#6 夏油傑が堕ちた闇とは?

 呪術廻戦を単行本で読んでいます。
 私は呪術廻戦はジェンダーの問題を扱っている作品だなぁ、という印象が割りかし強いです。
 特に、アニメを見ていると、その印象をより強めてしまいます。
 
 男尊女卑はもはや私たちにとって時代遅れの代物ですけど、でも呪術廻戦の呪術師は、未だにそれをツールとして振り翳しています。
 なんで、そういう横暴が罷り通るんだろうと疑問に思ったんですけど、もしかして呪術師は純粋主義(ピューリズム)に冒されているんじゃないかなと、ふと思いました。
 
 純粋主義とは絵画の形式のことなんですけど、私はこれを「自己と他者を明確に区別し、他者を自分のテリトリーに入れないこと」として扱っています。
 これは、宗教で良く使われる論理なんじゃないでしょうか。例えば、禁足地。一般人は入ってはいけないよ、という場所ですね。
 あれは、私は正直良くわからないです。でも、多分ああいう聖域は、俗人が入ると場が壊れちゃう、みたいな論理が働いているんですかね。
 
 ピュアな空間って、言うんでしょうか。
 
 呪術師も、似たような論理が働いている気がします。
 呪術師って、全然非術師と関わらないんですよね。非術師と深い関係を築いている、という描写が全くと言って良いほど描かれていない。
 
 やっぱり、住む世界が違うからでしょうか。
 呪霊が見える人間と、呪霊が見えていない人間。同じ人間だけど、全く違う世界を生きているような気がする。
 非術師が呪術師を理解することは難しいでしょう。いや、無理だと言っても過言ではないかもしれません。
 だって、住んでいる世界が違うんだから。
 
 少数派の呪術師が自分達の存在を世間に公開したからって、待っている未来は火炙り一直線のような気がします。
 
 呪術師が呪術師としか関わらないのは、非術師とは住む世界が違うから。正直理解できます。
 でも、こういう論理は、行き過ぎるとナチズムに堕ちる危険性がありそうです。
 自分が特別だと錯覚し、自分以外の人間を下だと認識してしまう。そういうリスクがありそうです。
 
 実際、呪術界は結構腐っています。
 「禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず」という思想が是正されず、蔓延っている時点で大分ナチズムですよね。
 
 また、呪術師として非術師を守ろうとしていた夏油傑は闇に堕ち、非術師を「猿」だと見下すようになり、「非術師を皆殺しにして呪術師だけの楽園を作ろう」とする大義に取り憑かれました。
 殺した非術師から飛び散った血を汚いもの扱いする夏油傑を見て、すごく純粋主義に冒されているなぁ、という感想しか出てきません。
 
 でも純粋主義って、結構心地良さそうなんですよね。
 例えるなら、オタクグループが、自分達だけに通じるすごくニッチなネタで盛り上がるような。
 で、カジュアルなオタクを半端者だと見下し、排斥するのが、純粋主義の負の側面って感じです。
 
 誰でも、夏油傑のような純粋主義の闇に堕ちる危険はあって、大切なのは「自分は特別でも何でもない、只の人間」だと認識することのような気がします。
 鬼滅の刃の継国縁一の台詞とか、その辺かなり極まっていると思うので、載せようと思います。
 
「私たちはそれ程大そうなものではない。
 長い長い人の歴史のほんの一欠片。
 私たちの才覚を凌ぐ者が今この瞬間にも産声を上げている。
 彼らがまた同じ場所まで辿り着くだろう。
 何の心配もいらぬ。
 私たちは いつでも安心して人生の幕を引けば良い」

 
 私も、継国縁一のように生きたいものです。
 
 それでは、また。


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