ルー・タイスの言う「現在地」とはなんですか?
私の先生が、以前書いた記事『Goal設定とは、自分を殺す行為なのかもしれない』のルー・タイスの引用の誤用を指摘していただいたので、それを基に今回の記事を書いていきたいと思います。
ちなみに、引用した文章はこれです。
(引用開始)
私たちは自分が何者なのか、今どこにいるのか、これからどこに向かうのかを知らなければなりません。「現在地」すなわち現在の状況を知って受け入れることは「目的地」を想像して頭に刻み込むことと同じように重要です。(ルータイス「アファメーション」)
(引用終了)
改めて読み返すと、この文章を引用する必要はなくて、黒歴史を読んでいるみたいで、恥ずかしかったです。
実は引用した理由は、特になかったんです。
なんとなく入れてみました。そのせいで、この引用がノイズになってしまいました。
せっかく良い文章なのに、申し訳ないです。
もっと文章に対して、真摯でありたいものです。
一つ一つの単語と、その繋がりを意識していきたいです。
もっと精進します。
それでは、本題に入ります。
ルー・タイスの言葉によると、私たちはGoalを設定することは大事ですが、それと同じように、現在地を知ることも重要なようです。
しかし、現在地とはなんでしょう?
どうすれば、私たちは現在地を知ることができるでしょうか?
どうしても分からなくて、私のことを私より知っている先生に、「私の現在地とはなんですか?」と訊きたくなります。
でも、その時点でドツボに嵌っています。
現在地とは、ありません。
M先生はそれを分かりやすく解説してくれる文章を、引用してくれました。それを私も紹介したいです。
(引用開始)
ということで、結論から言います。
ルータイスの使っている意味で「現在地」という言葉を使い、
「自分の『現在地』が知りたい」
「自分の『現在地』を教えてくれないか」
という人に対する回答はシンプルです。
現在地など無いのです。
現在地は無いのです。
無いものを観ようとするから、闇に落ちるのです。
「いや、ルータイスが言っていました」って、言うかもしれません。
じゃあ、聞きますが、ルータイスが本当に言っていましたか?ルータイスが言っていたと主張する人の話を聞いただけでは?
我々はアファメーションという書籍を議論の土台としているので(誤訳も多いのですがw、とりあえず)、そこから引用してみましょう。
(引用開始)
高パフォーマンスの人はホワイトヘッド的な世界に生きています。彼らにとっては、現状は一時的なものでしかありません。「人生はこういうもの」と言う代わりに、彼らは毎日、新しい現実を築いていきます。
(引用終了)
*ブログタイトルはこのルータイスの言葉を少し短くしました。
「現在の現実は固定されていない」ともルータイスは言います。
それなのに、なぜ「現在地」を見つめるのでしょう。
シンプルな話です。
ゴールを見つめた結果としての、影のようなものが現状であり、現在地です。
重要なのはゴールなのです。
そして強いて言えば、ゴールの数だけ現状が存在します。
Dr.Tがクリプキはボロボロに間違っていると言ったのはこの点にあります。
クリプキは可能世界は無数にあると考えましたが、現状という可能世界は一つだと考えました。
これがクリプキの限界であり、西洋哲学の限界であったとDr.Tは考えています。
正確には現状(SQ)はゴールの数だけあります。
だから「一時的」とルータイスは言います。カチャカチャとゴールが切り替わり、カチャカチャ更新されている中で、現状はどんどん変わるのです。
ですから、今の現状がもし気に入らないと考えるなら、ゴールを更新すれば良いのです。臨場感を高めれば良いのです。
(引用中断)
ゴールが先にあり、その写像として現状、強いていえば「現在地」があります。その逆はありませんし、現在地だけが固定的に存在するわけでもありません。
ゴールという強烈な光が綾なす影こそが、現状であり、強いていえば「現在地」です。その影ばかりを見つめていても、どこにも行けませんし、せいぜい現状の最適化しかできません。そしてその最適化はイコール死を意味するのは、ご承知の通り。
まずはゴールという光を求め常にその影である一時的な現状を、さらに大きくゆらがしていきましょう。
そして本家本元の理論や言葉をたどり、それをトレースして実践を通じて自分の中で再構成する中で理解を深めていきましょう。先ほどの記事から続きを引用します。
(引用再開)
間違った理論の解釈は間違った方向へ突き進めさせます。
決して難しい理論ではありません。シンプルに虚心にルータイスのアファメーションなり、苫米地本を読みましょう。
自分の頭で考えましょう。
誰かが言っていたではなく、とことん自分のロジックを極めていくことです。
(引用終了)
この文章を読むと、なんとなく「現在地」について分かった気がします。
でも、なんとなくで終わるには、あまりにも勿体ない情報だと思います。
なので、少しでも、身体に刻んでいく為に、私なりに読み解いていきたいと思います。
この引用では、「現在地」はないと書かれています。
そして、それを理解する為に、引用された文書がこれです。
(引用開始)
高パフォーマンスの人はホワイトヘッド的な世界に生きています。彼らにとっては、現状は一時的なものでしかありません。「人生はこういうもの」と言う代わりに、彼らは毎日、新しい現実を築いていきます。
(引用終了)
現在地は「ない」です。
しかし、ルー・タイスは現在地を知ることは大切だと言いました。
これの意味するところは、私たちが信じている「現在地」はない、ということだと思います。
私たちは、現在地とは固定されているものと思っています。
まるで、大地のように揺るぎなく固定されているのが「現在地」だと考えています。
しかし、現在地は揺らぎます。揺らぎ続けます。
固定されている現在地などないのです。
それは、まるで仏教の縁起のようです。
というか、同じだと思います。
私たちは周りとの関係によって存在し、その関係の変化によって私たちはどんどん変わっていきます。老いますし、いつか死にます。
例えば、〇〇と恋人になれば、「〇〇の恋人の私」になりますし、〇〇にフラられて、新たに●●と付き合うことになれば、「●●の恋人の私」になります。
私たちも、私たちが生きている世界も、ダイナミックに変化し続けています。
永遠に変わらないものはありません。
まさに、諸行無常です。
故に、アプリオリな「現在地」はありませんが、諸行無常という意味での「現在地」はあります。
ルー・タイスはそれを知りなさい、と言ったのでしょう。
私はそう受け取りました。
***
次に、「ゴールを見つめた結果としての、影のようなものが現状であり、現在地です」という文章について、考察していきたいと思います。
この文は、例えです。
何の例えかと言うと、RASとスコトーマの関係です。
私たちは脳が重要だと認識した情報だけを見ることができます。
それ以外の情報は全てスコトーマです。
面白いことに脳は、一度でも見た情報は、再度認識することはありません。
過去に見た情報は、その過去の記憶を合成することによって、脳は私たちを「見ている」と錯覚させます。
例えば、実は私たちは、広告や宣伝写真などを見ているようで見ていません。
見ていると錯覚しているだけです。
私たちはその広告に疑問を持つ、もしくは気になることによって、初めて「あ、こんなことが書いてあったんだ」と認識することができます。
私たちは、ありのままに世界を見ることはできません。
つまり、私たちが生きている世界は、脳が見たいと思った情報だけで構成された「仮想世界」なのです。
そして、この仮想世界は、常に揺らいでいます。
私たちは、Goalを設定することで、より意図的に揺らがせていきたいのです。
Goalを設定すると、脳の情報の重要度が変化します。
例えば、「テストの成績を上げること」がGoalなら、脳はテストの成績を上げるための情報を見ようとします。
「モテたい」というGoalなら、モテる為の情報を収集しようとするでしょう。
そうやって、たくさんGoalを設定することで、どんどん現状を揺るがせていくのが、Goal達成の道です。
重要なのは、Goalの設定なしに、私たちは意図的に現状を揺るがせることはできないということです。
Goalを設定していないのに、Goal達成の情報が見えることはありません。
影は物体がないと生まれることはないように、Goalが「先」で、現状は「後」です。
だから、現在地はGoalの影なのです。
そうすると、ルー・タイスの伝えたかったことが見えてくるような気がします。
(引用開始)
私たちは自分が何者なのか、今どこにいるのか、これからどこに向かうのかを知らなければなりません。「現在地」すなわち現在の状況を知って受け入れることは「目的地」を想像して頭に刻み込むことと同じように重要です。(ルータイス「アファメーション」)
(引用終了)
つまり、Goal設定と同じように大切なのは、現状を揺るがすということ。
その為に大切なのが、現在の状況を知って受け入れることです。
すなわち、Goal側からの情報を受け取ることで、より現状を揺るがしていく、ということなのではないでしょうか。
Goalを設定すること。
Goalからの情報を受け取ること。
この二つを同時に行なっていくことで、一時的な現状をさらに揺るがしていく。
そうすれば、Goalは達成される。
そういうことでしょうか。
私はそう考えました。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、また。