にあまり留まってなくなったから。
真優ちゃんは「あー?」って玄関先で視線を泳がせながら、
「私はあんまり、名前とか、頓着しないっていうのかな。気になんないから、ゆうでもなんでも、千草が私を呼んでることはわかるからよかったんだよ、多分」
「多分なんだ」
曖昧な返事にくすくす笑って、
「名前間違えても怒られないなんて社会人になったらそうそう無いよ」
言った後で、つまんないこと言っちゃったな、とか考えて今度は私の視線が泳ぐ
でも真優ちゃんは、すぐに私のことをまっすぐに見た
「千草が名前を大事に思うなら、千草にはちゃんと名前を呼ぶよ」
高校時代の知り合いたちは、名前を覚えてもないだろうに。真優ちゃんにとって名前を覚えるのって礼儀じゃないんだ。他のこともぜんぶそう。偶然社会規範に合うこともあるけど、真優ちゃんがそっちに合わせてるわけじゃないんだ。社会人だとかいって真優ちゃんが一般常識の枠におさまってるところ、想像できない。変な感じがしてしまう。非常識な人。社会不適合者。
でも真優ちゃんが言うことのほうが、周りのたくさんの人が言うことよりも、私には優しい。

「……あの、ね。誘っておいてなんだけど」
「ん?」
「部屋、めっちゃきたないから、ドン引きするかも」
「ほー?」
私が先に申告したら、真優ちゃんは逆に面白そうにニコーって笑った。
「どれどれ」
躊躇いなく一本道しかない廊下を歩いてリビングの戸を開ける。その場で立って部屋を見回し、
「一目で虫が湧いてない。まだまだだな」
なんておどけて私の肩を叩く。
「世界規模で測るな!」って肩を叩き返したら、ひらりと身を躱されたから声を上げてちょっと追いかけた。
しばらく小声でじゃれた後、
「……にしても、これ数日やそこらじゃないね。ずっとそこに居たんだ?」
すっとふざけた顔をひっこめて、真優ちゃんは長い指でベッドの上をさした。じゃれあってる間ニコニコと下がってた目元が、ほんのちょっと凜々しく見える。
「……うん」
他の場所には部屋中散乱してる、ティッシュやペットボトルやつもったホコリのゴミ類、抜けた髪、服の脱ぎ散らかしたあと。だけどぽっかりそこだけ空いた、ベッドの上の一人分のスペース。
ずっとそこに居た。
頷いたら、はぁー、と溜息が隣から聞こえた。真優ちゃんがしゃがみこんで、床の上のティッシュをぺいって指先でひとつ放る。
「……千草が無事でよかった」
その言葉で胸がきゅん、て締め付けられたような感覚になる。
こんな惨状、人を招く部屋じゃない。なのに真優ちゃんを泊まりに誘った。それは私が常識を知らなかったからじゃなくて、真優ちゃんが他に泊まるとこが無いからでもなくて、誰かに見て欲しかったからかもしれなかった。知ってほしかったのかもしれなかった。
彼と別れた後、ずっと泣きながら何もせず横になってた、寂しくて惨めな震えてた私を、誰かに、真優ちゃんに、知らせたかった。

「…………最初は奥さん居るの知らなかったんだ」
近所迷惑にならないように、掃除機は朝になってからね、って
片付けなきゃ座る場所もない部屋から、ベランダに出て 大きく窓を開け放したまま一息つく。真優ちゃんも隣に出てきて並んで立った
夜景なんてぜんぜん見えない真っ暗な夜に、タバコの煙を吐き出しながら話す
「会社に奥さん来てて知ったの。その頃にはもう付き合ってたから、奥さん居るなら別れよって言ったんだ。そしたら僕はポリアモリーみたいな感じだからって」
「ぽりあもりー?」
「たせいあいしゃ?私も未だによくわかんない。でも、奥さんも自分もそうだから、お互いそれを了承してやってるからって。奥さんにも他に彼氏が居るからって言われて、……それなら、いいかって思っちゃった。別れたいわけじゃ無かったの、一緒にいたかった」
好きだった、って言ったら涙が落ちた。
真優ちゃんはそんな私をじっと見てる。
「私の服をね、千草はそんな格好より、大人しくて清楚なワンピースとかが似合うよって、化粧も、お昼ご飯のチョイスとかも……タバコは身体に悪いからやめなって言ったりね、せっかく綺麗な肌が荒れちゃうよって。化粧厚くするより、健康で綺麗な千草で居てよって言った。何でもうれしかった、私に向けてくれた言葉だから」
一年もすると、雰囲気変わったねって言われるようになった。どうしてか自分勝手に服を着てたときより他人の視線が怖くなった。大学時代の友人とは会わなくなって、人間関係が職場の人としか無くなって、ますます彼に依存した。彼以外の職場の人にセクハラされたりもしやすくなったけど、彼には相談できなかった。
「好きじゃない格好して、好きじゃないもの食べて……彼に言われた通りのかわいい女の人でいなきゃって」
そうしてるうちに
ふと思った
「でも、こんなに彼の好みになっても、ぜったい報われない」
奥さんがいて、仕事の立場もある彼と、ただの部下の私。この先何年付き合ったって結婚できるわけでもない。
「……そうおもったら、心折れちゃった」
へへ、って泣き笑いでタバコの火を踏み消したら、真優ちゃんが頭撫でてくれた。
タバコも、身体に悪いのは知ってる。でもまた吸い始めちゃった。この引きこもってた数ヶ月で、失火をおこさなかったのはただの幸運だったと思う。人様に迷惑かけることに、なるかもしれなかった。
「ばかだなぁ私」
いけないことした側なのに、傷付いた顔してる。いけないってわかってるなら最初からしなきゃいいんだ。なのに好きなままで居た、誰に言ったって私は共犯者、だから一人で部屋で泣いてた。後ろめたいんだもの。
ぼろぼろ涙が落ちるままにしてたら、真優ちゃんがその涙が伝う頬を両手で包んだ。
指先が目元までなぞって、軽く頬にキスされる。チュッて軽い音がして、涙が唇に吸い取られるのがわかった。
「……おばかさん。次は千草がほんとに着たいと思う服着てるのを好きだって言ってくれる人と付き合えよ」
間近で見つめ合う真優ちゃんの、黒い大きな目に私が映り込む。シースルーブラウスにタイトスカートの、赤い口紅を引いたわたし。
「今日の私はかわいい?」
「かわいいよ」
「……もし、ちぐさが真優ちゃんを好きって言ったら、付き合ってくれる?」
見詰め返したら驚いたみたいにぱちぱち瞬きして、真優ちゃんが目を見開いた。
「……ははっ」
一拍おいて、むにっと両頬を両手で挟まれる。
「懲りないねお前は」
付き合わないよ、って真優ちゃんはハッキリ私を振った。それで傷付いたばかりのくせにって、学習しない私を笑い飛ばした。
ベッドには入らずに一晩ベランダでおしゃべりして過ごして、真っ白な空に郵便バイクの音がする頃、部屋に入った。静かな朝を掃除機の音でぶち壊しにしながら、私たちは笑ってた。



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