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Rゆらぎと情報空間

 Rゆらぎについて、話していきたいと思います。
 この技術について、苫米地博士が『すべてを手に入れる残り97%の脳の使い方』で説明されていますので、それを引用します。
 
(引用開始)
 
 リラックスの次にやってほしいのが、「Rゆらぎ」という技術です。すでに私の著書では何度も紹介していますが、

 
「情報空間は、Rをゆらがせた者のものになる」  
 からです。  
 
 RはRealityつまり、本人が現在臨場感を感じている現実世界のことです。このリアリティをゆるがすテクニックが「Rゆらぎ」です。
 
(引用終了)

 
 情報空間とは、なんでしょう?
 誤解を恐れずに言えば、「あの世」です。
 では、物理空間。
 例えば、肉体や地面、家など、触ったり見たりできるものは「この世」なのでしょうか。
 実は違います。
 物理空間も「あの世」なのです。
 
 どういうことでしょうか?
 苫米地博士に訊いてみましょう。
 
(引用開始)
 
 あの世はあるけど「この世」はない
 「あの世はあるんですか」と聞かれたとき、以前の私は「あの世なんてないよ」と答えていました。
 考えてみましょう。たとえば肉体が死んでしまったら、神経系はもちろん機能しません。もしあの世が存在したとしても、それを観測することができません。観測できないものを存在すると言い張るのはオカルトです。
 幽霊もそうですが、宇宙の隅々まで観測可能な現代において、一度として幽霊が科学的な手続きで観測されたことはありません。前世や輪廻転成もそうです。
 仮に不滅の魂が存在したとして、その魂はどうやって前世の記憶を、どこに保持するのでしょう。私たちは脳に記憶を保持するわけで、その脳の連続性が絶たれているのに、前世の記憶があるはずがありません。
 以上の理由で、「あの世はあるのですか」と聞かれたら、「ないよ」と答えていたのですが、最近は答えを変えています。正確には聞かれた相手によって変えています。釈迦は対機説法と言いましたが、相手の理解や知識、抽象度に合わせて同じ問いでも答えは変わるのです。小学生と大学院生に同じ質問をされたら、回答が変わってくるのと同じです。
 最近は「あの世はあるけど、『この世』がないんだ」と答えています。私たちが存在すると確信しているこの物理的現実世界そのものが存在しないのです。幻影と言ってもよいですし、波動方程式と言っても良いのですが、要は情報だということです。
 確実にあるというのは、単に思い込んでいるだけです。知識があれば、物理的存在は波動方程式で書けることを知ることができます。しかし波動方程式は文字通り情報でしかありません。ですから「この世」がないのです。
 これもよく聞かれますが、「情報空間にアクセスすればいいですか」も同じです。そもそも情報空間ではない物理空間というものは存在しないのです。強いていえば物理空間は波動方程式の形で我々の頭の中にあるだけです。
 目の前にあるのが情報空間です。情報空間は私たちの目の前に広がっているのです。
(新・夢が勝手にかなう手帳2018年度版 Monthly Dr.Tomabechi Column6月)
 
(引用終了)
 
 難しい話ですが、この記事で伝えたいことは二つです。
 一つは、「物理的存在は波動方程式で書ける」ということです。
 そして、「波動方程式は文字通り情報でしかありません」ということです。
 
 建築物には設計図があるように、情報空間に属さない物理的存在は存在しません。
 そして、情報が書き換えられることによって、物理もまた変化します。
 まるで影のように物理は情報に追随するのです。
 
 例えば、設計図に手を加えると、建築物の完成形は変化します。
 
 他にも、テストなど緊張する場面に立つと、私たちのお腹は、キリキリと痛みます。
 別に、緊張が私たちの腹を物理的に殴っている訳ではありません。
 腹痛とはただの生理的現象です。
 
 つまり、緊張という実体のない情報が、私たちの情報的身体を書き換えることで、腹痛という物理的現象を引き起こしている、ということです。
 
 まさに情報が「先」で、物理が「後」です。
 
 この世の全ては情報であり、
 目の前に広がっているのは情報空間であり、
 情報とは書き換え可能です。

***
 
 情報空間については先ほど説明しましたので、「Rゆらぎ」の話に戻りたいと思います。
 
「情報空間は、Rをゆらがせた者のものになる」
 
 この意味とはなんでしょう?
 そもそも、Rゆらぎとはなんでしょうか?
 
 確固たる現実に生きていない私たちにとって、リアリティーこそが全てです。
 リアリティーさえあれば、私たちは映画の世界を本当の世界だと認識し、手に汗を握る、という生理現象すら引き起こします。
 
 情報はリアリティーによって書き換わります。
 リアリティーによって、現実は常にゆらぎ続けているのです。
 例えば、平安時代は美しい和歌を読める人が、美人だとされていましたが、現代では、肌が綺麗だったり、目がパッチリしている人が、美人だと言われています。
 
 であるならば、美の価値基準とは常に変化しており、絶対的な基準は存在しない、ということになります。
 
 現代に生きる私たちは、肌が綺麗だったり、目がパッチリしている人が美人という「情報」にリアリティーを感じているから、実際にそういう人に会って、美人だなと感じます。
 もし、平安時代の人間がこの時代の美人と会っても、和歌も読めない人はごめんだよ、と目を顰めることでしょう。
 
 では、「情報空間は、Rをゆらがせた者のものになる」 とは、どういうことなのでしょう?
 
 映画を例に出してみましょう。
 映画を見ている時、私たちは映画によって心を動かされます。
 あるシーンでは登場人物の滑稽さに笑みを溢し、あるシーンでは悲しみによって涙を流します。
 そして、それは基本的に、映画監督の狙い通りのはずです。
 映画監督は、例えばこのシーンで観客を笑わせよう、このシーンでは泣かせよう、と意図して映画を作っています。
 
 これの意味することは、つまり、観客の心は、映画監督によって操られているということです。
 笑うことも、泣くことも、他の生理現象も、監督の意志によって引き起こされているのです。

 まさに心の主導権を監督が握っているのです。
 どうやって握っているのでしょう?
 それは、リアリティーのある映画を作ることによって、です。
 リアリティーのある映画で、観客のRをゆるがせて、映画世界に没入させているのです。
 
 このように、私たちのリアリティーは、基本的に他人によってゆるがされ、支配されています。
 映画以外にも、CMでバイ菌による恐怖を煽ることで、洗剤を買わせるなど、様々です。
 
 だから、既に私たちの世界、情報空間は誰かに支配されている、と思った方が良いです。
 私たちは、誰かが意図して、流した情報によって、Rをゆらがされ、心身を支配されています。
 そこから脱する為に、私たちは意図的に自らの情報空間に「Rゆらぎ」を起こしていきたいんですね。
 
 何故なら、情報空間は、Rをゆるがせた者になるからです。当然、自分でRをゆるがせれば、情報空間は自分のものになります。
 自らの情報空間の支配者になる為に、どんどん自分の意思でRをゆるがしていきましょう。
 
 その方法論として最も有効なのが、Goal設定です。
 上手く設定できたGoalほど、情報空間をゆるがすものはありません。
 なので、たくさんGoalを設定しましょう。
 Goalというのは、あればあるほどRをゆらがせられるので、たくさん持つと良いです。
 
 それでは、また。
 

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