佐世保の起源

ペリーが黒船に乗って浦賀にやってきたのが1853。その後開国を迫られ、それまでの呑気で日和見的な江戸時代から世界の猛者たちが群雄割拠する弱肉強食の世界に放り込まれた我が国ニッポン。詳しくは猪瀬さんの「黒船の世紀」を読んでください。
このまま指を咥えて見ていたのでは外国に呑み込まれてしまうというので、殖産興業、富国強兵の名の下に大急ぎでつぎはぎだらけの「近代国家建設」を成し遂げ、ヨーロッパの大国ロシアとの戦争で大勝利したのが1905。詳しくは「坂の上の雲」を読んでください。
そんな時代に横須賀、舞鶴、呉、そして佐世保に海軍の鎮守府が置かれ外敵から国を守る国防の要衝とされた。
佐世保。元々は貧しい漁村に過ぎなかった港は多数の島々と複雑に入り組んだ湾の形が軍港を置くには大いに適しており、明治政府は日本の西の果てのこの小さな天然の良港を佐世保と名付け軍港を置いた。
名前の由来はそんな複雑な形の港を「葉港」と呼ばれることに由来する。ヤツデの葉っぱのような入り組んだ形の海を抱える港という意味。「サ」「世」「ホ」を縦に並べると「葉」という文字になる。だから佐世保。という説が有力らしいが定かではないともされる。
イギリスで建造された戦艦「三笠」は横須賀から佐世保に回航され、日露戦争に備えられた。日本海海戦にて日本艦隊は当時世界最強とされたロシアのバルチック艦隊を打ち破り、アジアの宗主国へと一気にのし上がることになる。
そんな佐世保。いろいろ走って見て回っています。
鎮守府が置かれた時の軍用倉庫が干尽の先っちょに建っていました。この倉庫は日露戦争後の1935年建造なのですが、約100年前に建設されたとは思えないほど立派なものでした。すごかったです。いやマジで。
その先まで走ってみると岬の先っちょに米軍基地がありますね。またか。いい場所押さえとる。さすが米軍。
干尽公園の桜がキレイでした。こんな坂の道の上の桜。アメリカ人の家族が花見してました。どこ行ってもメリケンな佐世保です。

本日天気晴朗ナレドモ波高シ

#坂の上の雲
#黒船の世紀


旧第五水雷庫
今日の佐世保港
干尽公園の桜
干尽公園 坂の上の桜

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