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私はもっと優しい人間でいていいのだと思いました



 昨日は、M先生とのセッションを受けました。
 先生には、前日に書いた記事を読んでいただき、「君にかけられた呪いが表れている記事ですね」と指摘を貰いました(笑)。
 
 ちなみに、この記事です。
 


 「呪い」と言われても、はっきり言って、なんのこっちゃですね。
 でも、実際に呪いというのは存在します。
 私自身のイメージとしては、創作のようなおどろおどろしいものではなく、小人のように気づけないもののように感じました。


借り暮らしのアリエッティは「呪い」としては不適当かな


 臨場感がない、と言うべきでしょうか。
 
 気づかない間に、心身が壊されていって、気づいた時には、もう手遅れだった、みたいな感じかもしれません。
 コロナ禍とかが、まさにそうでした。
 
 セッションで、呪いについて教えて貰って、ようやく私はコロナに心身を冒されていたんだな、と気付けました。
 多分、今も解毒中だと思います。
 
 呪いとは、色々な種類があるのだと思いますが、今回私が先生に教えて貰ったのは、前時代、ブラック社会の「毒」についてでした。
 
 以外、引用します。
 
(引用開始)
 
 ヒーラーとして成功する人、あるいは現代社会で成功する人たちには共通したスティグマがあるとされています。

 ちなみにスティグマって何かというと、元はギリシャ語で「烙印」という意味で、属性とかパターンといった言葉でも言い換えることができます。

そのパターンを一言で言ってしまうと、「成功しても不幸」ということです。世界大戦というジェノサイド由来の毒が世代を跨いで回っています。

かつての成功者の多くがその毒ゆえにエフィカシーが低く、渇きを何とかして潤そうとする強迫観念で際限なく努力をし、圧倒的に結果を出してもそれに安住できずまた強迫的に次のゴールに取り組む、、、というパターンです。

またその反対には、毒ゆえに心身を損ね沈んでいく人たちもいます。毒ゆえに成功した人とそうでない人の違いは、自分の得意で才能があることを見つけられたか否かでしょう。得意なことを見つけられた人(で身体が頑丈な人)は毒ゆえに成功しますし、逆にそう出ない人は毒ゆえに失敗していきます。
 

(引用終了)
 
 つまり、「have to」とか「苦行」とか、そういったことを率先してやって、成功しようとする思考が「毒」でした。
 他にも、炎上商法や、誹謗中傷、優しさがない正論など、そういった自分も他人も傷つける言葉や行動を取ることで、今までは成功してきました。
 
 苦しむことが、傷つくことが、辛いことが、多ければ多いほど成功できる、という感じでしょうか。
 当然、殆どの人は上手くいきませんし、成功している人も心身はボロボロです。
 なので、たとえ社会的に成功しても、本人は実感は得られませんし、幸せにはなれません。
 
 それが、私たちを侵す「毒」であり、その毒を解毒していきましょう、というのがこれから私たちが求められることでもあります。
 自分も他人も傷つけない為に。
 
(引用開始)
 
 だけど時代が大きく変わり、そのような毒ゆえのブラックさが忌避されるようになり、表現や行動もホワイトなものに変わってきました。かつて毒舌で鳴らしたタレントは随分と柔和になり、街でもあまり喧嘩は見かけなくなりました。

また例の感染症の騒動でそれは加速し、すでに時代はホワイト社会(©︎岡田斗司夫)に変わりました。その時代の流れを見誤ってしまうと、社会の中で生き残って自分の好きなことをやり続けることが難しくなります。
 
(中略)

 
 なので早めに表現や振る舞いをブラックにしてしまう毒を抜いて脱洗脳せよというのが気功の総本山からのメッセージでした。そして脱洗脳を進めると同時に、自分の能力の輪(©︎ウォーレン・バフェット)の中に留まり、その中でゴールを設定せよとメッセージは続けられます。
 
(引用終了)
 
 私も、ランニングしながらアファメーションという、自分を苦しめる意味不明な苦行を自分に課していました。
 過去の自分がおバカ過ぎて、なんだかちょっと愛おしいですね^_^。
 
 過去の私も自分が嫌いでした。
 意志が弱くて、継続する力がなくて、嫌なことからはすぐ逃げてしまうような人間でした。
 そんな自分が嫌いで、だから、自分を責める為に苦行を課していたのだと思います。
 
「もっとだ。まだまだ頑張れ!」
「全然努力が足りないぞ!」
 と。
 
 だから、厳しい人間に無意識に憧れを抱いていました。
 言葉が強くて、努力ができて、カクカク尖ってて、それが格好いいと感じていました。
 
 でも、それも「毒」でした。
 
 本当の私は、もっと優しくて、もっと暖かくて、もっと柔らかくて、もっと丸くて、もっとかわいいのです。
 自分がそういう人間であることを認めようと思います。
 
 使う言葉はもっと柔らかくて良いですし、文章は心を突き刺すのではなく、そっと読者の皮膚に触れるような、そんな文章を書いていこうと思います。
 
 正直なところ、セッションについて書くことはまだまだ沢山あるのですが、テーマを統一しておきたいので、これで終わりたいと思います。
 
 またね、ばいばい。
 
 

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