オッペンハイマー

そんなにみたくもないものをお金払って観る。
何かの力が日本公開を先延ばしにしていたとされる「オッペンハイマー」観てきました。見に行く時間はあれど、なんだか気持ちが向かないので敬遠しつつ、やっぱりこれは観ておかないと。
長崎県出身なもので。、
日本では長崎広島の市長はじめ識者の声を耳にすると否定的な感想はほぼ見られず、まま正しく表現されていたというのが主な所見。素晴らしい作品だと激賞する意見もあるが個人的にそれはないですね。
米国は広島長崎の話になるとバツが悪い表情を澱ませていたのが、国内ではその姿勢がこれまでより変化してきているムードをこの作品がアカデミー賞受賞したことによっても感じ取れます。何年か前に原爆は戦争を終わらせるために必要且つソ連との冷戦を見据えつつもという苦しい主張が米国民の大半だというデータを見た事があるが、若い人の間ではその認識は違ってきてるともあり、時代が変わると世論も少しづつ変わっていくのでしょう。
ナチスに先を越されることは許されないと開発を進める間にドイツは降伏し、完成してしまった原爆投下の目的は日本との戦争を終わらせる目的へとすり替えられる。瀕死に近いほど弱っていた我が国日本に向けて。

ニューメキシコ州ロスアラモス研究所で生まれたプルトニウム型とウラン型の原子爆弾。その父とされるオッペンハイマーは、「私たちには核爆弾を生み出す権利も責任もない」と言った。それに対しトルーマンは「その使用を決定するのは私だ」と答える。オッペンハイマーの鬱々とした表情が劇場のスクリーンに映し出されていた。
原爆の悲劇を漸く理解してきたのかアメリカ国民。時間かかり過ぎだけど。

しかし人間は同じ過ちを繰り返す生き物なのでね。あの過ちを二度と繰り返さないように。
くり返しません過ちは。
長崎市長と同じく良くも悪くも正しく表現された映画だというのがボクの感想です。この映画で一歩踏み出した気配はありました。


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