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トランスの練習を始めました

 最近、というより一日前からですが、深いトランスに入る練習を始めました。
 トランスと聞くと、あなたは何を想像するでしょうか?
 ゾーンや催眠状態などの、特殊な精神状態などでしょうか。
 それらは全て、トランスの一部という意味では、間違ってはいないと思います。
 
 トランスを理解する為には、“変性意識”というキーワードを覚えていただきたいと思います。
 コーチングを日本に広めた第一人者にして、認知科学者でもある苫米地博士は、変性意識についてこう説明されています。
 
(引用開始)
 
 変性意識(Altered States of Consciousness)とは、臨場感を感じている世界が物理的な世界ではなく、映画や小説といった仮想世界にある状態を指す。もちろん、現実世界の臨場感が全くなくなることはないので、現実世界よりも仮想世界の臨場感がより強い状態というべきだろう。映画を見ているときや、夢の中を漂っているときなどがそうだ。催眠状態も変性意識状態の一つである。この意識の変性度の高い状態が、一般にトランス状態といわれている。

 
(引用終了)
 
 上記のように、小説に臨場感を感じている状態、例えば登場人物の死に涙を流しているとき、私たちは変性意識を生成されています。
 トランスと聞くと、私たちは遠い世界の言葉のように感じますが、日常的に体験しているものです。
 
 私たちは、変性意識に対して、それに対立する通常意識があると思いたがります。
 フィクションに心を動かされている時が、変性意識であるならば、物理的現実世界に生きている時、私たちは通常意識にいる、というのが多くの人が信じている常識かもしれません。
 
 しかし、かなり前に、通常意識という概念は否定されています。
 仮想世界に臨場感を感じている状態が変性意識ですが、私たちが生きている物理的現実世界ですら仮想世界である、というのが認知科学の結論だからです。
 まさにマトリックスです。
 
 通常意識とは、目の前の物理的現実世界を意識するということです。しかし、私たちは桜を見たとき、「綺麗だな」と思ってしまいます。
 その時点で、既に変性意識なのです。
 「桜は綺麗だ」と感じさせる仮想世界に、臨場感を感じてしまっているからです。
 
 さらに言えば、私たちは重要度の低いものはスコトーマによって隠されているので、私たちは見たいものしか見れません。
 ありのままの物理的世界なんて、見えるはずがないのです。
 もし、常に通常意識でいられる人間がいるとすれば、その人は全ての重要度を排して、全てを等価値で見られる「悟った人」しかいません。
 
 だから、私たちが物理的現実世界だと思っているものは、私たちが見たいと思ったものだけで構成された仮想世界に過ぎない、という訳です。
 
 変性意識には様々なバリエーションがあり、トランスの“深さ”という価値基準があります。
 変性意識のバリエーションとは簡単です。
 
 小説の変性意識。
 映画の変性意識。
 スポーツの変性意識。
 仕事の変性意識。
 
 私たちの営みの全てが変性意識です。
 もはや概念の数だけ、変性意識があると言っても、過言ではないかもしれません(過言かな?)。
 その様々な変性意識から、私たちは好きな変性意識を選択して、その仮想世界に生きています。
 
 対して、トランスの深さとは、特定の仮想世界にどれだけ臨場感を感じているか、ということです。
 このトランスの深さが、当人の能力を決めると言っても良いと思います。
 トランスが深い人は、能力が高いです。
 例えば、一流のスポーツ選手は、それだけ深いトランスの中で生きています。
 もし、一般人がそのトランスに入ったら、一瞬で眠ってしまうほどに、深い……深いトランスです。
 
 スポーツ選手は、そのトランスの中で結果を出し続けています。
 
 何故、深いトランスに入るのが良いのかと言えば、恐らく、スコトーマが外れるからではないでしょうか。
 本を例に出して、解説したいと思います。
 注意散漫な人が本を読むのと、集中して一心不乱に本を読む人では、どちらの方がより多くの情報を得られるでしょうか。答えは言わなくても分かると思います。
 
 特定の仮想世界を身体で深く感じることで、一般人であれば見つけられないような、些細で、されど重要な情報を見つけることができる。
 これが、深いトランスに入る一つの利点だと思います(他にもメリットは沢山あると思いますが)。
 
 有り体に言えば、深いトランスに入れる人は、成長が早い、ということです。
 誰でも変性意識の中に生きていますが、そこで差が出るのは、凡人と天才で別れるのは、トランスの深さだと私は思います。
 
 そう思ったので、トランスの練習を始めてみた訳です。
 練習方法は伏せますが、今まで入ったことがない深さのトランスに入り……物凄く気分が悪くなりました。
 
 頭は重く、身体はぐらつき、喉が干上がるように乾きました。冗談抜きで、水を飲まないと死にそうだと思いました。恐怖体験ですね。
 でも、まあ、こんなものなのかもしれません。
 
 深いトランスに入るのは、意外と恐怖です。
 酒を飲んで頭がポヤポヤするのとは、同じトランスであっても、質が違います。
 これには、過去に深いトランスに入ったことによる失敗体験を思い出した、という線もあるかもしれませんが、どちらかと言えば、認知的不協和が原因かと思います。
 
 トランスについて調べる為に、ブログを漁っていると、とても為になる情報に出会えましたので、引用させていただきます。
 
(引用開始)
 
 その理由は一言で言えば認知不協和です。

 すなわちホメオスタシスが移動することによる認知不協和が情動をかきたてます。

 深い変性意識状態や深い脱力状態は物理的現実世界のリアリティが失われ、むしろ情報空間にリアリティが移行します。逆向きに言えばそのために脱力や変性意識の訓練をします。物理的現実世界に高い臨場感があっては、気功も催眠もバレエも不可能です。物理的現実に絡め取られてしまうからです。

 しかしホメオスタシスの移動の際は非常に強い認知不協和に陥ります。安定していないから当然です。ゲシュタルトが統合しようとします。統合していないという感覚が認知不協和となるということです。
 この認知不協和に情動が絡むとき「恐い」という情動が起こります。もちろん「恐い」という情動が必ず起こる必然性はありません。たとえば「笑う」という行動はしばしば認知不協和のときに起こります。「気持ち良さ」や「楽しい」も同様です。どの情動や行動と絡むかはしばしばランダムであると見做せます。
『深い変性意識状態で起こる強い情動の原因と対処』
 
(引用終了)

 
 これを回避する術はなく、私たちにできることは“慣れる”ことだけなのかもしれません。
 とはいえ、少なくとも、悪いことではありません。別に、歓迎すべきことでもないとは思いますが。
 
 一番、回避しなくてはいけないのが、トランスにビビって、通常意識(無いのは分かっていますが、あくまでヒューリスティック的に)に戻ろうとすることです。
 私たちは、常に深いトランスの中に生きていたいのです。
 
 なので、私はトランスに入って気分が悪くなった時に、私自身にこう語りかけていました。
 
「……いや、これで良い。
 この状態が良いんじゃあないか」
 
 イメージは『ジョジョの奇妙な冒険』です。
 「危険だ、逃げろ!」と警告する仲間に対して、「いや、これで良い。私はこれを狙ったんだ」と不敵に笑い、大逆転するイメージです(……分かりづらい?)。
 
 深いトランスに入るだけでは落第点で、その状態で通常意識状態のように、思考して行動できるようになるのが、私の目的です。
 それに必要なのは「慣れ」だと思うので、何度も繰り返して慣れていきたいと思います。
 
 以上、個人的なここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
 それでは、また。
 

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