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緑の森の闇の向こうに【創作大賞2024】まとめ読み版

<あらすじ>
大手宇宙船メーカーの新人ティリーは頭を抱えていた。またもや『厄病神』の宇宙船で出張に出かけることになったのだ。先週訪れた星ではデモ隊と警官隊の銃撃戦に巻き込まれて契約どころではなかった。『厄病神』の船で出かけると失敗するというジンクスがある。だが確率的に今度は大丈夫に違いない。と信じて出かけた新興星で環境テロが勃発。宿泊していた高級ホテルが砲撃された。弊社が標的って、どういうこと? ティリーたちの知らないところで工場の拡張をめぐり話がおかしな方向に進んでいた。テロリストにも現地政府にも文句を言わずにいられない。ダメ社員と名高い先輩とティリーは厄病神に力を借りて立ち向かうことにした。

 その時は、単なる事務連絡だと思った。 
「三十九度の高熱が出て、自宅で寝込んでる」
 いつも元気なベルの声がかすれていた。
「お大事に」
 と返してから気が付いた。ベルは明日からパキ星へ出張に出かける予定が入っている。即座に課長が近づいてきた。
「ティリー君、休暇の日程をずらせないかい。申し訳ないが、ベル君の代わりに出張へ行ってもらいたいんだ」
 わたしは明日から三日間、特別休暇をもらえることになっていた。ゆっくり休みたいのが本音だ。一方で課内でほかに動ける人がいないこともわかっている。同期のベルとわたしはお互いの業務を把握していて、わたしが課長でもわたしに頼むだろう。
「休暇の日数を増やすよう申請しておくから、出張から帰ったら存分に休んでくれ」
 休みがなくなるわけではないようだ。長く休めるのはラッキーかもしれない。
「わかりました。出張へ行ってきます」

「よろしく頼むよ。詳細は共有フォルダの中にいれてあるから」

 ベルの出張は、地方星系のパキ星にある現地工場の視察だ。わたしが勤める大手宇宙船メーカーのクロノスは銀河中に工場を持っている。
 新興星で人件費が安いパキ工場で、このところ納期の遅れが多発していた。実際に現地へ足を運んで実態を見てくる、というのが出張の目的。新入社員であるわたしとベルの仕事は主に記録の作成で、先輩社員の補助的役割だ。
 とりあえず、調査部の分析資料から目を通す。
 おかしい。フォルダの中に記録シートがない。ベルが持ち帰っているに違いない。
 ベルはプライベートでは頼れるのだけれど、仕事が大ざっぱで時々不安になる。これは顔を合わせて引き継いだ方がいい。見舞いがてら、ベルのアパートへ出かけることにした。

 いつもは元気でスポーツ万能なベルが、ベッドでぐったりと横になっている姿は痛々しく見えた。

「大丈夫?」
「うん、夏風邪だってさ。薬でだいぶ楽になったんだけど」
 ベルもわたしも一人暮らしだ。
「鬼の霍乱って、このことよね。何か手伝おうか?」
「ありがと。一通りプログラミングされてるから大丈夫」
 薬やご飯の心配はなさそうだった。記録シートを受け取り、中身を引き継ぐ。
「ごめんねティリー。ほんとは明日から休みだったんだよね。先週の出張、大変だったもんねぇ」
 ベルが恐縮している。そう、先週のわたしの仕事は、会社が慰労の特別休暇をくれる、というぐらい大変だったのだ。
「といっても、ベルも知ってのとおり、休みに何の予定も入れていないのよ」
「本当にごめんね」
 身体を小さくして謝るベルに、体調不良はお互いさま、と言おうとした時、
「もう一つ引き継ぐことがあるの……」
 充血した目でわたしをじっと見つめた。ただならぬ雰囲気に嫌な予感がする。
「な、何?」
「船がフェニックス号なの」
「えっ?」
 思わず手にしていた資料を落としてしまった。

 『厄病神』の宇宙船フェニックス号。その船で出かけると失敗する、というジンクスがある。まさに先週、わたしはそのフェニックス号で出張に出かけ、そして、大規模デモと警官隊の武力衝突に巻き込まれたのだ。ジンクス通り契約どころじゃ無かった。
 部長からは「『厄病神』の船で出かけたのだから仕方がない」の一言で片づけられ、またもやフェニックス号の悪名は高くなった。
 もはや、誰もフェニックス号には乗りたがらない。
「仮病じゃないよ」
 ベルは申し訳なさそうな顔で言った。
「わかってるわよ」
 仮病じゃないのはわかるけど、仮病を使ってでも『厄病神』の船に乗りたくない気持ちもわかる。
 床に落ちた資料を拾う。
「泊まる場所はフェニックス号じゃなくて現地支社が高級ホテルを用意してくれたから……」
 病人に文句を言っても仕方がない。わたしはつとめて明るい顔をした。
「あんな目にあったばかりだから、確率から言えばきっと今度は大丈夫。わたし、計算は得意なの」
 この見通しがどれほど楽観的だったか、後に知ることとなる。

「ティリー君、よろしく」
 野太い声がした。一緒に出張へ出かけるダルダ先輩だ。

「こちらこそ、よろしくお願いします」
 大柄で肌がよく灼けている四十代半ばのダルダさんは、明るくて豪快な人だ。でも営業成績はあまりよくない。
「君、先週フェニックス号で出かけて大変な目に遭ったんだって?」
「え、ええ」
 先週のことを思い出すと気分が重たくなる。
「『厄病神』の船じゃ何があっても不思議じゃないけどね」
 これからその船に乗るというのに、まるで他人事のようだ。
「ダルダさんは平気なんですか?」
「俺はあいつと何度も仕事してるけど、あいつはボディーガードとして腕が立つ」
 あいつというのはフェニックス号の船主『厄病神』のレイター・フェニックスのことだ。

「君もあんな目にあっても、怪我一つしなかったんだろ」
 レイターは操縦士であると同時にわたしたちを警護するボディーガードだ。おちゃらけた見た目と違って腕が確かなのは、身を持って知っている。

 だけど……ダルダ先輩は知らないのだ。
 あれから一週間しか経っていないのに彼は大丈夫なんだろうか。不安だ。レイターから会社に報告するなと止められているけれど、ダルダさんにはリスクを共有しておいた方がいい。
「実は、先週、レイターは銃で撃たれて大怪我をしたんです」
 こっそり伝えるとダルダさんは意外だという顔をした。
「へえ、珍しいな。撃たれる前に撃つって奴なのに」
 ギクリとした。
 思い出したくない景色が目の前に浮かぶ。レイターは撃たれる前に撃ち、狙撃犯をわたしの目の前で射殺した。

 あの時レイターはわたしを助けてくれたのだ。わかっている。感謝もしている。けれど心が追いつけない。
 わたしの生まれ育ったアンタレス星では、銃は所持しているだけで重罪なのだ。銃のせいだ。銃が悪いのだ。レイターに銃を持たないで欲しいと頼んだ。
 そして、彼は撃たれて怪我をした。撃たれる前に撃てなかったからだ。わたしのせいだ。
「ティリー君、そんな怖い顔しないで。人生はロマンとスリルだから」
 ダルダさんは意に介す風でもなかった。これまで『厄病神』と仕事をしても、ジンクスに負けず平気だったということだろうか。それならそれで心強いのだけれど。
「フェニックス号で行こうがどうしようが、俺はダメ営業部員だからね。関係無いのさ。ガハハハハ」
 『厄病神』と『ダメ部員』。
 ダルダさんの豪快な笑い声を聞いていると、一気に不安が募ってきた。

 フェニックス号のリビングに厄病神はいた。相変わらず髪はボサボサ、第二ボタンまでネクタイを緩めただらしない格好をしている。
「よ、ティリーさん。休み返上なんだって? また一緒にお仕事できるたぁうれしいねぇ。これも運命の赤い糸だぜ」

 赤い糸なんて真っ平だ。先週、あんな大変な目にあったというのに、この人の記憶はどうなっているのだろう。
「あなた、怪我は大丈夫なの?」
「あん? 怪我? 何のことかなぁ?」
 へらへらと笑う様子を見ていると、心配した自分がバカみたいな気持ちになってくる。横で聞いていたダルダ先輩が
「ティリーさん、こいつは不死身だ。死んでも生き返る奴だから、心配ご無用、ガハハハハ」
と大声で笑った。笑い事で済めばいいのだけれど。不死身の厄病神なんて最悪だ。
「なあ、レイター。今回、俺たちが視察するパキ星の工場は、どうして生産が遅れているんだ?」
 ダルダさんが真面目な顔になった。現地からの報告ではそれがわからないから、わざわざ足を運ぶのだ。それにしても、この質問はボディーガードの彼にではなく、アシスタントであるわたしに聞くべきじゃないだろうか。
「簡単簡単。あんたんとこの、工場をでかくする計画のせいさ」
 無責任な答えにわたしは反論した。

「部外者が適当なこと言わないで。拡張計画について反対運動は起きているけれど、現地でちゃんと対策を打っています。それよりも現地労働者との賃金交渉がうまくいっていないことが問題だ、って調査部は分析しているわ。パキ星は労働組合が強いのよ」
 資料は昨日のうちにすべて読んで頭に入れてある。ベルのピンチヒッターだけど、ちゃんと仕事の内容を理解していることを、先輩にアピールしておかなくては。
「へえ、そうなんだ」
 と感心したのは、レイターではなくダルダさんだった。冗談なのか何なのかよくわからず、思わず先輩の顔を見つめる。
「いやあ、まだちゃんと資料読んでないんだよ。ガハハハハ」
 頭をかくその表情から察するに、冗談ではなさそうだ。この出張は二週間前には予定されていた。『ダメ部員』という言葉が頭をよぎる。
「レイターに話を聞けばいいと思ってさ」
「え?」
 その言い訳は言い訳になっていない。
「情報部の資料より、こいつのほうが信用できるし」
 その理屈は、さらにわからない。
「ったく、あんたはいっつもそうだ。ちゃんとカネ払えよ。お宅の会社が買収を決めたパキ星の工場拡張予定地に、きのこのパキールの自生地が含まれてる、ってことぐらいは知ってるよな?」
「ああ、そこは読んだ」
 ダルダさんがうなずいた。レイターが言ったことは資料の冒頭に書いてある。パキールは現地の特産品きのこで、パキ人にとっては、なくてはならない食材ということだった。特に自生地で採れる天然物は人気がある。
「だから、パキールを植え変えることで合意したんでしょ。すでに植え変えは始まっていて、反対運動も収束したとあったわ」
 情報部の資料にはちゃんと結論まで載っていた。
「さすが、俺のティリーさん。ダルさんと違って、よ~くお勉強してるねぇ」
 どうしてこの人は、人の神経を逆なでするような言い方をするのだろう。
「その呼び方やめてください。とにかくその話は収まってるのよ」
「確かに一旦は収まった。けど、その後、植え変えたパキの木が移転先で次々と枯れてんだ」
「え?」
 そんな情報は資料のどこにも載ってなかった。
「反対運動はどうなってるんだ?」
 ダルダさんが聞いた。
「もちろん、またまた盛り上がっちゃって連日ストライキさ。だから、納期に間に合わねぇのさ」
 筋は通っているけれど、にわかには信じ難い。
「レイターの言うとおりだとしたら、どうしてそれが情報部の資料に載っていないわけ?」
「そりゃ、現地が情報を上げてねぇんだろ。あそこは政府が通信回線握ってるから、外から情報得にくいし」
「じゃあ、どうしてあなたは知ってるのよ?」
「んぱっ」
 変な顔をして、わたしの質問をはぐらかした。
「いずれにしても、パキールの自生地を工場予定地にしたあんたの会社の失敗さ。パキ星政府は企業を誘致したくて、おいしいことばっかり並べ立てた。国民感情を甘く見過ぎたのさ。食い物の恨みは怖いぜ」
「な、こいつの情報はためになるだろ」
 ダルダさんがウインクした。
「情報料は別料金。振込先はわかってるよな」
「ガハハハ。俺が払わなかったことがあるかよ。ふむ、土は大事だな。俺の実家は農家でね、子供の頃、土の入れ替えをよく手伝わさせられたもんだ。それが嫌で俺は家を継ぐのを弟に任せて、サラリーマンの世界に入ったんだ」

「そうなんですね」
 初めて聞く話だった。レイターが鼻で笑った。
「ふふふん。確かに実家は農家だねぇ。商社も手がける年商百億の家族経営の農家」
 年商百億?
「ダルさんは今も毎年一億リルの小遣いを親からもらってんだぜ」
 一億リルのお小遣い?
「しょうがないだろ、実家の節税対策なんだから」
「ま、あんたにとっちゃ、クロノスの仕事は趣味だからな」
 仕事は趣味?
「ノンノン。趣味じゃないさ。人生に必要なロマンとスリルの一部だよ。ガハハハハ」
 ロマンとスリル。聞くたびに脱力しそうになる。仕事に対する緊張感がまるでない。ダルダ先輩の上に『ダメ部員』という文字がくっきり見えてきた。

 パキ星には一日で到着する。ソラ系を抜けたフェニックス号は安定飛行に入った。
 普段レイターはこの船を自宅として使っている。そのせいか内装が宇宙船らしくない。操縦席とリビング、ダイニング、キッチンが一体化している船なんて見たことがない。船主である本人によれば、この船は拾ったのだという。大手宇宙船メーカーであるうちの研究所でも、どこのメーカーのものか割り出せなかったそうだ。出張時には通常、弊社クロノスの船を使用するのだけれど、フリーランスの『厄病神』の船は競合しないから問題ないと許されている。
 キッチンからデミグラスソースのいい香りがしてきた。
 レイターが火を細め、鍋をかき混ぜている。今どき珍しい火を使ったコンロ。安全上問題がありそうだけれど、法的には問題ないらしい。レイターは食にうるさい。実は『厄病神』の船は食事がおいしいことを先週の出張で知っている。
 耳にイヤホンをしたレイターが愉快そうに笑った。
「ねえ、何聞いてるの?」
「あん?」
 レイターが片耳のヘッドホンをはずす。
「何聞いてるの?」
「セクシーなお笑い。ティリーさんも聞く?」
 セクシー、という言葉に一瞬戸惑う。正直なところ下ネタは好きではない。
 レイターがにやっと笑った。
「ま、ガキには早いな」
 カチンときた。この人はいつもわたしを子ども扱いする。

「貸して!」
 わたしはイヤホンを奪い取るように手にした。緊張しながら耳に当てる。
「?????? 何これ?」
 聞いたことも無い言語だった。エロティックな話なのか何なのか、笑い声以外はさっぱりわからない。
「パキの現地語ラジオさ。面白いだろ? パキは歓楽街が充実してるから、素敵な女性との出会いが楽しみでさ」
「は?」
「先週は遊べなかったじゃん」
 この人が女たらしだということを思い出した。

* *

 パキ星は銀河連邦に所属して間もない星だ。水と日差しに恵まれ、植物の生育が早い。というか早すぎて陸地の八割が未開の原生林となっている。農林業が主な産業なのだけれど、パキ政府はこのところ宇宙船メーカーであるうちの会社のような連邦大企業の工場誘致に力を入れていた。

 林を切り開いてできた首都のパキ空港に、フェニックス号が着陸した。
 先週の出張ではこの船をホテル替わりに利用したのだけれど、今回は現地のパキ支社が、わたしとダルダさんの宿泊先として高級ホテルを予約していた。連邦資本の五つ星、レイモンダリアホテル。ここの系列ホテルがわたしの住むソラ系にもあるけれど、一泊でひと月のお給料が吹き飛ぶような値段だ。わたしごとき新入社員にこんなホテルを用意するなんて、現地支社にとって本社からの視察というのは、かなり気を使う案件なのに違いない。
 案内されたのは最上階の二十五階だった。ソラ系では高層の部類に入らないけれど、この星では一番高いビルだ。
 部屋に入って思わず窓に近づいた。観光パンフレットで見た緑の海だ。リゾート開発されていない天然林が地平線まで続いている。深い緑のキャンパスのところどころに明るい黄緑の色彩が重なっていて、白波を彷彿させる。大パノラマに圧倒される。
 この部屋は、わたしの実家の一軒家より広いんじゃないだろうか。リラックスルームは使い放題。シャンプーなどの使い捨てアメニティーグッズは、最高級ブランドが何種類も並んでいた。おしゃれなパッケージにため息が漏れる。アンナ・ナンバーファイブのヘアトリートメント。いい香りにとろけそうだ。
 ふかふかのソファーに腰掛けながら大画面テレビをつけると、普段見慣れた番組が流れていた。
 チャンネルを変えると現地語の番組もやっている。でも通訳の副音声はついていなかった。結局いつも見ているドラマの続きを堪能する。
 何だかベルに悪いなあ。これじゃあ旅行だ。 せめて高級シャンプーをお土産に持って帰ろう。

 ダルダさんは隣の二五一四号室だ。大金持ちのダルダさんは、いつもこういうホテルを利用しているのだろうか? 
 先週の出張は大変だったけれど、先輩に言われた通りのことをしていれば良かった。けれど、今回は不安だ。わたしがしっかりしなければ。

 翌朝、時間通りにレイターの運転するエアカーがホテルへ迎えに来た。
「アンナ・ナンバーファイブか」
 隣の運転席でレイターがつぶやいた。

 ドキッとした。さっき使ったヘアオイルだ。
「よくわかったわね」
 そんなに香りは強くないと思ったのに。わたしには不相応だっただろうか。
「ガキにしちゃ、いいセンスじゃん」
「ガキじゃありません!」
「そういう反応がガキなんだよなぁ」
 にやりと笑うレイターに後部座席からダルダさんが声をかけた。
「まあまあのホテルだったな」
 まあまあ? 
 あれでまあまあだったら、一体どんなホテルなら満足するのだろう。
「フェニックス号のがいいだろ?」
「そのとおりだ。やっぱり飯が大事だよな。朝食の食べ放題なんて、家で食べてるのと変わらなくて、ロマンもスリルもなかったぞ」
 バイキングには高級銘店の取り寄せ品が並び、レイモンダリアホテルのシェフがその場で調理していた。わたしは食べたことのない老舗ブランドの料理に浮かれていたというのに。

 街の中心部は至る所でビルが建設されていた。星全体から上へ上へと向かっていく熱気のようなものが感じられる。
 渋滞をうまく抜け整備された大通りを飛ばす。ホテルから十五分、中心街から離れると、すぐクロノスの工場が見えてきた。約束の時間よりも早い。と、思ったら正門の前をエアカーは通り過ぎた。
「ちょ、ちょっとレイターどこへ行くのよ」
「裏門」
「裏門?」
 そこから入るように、支社から指示があったのだろうか?
「現場を見といて損はねぇぜ」
 工場の先にある森は拡張工事の予定地でもある。レイターの言うとおり、見ておいて損はない。塀に沿って走るとすぐに道の先にうっそうとした森が見えてきた。緑というより黒い塊りの様だ。
 大通りの角を工場の敷地に沿って左へ曲がる。道は突然細い田舎道になった。所々舗装がひび割れていて雑草が伸びている。大通りとの落差に驚く。接地タイヤの車だったら、かなり揺れるに違いない。
「右手に見えますのが、工場の拡張予定地でございま~す」
 レイターがおちゃらけた。
 人の手が入ったことのない原生林。豊かな自然に手をつけるのはもったいない気はするけれど、この星は森林資源が潤沢だ。工場の前を通ってきて今の工場は手狭な感じがした。拡張するのに隣の土地は好条件だ。

 エアカーはさらに角を曲がった。思わず声が出た。
「な、何が起きてるの?」

 工場の裏門へと続くその道には塀に沿って大勢の人が座っていた。警官隊がロープで規制して道を確保している。一瞬、お祭りを想像した。けれど、違う。
 みんな手にプラカードを持っていた。ところどころに大きな横断幕が掲げられている。パキ語は読めないけれど、これは抗議の座り込みに違いない。
「おい、レイター、何て書いてあるんだ?」
 ダルダさんがたずねる。
「拡張工事に反対。パキールを返せ、とさ。あんたの会社の労働組合の旗もあるぜ」
 たくさんの人が集まっているのに騒がしくはない。
 工事反対派の人たちは、規制線の内側で静かに座っている。その様子には慣れた雰囲気が漂っていて、この状況が長期に渡り続いていることをうかがわせた。
「座り込みのこと、レイターは知ってたの?」
「あん? ティリーさん、今朝のニュース見なかったのかい?」
「ちゃんと見たわよ」
「やってたじゃん。反対派の座りこみを、きのう警察が正門前から追い出して小競り合いがあったって」
 そんなニュースは見ていない。放送されていれば気がつくはずなのに。
「お前が見たのはパキ語で放送してる現地のローカルニュースだろ。俺が見た銀河共通語のニュースじゃやってなかったぞ」
「パキ政府に都合の悪い情報は、星系外に流れねぇからな」
 エアカーは抗議活動の前をそのまま通り過ぎ、塀に沿って走った。
 さっき通った整備された大通りへと戻り、時間通りに正門前へ着いた。裏門で見た抗議活動が嘘のように平穏だ。
 警備員が近づいてきた。黄色い肌のパキ人だ。パキ語で話しかけてきた。レイターがパキ語で応じる。
「奥の事務棟へ向かえってさ」
 どうしてレイターは、こんなにパキ語がわかるのだろう。パキ星の情報を外から得にくいのには言語の問題がある。パキ語はこの星でしか通じない希少言語で通訳も少ない。パキ語の語学学校なんて聞いたことがない。 

 指定された場所には現地の担当者がズラリと並んで待っていた。エアカーから降りると、空気がもわっと肌にまとわりついた。湿気が多く気温が高い。
 ネクタイを締めた年配の男性が駆け寄ってきた。

「工場長のダンです。お疲れではありませんか。わざわざ本社から足を運んでいただく事態に至り、申し訳なく思っております」
 訛りのないきれいな銀河共通語だ。
 工場長は五十代後半の現地採用のパキ人だった。細面に切れ長の目。パキ人特有の黄色い肌。現地採用で工場長に抜擢されるのだから、相当仕事ができる人なのだろう。汗ひとつかいていない。

 冷房がよく効いている会議室へと案内された。肌寒いぐらいだ。
「さっそくだが、生産が遅れている理由を報告してくれたまえ」

 ダルダさんは工場長より十歳くらい若い。でも本社採用であるダルダさんの方が序列が上だ。
 工場長は頭を下げると丁寧に答えた。
「すでにご報告差し上げておりますが、賃金交渉が長引いております。ストライキを回避できず、生産に遅れが出て本社にご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ございません」
 そつのない回答。どこか狐のような印象だ。
「賃金交渉が長引いている理由は?」
「パキ星の物価上昇率をご存じでしょうか?」
「いや」
 ダルダさんは正直に答えた。
 工場長がモニターにグラフを示した。報告書に添付されていたものと同じグラフだ。ダルダさんが大きな声でつぶやいた。
「ふむ。物価上昇率が賃金上昇率を上回っているのか」
「政府の産業誘致政策によりまして、年々、パキ星の成長率が上がっております。それに伴い、物価も右肩上がりの状況でございます。本社からは、前年と変わらぬ利益を求められておりますので、人件費を据え置きましたが、生活がかかっているだけに組合によるストライキが頻発しておりまして、生産ラインに影響が出ております」
 次の画面では、ストライキの回数と規模が表になっていた。工場長の説明には説得力があった。現地労働者の賃金は、本社勤務と比べずいぶん低く抑えられている。
「生活がかかっていては、大変だよなあ」
 ダルダさんのつぶやきに心がこもっていた。ここで働く労働者に同情しているようだ。

 ベルが引継ぎで話していたことを思い出した。

「ダルダ先輩は正義感が強くて、時々仕事から脱線しちゃうんだよね」と。

 先輩自身は、年に一億リルの小遣いをもらっていて、物価の上昇率なんて気にしたことはないのだろうけど、逆にだからこそ弱者に感情移入してしまうのかも知れない。
「人件費を抑えるのはよくないんじゃないか?」
 ダルダさんの反応に、工場長の細い目がさらに細くなった。
「私どもも同じ考えでございます。そこで人件費を補填するための対策にお力添えをいただければと」
「どうしようというのかね?」
 ダルダさんが聞いた。
「物価スライド制度の申請を検討しております」
「ああ、それはいいアイデアだ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
 物価スライドは物価上昇が激しい新興星に一定額を補填する制度だ。本社の経営会議で導入の可否が判断される。
 ただ、パキ星工場で働く現地労働者の給料は、この星の平均賃金をかなり上回っていて、適用には微妙な状況だったはず。

「本社で認められるのは容易ではございません。ここは一つ、ダルダさまのお力添えをいただいて、後押しをしていただければと存じます。スライド制度が導入され賃金交渉に片が付けば、納期の遅れは解消されます」
「わかった。本社と話してみよう」
 ダルダさんはあっさりと引き受けている。何か釈然としない。どう見ても先輩より狐男の方が一枚上手だ。工場長がダルダさんの正義感の強さを利用しているように見えた。
 ふと、後ろの扉の前にレイターが立っているのが目に入った。

 このやりとりが聞こえる場所にはいるけれど、聞いているのかどうかわからない。レイターの情報では納期が遅れている原因は、賃金ではなく工場の拡張工事への反対運動ということだった。
 さっき目にした座り込みのことをきちんと確認して置かなくては。 思い切ってわたしは口を挟んだ。
「工場拡張の反対運動は関係ないのでしょうか?」
「反対運動は収束している」
 工場長が短く答えた。ピシリとドアを閉めたような、冷たい声だった。

 新入社員は静かにしていろ。と言っているように聞こえた。嫌な感じだ。ダルダさんに対する態度と全然違う。確かにわたしは新人アシスタントで工場長に意見できる立場じゃない。
 ダルダさんが首をかしげて聞いた。
「じゃあ裏門の座り込みは何なんだね?」
 工場長が一瞬ビクっと体を揺らした。
「ご覧になられたのですか」
「かなり大規模なもののようだったな」
「先ほども申し上げましたが、賃上げをめぐる交渉が続いておりまして」
 座り込みはきのう正門から排除されたという。わたしたち本社が視察に入るタイミングに合わせたかのようだ。工場予定地の取得にはパキ星政府が絡んでいる。警察を動かすこともできるに違いない。
「いずれにしましても、抗議活動と工場の移転は関係はございません」
 関係ない訳がない。工場長はプラカードや横断幕の文字が読めないと思っているのだろう。腹が立った勢いでわたしは発言した。
「プラカードには『拡張工事反対』の文字がありました。ストライキの要求には拡張工事の見直しも入っているんじゃないですか?」

 狐男は落ち着いていた。切り込んだわたしに笑顔を見せる余裕さえある。
「工場の拡張は何の問題もありません。反対しているのは一部の市民運動家だけなんです。そこに組合も乗せられていましてね、困ったものです」
 工場長は物価スライド制で本社から得るお金を使って、反対派を黙らせようとしているのだろう。この狐男が情報を本社に上げず、隠している。

 狐男は数字を並べて説明を続けた。拡張計画はパキ星の雇用にも貢献し、ひいては産業の牽引役にもなり、結果として会社に多大な利益をもたらしますと。その様子はまるでパキ星の広報官僚のように見えた。
 もちろん工場の拡張は、会社の売り上げに貢献する話だ。でも、企業倫理を含め長期的に検討する必要はある。
 そこをいくら詰めようとしても、生産が遅れているのは賃金交渉に関するストライキのせいで拡張工事に問題はない、とわたしたちの追及をのらりくらりとかわしていく。
 ダルダさんがレイターの情報でカードを切った。
「きのこの植え替え先でパキの木が枯れているそうじゃないか。反対派の活動は簡単には収まらないだろう」
 狐男は平然と答えた。
「よくご存知ですね。たまたま、土との相性が悪いところが一部であった、ということで、これも問題はございません」
「……」
 困った。こちらに反論するカードが無くなってしまった。さすが現地採用で工場長に昇り詰めた百戦錬磨だけある。ダメ社員と新入社員で太刀打ちできる相手じゃない。このままでは埒があかない。

 その時、ダルダさんの手首で携帯通信機が光った。
「おっと失礼」
 メッセージが届いたようだ。ちらりと送信元の名前が見えた。『レイター』と出ていた。
 わたしは思わず扉の方を振り向いた。レイターがにやりと笑った。

 携帯のメッセージを見ながらダルダさんがゆっくりとうなずいた。
「ふむ、移転先ではパキの木の九十ニパーセントが枯れているらしいな」
「……そ、その数字は」
 狐男が細い目を見開いた。
「九十二パーセントをたまたまとか一部とは言わないだろう」
「問題ございません。次の移植先も確保しております」
「俺の実家は農家でね。土にはうるさいんだよ。九割が植え替えに失敗して、検証もなしに代替地は見つからんよ」
「……」
 狐男が黙った。
「政府は隠蔽しているようだが、いずれにせよ本社が入って調査すればすぐにばれてしまうことだ。物価スライドと同時に、工場拡張の是非も本社の検討議題にあげるから、ちゃんと反対派の動向についても情報をあげてもらいたい」
「はい。かしこまりました」
 狐男は丁寧に頭を下げた。本心かどうかはわからない。
「ところで、パキールというのはそんなにおいしいのかね?」
 ダルダさんがたずねた。
「ええ、生でも火を入れても食べられまして、私達パキ人にとってはなくてはならない食材です。人工栽培技術も進んでおりますので、栽培物でも十分おいしいんですよ。反対派が言っていることは極端なんです」
「ぜひ、食べてみたいものだな」
「はい、本日は、パキ星でも最高のお店をご用意いたしました。パキールもお楽しみいただけます。政府の要人もお呼びしておりますので、何卒お付き合いをよろしくお願いいたします」
 政府は工場を誘致したいのだ。狐男はわたしたちを要人と引き合わせ、接待で懐柔するつもりだ。逆にその場を利用してもっと情報を得ることもできる。この会食は緊張したやりとりになりそうだ。と考えたその時、
「いや、結構。食事は予約してきた」
 ダルダさんが工場長の誘いを断った。食事の予約? そんな話は聞いていない。誰かとアポイントを入れていたのだろうか? 
 狐男があわてていた。
「お伝えしておりませんでしたが、実は産業担当の大臣に予定を空けていただいているのです。短いお時間で結構です。お顔を出していただけないでしょうか?」
 これまで本社からの視察と言えば、高級ホテルに泊めて、美味しい食事を出して、要人に会わせて、とパターンが決まっていたのだろう。
「悪いがこちらも忙しいんだよ。ガハハハハ」

 ダルダさんの笑い声の前に、狐男が茫然としている。その様子を見るのは痛快だった。けれど、大臣との会食を断って大丈夫なのだろうか。

 帰りは後部座席のダルダさんの隣に座った。確認しておかなくては。
「この後はどなたと食事をする予定なんですか?」
「誰って別に予定はないが」
 答えの意味が分からない。
「え? さっき先約があるって、断りましたよね」
「嘘に決まってるだろ」
「う、うそ?」
「ああでも言わないと、あいつ、しつこそうだったろ。嘘も方便という奴だ。レイター、俺は現地の人が行く店でパキールが食べたいんだよ。お前、現地語しゃべれるだろ? 案内してくれよ」
「あん? 工場長に連れて行ってもらえばよかったじゃねぇか」
「あいつが行くところと言えば、銀河共通語が通じて連邦資本が入った店だろ。そんなところにロマンとスリルはない。それに、折角の出張なのにあんな食事のまずくなる奴と食いたくないだろが」
「あんた、これは仕事か?  プライベートか?」
「プライベートさ、俺がおごる」
「あんたの仕事はいっつもこうだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 話の流れについて行けない。

「大臣との会食をキャンセルしたんですよ」
 ダルダさんが驚いた顔をした。
「ティリー君、君、行きたかったのかい?」
「いえ、行きたいとか、行きたくないとかじゃなくて、行くべきだったんじゃないですか?」
 先輩がダメ社員ということを忘れていた。アシスタントとしてもっとしっかり予定を把握しておけばよかった。
「どうしてだい? 折角の出張だよ、楽しもうじゃないか。ガハハハ」
 出張を楽しむと言うのは、それは仕事がうまくいった後の話だ。今からでも狐男に連絡を入れれば大臣の日程変更に間に合うんじゃないだろうか。でも、わたし一人で行くわけにはいかない。ダルダさんを説得しなくては。
 運転席からレイターの声がした。
「ティリーさん、あせんなよ。ダルさんが食事を断った時の工場長の顔、最高だったよな。会社で一番接待に釣られない男を派遣したところで、すでに本社の勝ちだった、ってわけだ」
「ガハハハハ。会社も俺の使い方をわかってきたな」
 わたしたちの仕事の目的は生産の遅れの原因を探ることで、その要因は大体把握できた。これまで正確な情報が取れなかったのは、狐男の策略ともてなしに引っかかっていたからだ。下手にパキ政府と交渉をして、取り込まれたりしないほうが賢明なのかもしれない。
 気持ちが落ち着いてくると、急にお腹が空いてきた。
「食事にご一緒していいですか?」
「だ~め。俺の仕事が増えるじゃねぇかよ。ガキはホテルでお留守番してな」

「わたしはガキじゃありません。それに、わたしはレイターじゃなくダルダ先輩に聞いたんです」
 ダルダさんはにっこりと笑った。
「もちろん、構わんよ」
 その答えにレイターがあわてた。
「おいおい、あんた子どもを連れてく気かよ」
「大丈夫だ、俺は純粋に食事に行く」
「あんたが?」
 バックミラーに映るレイターが、いぶかしげな顔をした。
「ガハハハハ。歓楽街は逃げないさ」
 二人の会話からレイターがわたしを連れていくのを嫌がった理由を察した。いつもは男の人が楽しむ夜の街へ繰り出しているということだ。
「ティリー君の分もおごるよ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です割り勘で。お金もカードに入ってます」
「信じらんねぇ」
 レイターが驚いた声を出した。
「何がよ?」
「ダルさんがおごるって言ってんだぜ。自分で払うことねぇじゃん」
「わたしはあなたとは違います」
「あんた、ダルさんの一億の小遣いの話、聞いてなかったのかよ?」
「その話とわたしとは、関係ないでしょうが」
 わたしたちのやりとりを見ていたダルダさんが、笑いながら言った。
「ガハハハハ。レイターにとって俺は、単なる金ヅルだからな」
「よくわかってんじゃん」
「ティリー君、先輩としておごらせてもらうよ。後輩の指導は先輩の仕事だ。きょうはよく働いてくれたから、ねぎらいたいんだ」
 そう言われると断る理由がなかった。「よく働いてくれた」と言われるとうれしい。狐男を相手に自分でもよく戦ったと思う。
 でも、その時気づいた。ほとんどレイターがくれた情報を武器にしていたことに。

 ダルダさんが提案した。
「ロマンとスリルは電車にある」 
「ったくあんたの警護はボディーガード泣かせだぜ」
「仕事じゃない。プライベートだ。文句があるなら夕飯代は自分で払え。ガハハハハ」
「ちっ」
 ぶつぶつ文句を言いながらもレイターはパキ語で切符の手配をした。 旧式の電車に揺られながらわたしはレイターに聞いてみた。
「ねえ、どうしてパキ語が話せるの?」
「あん?」
 ダルダさんが笑顔を近づけてきた。
「こいつらは、ほとんどすべての星系の言語を叩き込まれてるんだ」
「すべての言語?」
 驚くわたしにレイターが笑顔で声をかけた。
「アンドリューム、マルバトーレ?」

 反射的に『元気です。あなたはいかが?』と返事をしそうになった。故郷のアンタレス語で『ご機嫌いかがですか、お嬢さん?』というあいさつだ。驚いたのはその発音のよさだ。レイターってこんなにいい声をしていたっけ。
「ま、八年も前の話だから、あいさつぐらいしか覚えてねぇけど、おかげで銀河中の女性と仲良くなれるからな」
 銀河共通語で話すレイターは軽薄で、品も柄も悪くて相手にする気がしない。けれど、アンタレス語で話すレイターの声はまるで別人のように心地よく耳に響いた。
「レイターと一緒だとどの星へ出張に行ってもナンパができるから助かるよ、ガハハハハ」
 この二人は出張先で一体何をしているんだか。それにしても、語学が得意なことは間違いない。
「レイターはどんな学校に通ってたの?」
 わたしの質問にダルダさんが答えた。
「こいつ見かけによらず皇宮警備官だったんだ」
「えっ、皇宮警備ってあの王室を警護する?」
 声が裏返ってしまった。皇宮警備といえば、ドラマにもなる連邦軍のエリート集団だ。各星系の王室を守る皇宮警備なら、すべての言語を身につけていても不思議ではない。運動能力や体力だけでなく、知力や人格が秀でた人が選抜され、さらに厳しい規律で有名なのだ。このだらけた態度とはまるで結びつかない。
「ダルさん、俺は皇宮警備官じゃねぇっつったろ」
「ガハハハハ。お前が皇宮警備って話は女性に受けがいいんだよ。人生はスリルとロマンとジョークに満ち溢れているということさ」
 わたしは肩を落とした。驚いて損をした。語学力をナンパに使う皇宮警備なんて、ありえない。全然面白くないジョークだった。

「ここらで降りるか」
 ダルダさんが気まぐれで決めた適当な駅で降りる。大通りを離れ、雑草が茂る住宅街の路地を歩いた。
「よし、ここにしよう」
 ダルダさんが足を止めたのは、本当に地元の人しか入らないであろうと思われる小さな店だった。
「お店について調べなくていいんですか?」
「調べるって何をだい?」
「評判とか、情報ネットで見れば、当たりはずれがわかりますよ」
「当たりかはずれかわかっていたら、ロマンもスリルもないじゃないか」
 飛び込みで知らない土地のお店に入るなんて、不安しかない。
「大丈夫さ、きのこ料理の匂いがする」
 とレイターがドアを開けるとおいしそうな香りが漂ってきた。
「こんばんわ、三人だ。パキール料理が食べたい」
 ダルダさんが銀河共通語であいさつしたけれど、店の人には全く通じていない。
「おい、レイター『こんばんわ』はパキ語で何ていうんだ」
「カルデロ」
「は~い、カルデロ」
 ダルダさんが手を振る。若い女性スタッフがとまどいながら丸テーブルへと案内した。レイターが現地語で話しかけると、彼女はホッとした表情を見せて現地語で応じた。レイターはにっこり笑って彼女の手を握った。

 彼女はうれしそうに肩をすくめて顔を赤らめた。何を言ったかわからないけれど「町一番の美人さんに会えて光栄だ」とか大体そんなところだろう。
「よろしく、よろしく」
 にやけた顔のダルダさんも一緒になって握手をしている。
 じわっと浮かんできた不機嫌な気持ちを振り払って、メニューをのぞき込む。画像はなく文字だけが並んでいた。数字も現地語で価格もさっぱりわからない。
「パキール料理は何がある?」
 ダルダさんの質問にレイターが指で示す。
「パキールのスープ、焼き物、炒め物、この辺が定番だな。珍しい生食もあるぜ」
 わたしには記号にしか見えない文字を、ちゃんと読めていることにあらためて感心する。
 レイターはあいさつ程度しかできないと言っていたけれど、店員たちと普通に会話をしていた。フェニックス号で現地語のラジオを聞いていたことを思い出した。彼は耳を慣らしていたのだ。

「なあ、レイター、パキールの天然物と栽培物はどう違うのか聞いてくれないか?」
「あんた注文が多いぞ。別料金とるからな」
 文句を言いながらもレイターが通訳すると、女性スタッフは三十代ぐらいの男性をテーブルに連れてきた。男性の早口の言葉をレイターが訳す。
「こちらの店長さんによると天然物と栽培物は味も風味も全然違う、って言ってるぜ。最近は天然物はめっきり入らなくなって、この店も基本的には栽培物を出してるそうだ。ただ、きょうは天然物が入ったから、あんたが金を出すなら、天然物と栽培物の食べ比べをさせてもいいって言ってるが、どうする?」
「もちろん頼むさ」
 天然物と栽培物が一本ずつで一万五千リル、という料金はぼったくられている気がしたけれど、ダルダさんはまったく気にしていなかった。
「それからキノコ酒を頼むぞ。ティリー君、お酒は?」
「じゃあ一口だけ」
 レイターが突っかかってくる。
「ガキはジュースでいいだろが」
「あなた、わたしのことガキって言いますけど、一応アンタレス人は十六歳から成人扱いなんです。お酒を飲んでも法には一切触れません」
「ガハハハハ、レイターの負けだ。アンタレス人が法律違反するわけないだろうが」
 わたしたちアンタレス人は順法意識が高い。
「ちっ、勝手にしろ」
「まあまあ、お前も飲むだろ。今日は電車だし」
「忘れるなよ、あんたのおごりだからな」
「ティリーさん。こいつ、飲酒操縦だけはしないんだよ。何と言っても『銀河一の操縦士』だからな。ガハハハハ」
 へぇ。意外だ。そして、ダルダさんが電車で誘った理由もわかった。レイターとお酒が飲みたかったのだ。
「ガハハハハ、では、仕事の成功を祝してカンパーイ」
 いつの間にか仕事は成功したことになっていた。
 
 土のにおいが微かに漂う。パキールが天然物と栽培物がかごに入ってテーブルへ運ばれてきた。
 見た目は同じ。普段ソラ系のお店で買っているような普通のキノコだ。茶色い笠は小ぶりで手のひらに乗るサイズ。
「採り立てだとさ。新鮮じゃねぇと生じゃ食えねぇからな。きのこの刺身だ」
 店長がまな板を兼ねた木の皿の上で二本を薄くスライスし、少しだけ塩をふりかけた。
「まずは栽培物から」
 と言ってレイターがフォークを伸ばす。天然物が食べてみたいのに。
「栽培物から食べた方がいいの?」

「あん? そりゃそうさ。旨いもの先に食ったら、あとがまずく思えて損だろ」
 レイターのアドバイスに従って先に栽培物を口にほおばる。
「おいしい」
 きのこの香ばしい香りが口と鼻の両方に広がる。シャキッとした食感がたまらない。少しくせがあるけれど、それがやみつきになりそうだ。
「うまいなあ」
 ダルダさんも笑顔でぱくついている。
「続いて、本命へいってみようぜ。せえの」
 レイターにうながされ、全員で天然物を同じタイミングで口にした。
 ん、違う。
 口に入れた瞬間、いや入れる前から香りを感じた。栽培物と同じ匂いなのに鼻に抜ける感覚がふわっと異なる。歯で軽く噛むとその違いが際だった。歯ごたえがしっかりしている。甘味が口の中で広がった。栽培物とは別物だ。
「全然違うぞ、うまいっ。こりゃもめるわな。もう、うちの工場を別のところに建てて、パキールの自生地を残せばいいんじゃないか」
 ダルダさんが大声で感想を口にした。
「あんた、話はそんな簡単じゃないぜ。この星の林を切り開くのには金がかかる。一方でパキールが生えてるのは開発しやすい土地なんだよ。だから、開発ラッシュのこの星じゃどんどん自生地が減ってんだ。別の場所を探しても同じことさ。反対運動が起きない所はコストが高くつく。経済的に見りゃ今の予定地はあんたの会社にとっちゃベストの選択だ」
 どうしてレイターはこんなに情報をもっているのだろう。
「でも、地元で理解されないのは問題よ。天然物がこんなにおいしいんだもの。どうすればいいの?」
「それを考えるのは、あんたたちの仕事だろ」
 その通りだ。真っ当なことを言われて恥ずかしくなった。
「大丈夫だ、ティリー君。うちの会社には優秀な社員がいっぱいいる。言っただろ、今はプライベートだ。さあ、レイター、現地語の『おいしい』と『ありがとう』を教えてくれよ」
 ダルダさんは仕事はもう自分の手を離れた、といった様子で店の人たちと身振り手振りでコミュニケーションを取りはじめた。
「あんたはどこへ行ってもこれだけで仲良くなるんだから。いいよな」
「ガハハハハ、お前とならどこへ行っても楽しいぞ。ティリー君ももっと飲んで、楽しもうじゃないか」  
 仕事は気になるけれど、ダルダ先輩の言う通り、今ここで考えても答えはでない。わたしたちの仕事は正しい情報を持ち帰ることだ。
 キノコ酒は不思議な味がした。スープのようなのに甘味があって飲みやすい。見た目よりアルコール度数が高いのかもしれない。店内の陽気な雰囲気に酔ってきた。
「そう言えば、お前、巨大きのこを見たことあるんだろ?」
「あん? キノコ星の話か」
「そう、それそれ」
 キノコを食べながらの巨大キノコの話題に、興味をそそられる。レイターがパキ語と銀河共通語を使って話を始めた。店長さんたちも身を乗り出している。
「辺境にキノコ星ってのがあってさ、そこに高さ五メートルの幻のキノコが生えてたんだ」
「幻のキノコ?」
 聞き返すわたしの顔を見て、レイターがにやりと笑った。
「精力がつくっ、て噂のな」
「五メートルは大きすぎるなあ」
 ダルダさんがうれしそうに言った。わたしは反応に困ってしまう。
 お酒が入ると男の人たちはどうしてこういうお色気ものの話題が好きなのか。セクハラぎりぎり。でも、まだ許せる範囲。
 レイターは楽しそうに通訳し、周りの客も盛り上がってきた。
「とにかくそいつを焼こうって話になって、あぶってみたわけさ」
 五メートルのキノコをあぶる? 
「どうやって?」
 わたしの問いにレイターは動作をつけながら陽気に答えた。
「火炎放射機をぶっ放すのさ」
 その様子がおかしかった。
「ガハハハハ」
 ダルダさんはもちろん、ついわたしも笑ってしまった。
「そうしたら、このパキールみたいに香ばしい香りがぐんぐん広がってさあ、鼻の奥がたまらねぇわけよ」
 これは作り話に違いない。でも、妙にリアルでおかしい。レイターは話術が巧みだ。
「キノコのかけらが、ちょうど食べごろの大きさで落ちてきて、俺の隣にいた奴が、目にも留まらぬ早さで拾いやがって、俺より先につまみ食いしたのさ」
 そこで、レイターが一呼吸おいた。みんな話に引き込まれ興味津々だ。
「で、どうなったんだ?」
 ダルダさんが先をうながす。
「そいつ、突然笑いだしちゃってさ」
「笑いだす?」
「そのキノコは笑い茸だったのさ」
「笑い茸ぇ? じゃあ、女とはどうするんだ」
「爆笑しながらなんてやれるかよ、ダルさんじゃあるまいし。っつうことで、幻のキノコは幻に終わったってわけだ」
「ガハハハハ」
 ダルダさんの大笑いにつられ、店の人たちも大爆笑だ。
 さらに、レイターが現地語で何かを言うと、笑いの声がさらに大きくなった。
「おい、レイター何言ったんだ?」
 ダルダさんがたずねる。
「後で教えてやるよ」
「後で?」
「十八禁だ」
 ダルダさんがちらりとわたしを見た。
「わかったわかった、ガハハハハ」
 わたしは聞こえないふりをした。レイターは多分きわどい話をしたのだ。  
 ダルダさんとレイターは出張を思いっきり楽しんでいる。陽気な二人はいつもこの調子で仕事をしてきたんだろうな。ちょっぴりうらやましい。
「ティリー君、お酒のおかわりは?」
「もう結構です。ソフトドリンクをいただきます」
「レイター、お前は飲むよなぁ」
 どんどんとお酒を勧めている。
「俺はよく大酒飲みと言われるが、お前、ほんとに酒強いよな」
 言われて気がつく。お酌をするダルダさんは顔が真っ赤だけれど、レイターはほとんど顔に出ていない。
「ほんとはこの量なら操縦だって問題ないんだろ? 車レンタルしてこのままホテルに送ってくれたら楽なんだが」
 酔っぱらったダルダ先輩は電車で帰るのが面倒くさくなっているようだ。
「そんなことを言っていると、飲酒操縦の教唆罪に問われますよ。レイターは免停になったら困るでしょうし」
「いやいや、こいつは絶対に交通違反で引っかかったりしないんだ。スピード違反だろうが、一方通行の逆走だろうが、平気なんだよ、なあ」
「当たりめぇだ。警察なんかに捕まるわけねぇだろが」
「じゃあどうして飲酒操縦はしないの?」
「警察は関係ねぇよ。俺は『銀河一の操縦士』だ。0.一秒でも判断が遅れるようなかっこ悪い操縦はしたかねぇんだよ」
 不思議な人だ。普段ヘラヘラしているのに、操縦技術についてはやたらと高いプライドを持っていることは伝わってきた。

 しばらく食事を続けていると、店の雰囲気が変わった。店員もテーブルに近づいてこない。親しげな感じがよそよそしさに変わっている。
 レイターが黙り込んだ。耳をそば立てて聴いている。

「おい、どうした?」
 ダルダ先輩も不穏な空気に気づいたようだ。
「どうやら店に開発反対派がいるな。俺達が工場の拡張のために来たって噂してる。早いとこ、ここからずらかったほうがいい」
 レイターが会計を頼むと、さっきまでフレンドリーだった店長が打って変わって強い口調で攻め立てた。言葉はわからないけれど糾弾しているようだ。
 レイターも最初は冷静に話をしていたけれど、段々と声を荒げて一歩も引かなかった。もう、喧嘩寸前という感じ。
「おいおい何をトラブってるんだ」
 ダルダさんがなだめる。
「パキールの食べ比べの代金をぼったくっていやがる。天然物が入らないのは俺達のせいだとか因縁つけて、いくら説明しても聞きやしねぇ」
「いくらだ?」
「一万五千リルのところ七万リルだ」
 パキール二本で七万リルは、この星の物価からしても高すぎる。
「問題ない。俺が払うからいいよ」
 ダルダさんは『ありがとう』と『おいしい』と現地語で店長に言いながら七万リルを支払った。後味が悪かった。

「すまねぇ。あんたが払う必要のねぇ金だった」
 店から出るとレイターがダルダさんに謝った。
「お前、現地語で喧嘩できるってすごいな」
「喧嘩できても負けちゃ意味がねぇよ」
 吐き捨てるようにレイターが言った。
 その時、足音が聞こえた。振り向くとさっきの店長が走ってくるのが見えた。あんなにお金を払ったのに、まだ文句を言いに来たのだろうか。
 と、彼がレイターに向かって頭を下げた。言葉はわからないけれど表情から謝っているのがわかる。
 レイターと店長は裏の路地に入ってひそひそと小声で話をはじめた。最後にレイターが現地語で『ありがとう』と言うと、店長は店へと戻っていった。
「どうした?」
 ダルダさんが聞く。
「店に顔を出したオーナーが工場建設の強硬な反対派だそうだ。だからぼったくって申し訳なかったとさ。で、貴重な情報をもらった」
「貴重な情報?」
「とにかく急いでホテルへ戻るぜ。電車はやめてタクシーを拾おう」
 わたしたちは大通り目指して足早に歩き始めた。

 もう少しで大通りに出るというところだった。前から怪しげな三人組が近づいてきた。
「やべぇな」
 レイターがつぶやいた。厄病神が「やばい」というのはどれほど大変なことなのか。バタバタと背後から複数の足音が聞こえた。
 気付くと七~八人の男たちに取り囲まれていた。これは『厄病神』の発動だ。

 前から歩いてきた男が声を発した。夜なのにサングラスをかけていて顔はよく見えないけれど声は若い。
「クロノスの社員だな。おとなしくついてこい!」

 リーダーとおぼしき彼の右手がわたしたちに向けられた。その構えを見ただけで心臓の鼓動が速くなる。街頭の灯りが手元を鈍く照らした。銃口がわたしたちを狙っていた。
「俺のティリーさんには指一本触れさせねぇぜ」
「おいおい、俺はどうなる?」
「安心しろ、俺は金ヅルから取りっぱぐれたことはねぇ」
 緊急事態だというのに、二人のやりとりに緊迫感がない。
 次の瞬間、レイターが銃を抜いたように見えた。
「やめて」
 体が震えだした。思い出したくないことが再現されている。 

 先週、眼の前で人が殺された。その悪夢の再来が自分が撃たれる恐怖と、重なりながら頭に広がった。
 ビユゥウウーン
 聞き慣れない、空気がしなるような音。
 レイターが手にしていたのは銃ではなく電子鞭だった。

 ブゥオオオオン。
 ピシッツピシッツ

 一瞬の出来事だった。
 しなった光線が円を描き、男たちの銃をはじきとばした。光に触れた男たちが次々と倒れていく。
「目を覚ましちまうから急げ!」
 レイターがわたしの手を引っ張った。

 目を覚ます、ということは彼らは死んでいない。
 ほっとした。けれど、足に力が入らずうまく一歩が踏み出せない。レイターのがっしりとした手に支えられながら走る。

 大通りに出るとちょうど無人タクシーが来た。急いで乗り込む。男たちは追ってこなかった。
「レイモンダリアホテルまで」
「レイター、一体奴ら何者だ?」
「環境保護テログループのNRエヌアールだ」
 NR。その名前はわたしでも知っている。自然を保護するためなら人間を殺しても構わない、という狂信的なテロ集団。先日も重機運搬船を爆破しニュースを騒がせたばかりだ。
「どうしてわかる?」
「簡単さ、あいつらNRのバッチを胸につけてた。声をかけてきた奴は赤いバッチだったから幹部だ」
「お前、よく見てるな」
 ダルダさんが感心している。
「っつうか、店長が教えてくれたのさ」
「店長が?」
「あいつによると、この星の開発反対派がNRと手を結んだんだとさ。店長はテロまではやりすぎだと思ってた。だから、オーナーが俺たちが店に来ていることをNRに伝えているのを聞いて、気をつけろって教えてくれたんだ」
「気をつけろとは?」
 ダルダさんがたずねる。
「NRがクロノス本社の社員を襲って、工場の拡張阻止を図ろうとしてるってことさ」
「それって、わたしたちのこと?」

「ほかに本社社員って誰がいんだよ」
 血の気が引いていく。
「反対派はいくら拡張反対を訴えたって、パキ政府に情報を握りつぶされてるからな。NR使ってクロノス本社の人間を誘拐するなり殺すなりすりゃ、銀河連邦も動き出す。って腹だろ」
「ふむ。人生にはロマンとスリルが必要だ」
「そんなこと言ってる場合じゃないです」
「大丈夫さ。レイターがいるんだから」
「スリルは十分味わえると思うぜ」
 スリル何ていらない。厄病神、恐るべしだ。わたしは普通に仕事がしたいだけなのに。

 高級車がズラリと並ぶレイモンダリアホテルの車寄せ脇にタクシーは止まった。
「お帰りなさいませ」
 ボーイが頭を下げる。銀河資本のホテルは警備もしっかりしている。これで安心だ。
 と一息つく間もなく、レイターは思わぬことを口にした。
「エレベーターホールを抜けたら、裏の駐車場まで突っ切るぜ」
「部屋に戻るんじゃないの?」
「鬼ごっこは、続いてんのさ」
「ガハハハハ、スリルだな。俺はお前を信じる」
 このホテルなら安全だと思うけれど、ボディーガードとしてのレイターの腕が信頼できることも確かだ。ゴージャスなロビーを早歩きで通り抜ける。
 駐車場にはレイターのエアカーが停めてあった。
「お袋さん、聞こえるか」
 レイターがフェニックス号のメインコンピューターを呼び出した。
「はい」
「この車、船に直結で入れろ」

「かしこまりました」
「ダルさん。船で待っててくれ、絶対外へ出るなよ」
「わかった」
 ダルダさんが後部座席に乗り込む。わたしは急速に不安に襲われた。
「レイターは一緒に来ないの?」
「俺も、折角だからティリーさんの手を握ってたいんだけどさ……」
 と言われて気がついた。
 わたしはNRに狙われてからずっとレイターの手を握ったままだった。
「ご、ごめんなさい」
 指の長い大きな手の温かさを感じた。そのままレイターはわたしの手をとって、ダルダ先輩の隣の席へとエスコートした。自然な振る舞いに身体がつられるように動き、気づいた時には座席に座っていた。レイターがするりと手を抜いた。わたしは自分がいつ手を離したのかわからなかった。
「いい子だ。俺もすぐ追いかける。ちょっとだけロマンとスリルだ」
 レイターが言い終わらないうちに、エアカーはスタートした。
 振り向くとレイターがホテルの館内へ戻っていくのが見えた。フェニックス号へ帰るのなら、レイターも一緒にさっきのタクシーで直接向かえばよかったのに。もう何が何だかわからない。
 沈黙しているのが怖い。
「NRが出てくるって『厄病神』のせいでしょうか。これから、どうなっちゃうんでしょう?」
「大丈夫さ、レイターの言うとおりにしていれば」

 フェニックス号に到着した。
 リビングのソファーに脱力しながら座る。テレビが付いていた。パキ語のローカルニュースだ。レイターは付けっぱなしで出かけたのだろうか。と思いながら画面を見て目を疑った。
「ダ、ダルダさん!」

「どうした?」
「ホテルが、燃えてる」
 見慣れた高級ホテルが炎をあげて燃えていた。
 さっきロビーを横切ったレイモンダリアホテルだ。放送局のリポーターがホテルをバックに伝えていた。現地語はわからないけれど緊迫していることは伝わってくる。ライブ映像に違いない。
「何て言ってるのかしら?」
 わたしのつぶやきにマザーが反応した。
「通訳いたしましょうか?」
「マザー、お願い」
「かしこまりました。さきほど、レイモンダリアホテルの最上階にある二五一四号室に迫撃弾が打ち込まれました。現在、消防が消火活動を実施していますが火の勢いは衰えていません」
「何ですって?!」
 二五一四号室がダルダさん、隣の二五一五号室がわたしの部屋だ。思わず二人で顔を見合わせる。
「この部屋には出張中の会社員が泊まっており、ホテル側によりますと会社員が部屋へ戻った直後に砲撃された模様です。現在のところこの会社員の安否はわかっていません」
 部屋へ戻った会社員ってレイターのことだ。
「レ、レイターがあの中に。う、うそでしょ」
 真っ赤な炎が燃え盛る画面に釘付けになった。
「マザー、レイターを呼んで!」
「反応がありません」
 言葉が出ない。
「大丈夫だ、あいつは殺しても死なない」
 そういうダルダさんの口も真一文字に閉じられていた。

「とにかく、会社へ報告しよう」
「は、はい」
 連絡回線を開こうと試みた。
 ところが、画面にノイズが走るばかりで本社につながらない。マザーが淡々とした声で報告する。
「政府が情報統制をしているものとみられます」
 銀河連邦資本のホテルが砲撃されたなんてことは、隠して置けるはずないのに。ニュースで行方不明の宿泊者の名前が読み上げられた。わたしとダルダさんの名前だ。行方不明者の生存は絶望的、という消防関係者の見解を示していた。このニュースは誤報だ。わたしもダルダさんも生きている。でも、レイターは……。

 ニュースを読むアナウンサーに原稿が横から突っ込まれた。声が興奮している。動きがあったようだ。
「犯行声明がでました! 環境保護テロ組織のNRから、犯行声明が出ました」
 放送局に犯行声明が届いたという。マザーがアナウンサーの読む犯行声明を訳した。
『パキール自生地に工場を拡大するのは、自然への冒涜であり、どんな手段をもってしても断固反対する。犠牲者はさらに増えるだろう』と。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。工場の拡大はまだ決定事項じゃない。しかも、今回わたしたちが実際に視察して、どちらかといえば見直しの方向に動きそうなのに。
 続いて流れた関連ニュースの映像に、見知った顔が映った。細面に切れ長の目。工場長の『狐男』だ。スーツを着ていた。

 一流レストランから出てきたところをメディアが待ち構えていた。フラッシュがたかれ記者が声をかける、狐男は無言のまま足早に高級車へ乗り込んだ。  
 その後ろから出てきた恰幅のいい男性が、記者に囲まれた。 
 マザーが伝える。
「今夜、パキ政府とクロノス社の間で秘密会合が持たれ、工場に隣接した土地に新工場を建設することで合意したものとみられます。しかし、先ほど発生したテロ事件を受けて、正式発表が延期となったもようです。産業大臣は記者団に対し『ノーコメント』と応じました」
 工場の拡大で合意ですって?
「うそよ、うそ! 何なのこれは?!」

**

 この星は日差しが強すぎる。
 電子鞭で打たれた右手を軽くさする。火傷の様なジンジンとした痛みが腹立たしさを増幅した。バカな奴らだ。命まで奪う予定じゃなかったのに。だが、これで、ようやく兄貴がいる本部へ帰れる。
 クロノス本社の社員襲撃は成功。
「できた」

 提出する前にもう一度読み返す。
 本部が用意したのはクロノスの社員を誘拐して交渉するシナリオだった。大事な人質だ、殺すわけにはいかない。慎重になったその隙を突かれた。電子鞭ではじき飛ばされ、目を覚ました時には奴らの姿は消えていた。
 パキ星支部長であるオレはすぐに作戦を変更した。殺害の方が簡単だ。奴らはホテルへと戻った。連邦資本のレイモンダリアホテルなら、セキュリティも万全で安心できると思っていたのだろう。確かに警備は厳重で侵入するのは容易ではない。だが、外からならいくらでも攻撃できる。我々は軍用の迫撃砲を持っているのだ。最上階の奴らの部屋に明かりが灯ったところへ、吸い込まれるように迫撃弾は命中した。この結果に兄貴は満足してくれるはずだ。人の手によって破壊された自然はやられっぱなしだ。代わりにオレたちが人間に復讐し制裁を加えてやるんだ。

 兄貴がやることはいつだってカッコいい。
 自然保護活動って聞いた時は何だソレって思ったが、兄貴が「行き過ぎた惑星開発反対」って叫ぶと、頭のいい学校の奴らが褒めたたえて、弟の俺まで仲間から尊敬のまなざしを集めた。
 自然保護に興味があったわけじゃないが、兄貴に誘われるまま組織に入った。大宇宙の前じゃ人間なんて無に等しいんだから、自然を壊す奴が死んだって問題ない、って兄貴が力説すると、オレたちはみんなそんな気がしてきた。やることはどんどん過激になっていった。最初はビビった。けど、人間の命だけ特別と思うのは傲慢なんだ。兄貴の崇高な理想は実現されるべきだ。オレたちのやってることは正しい。
 オレは幹部になった。兄貴が創始者だからスピード出世したと妬まれたがそんなことはどうでもいい。開発が進むパキ星行きを命じられた。着いたその日に突き刺さる太陽光で目を傷めた。蒸し暑く空気がまとわりつくこの星は最悪だ。本部へ戻りたいと伝えると、実績を作れと兄貴は言った。

 クロノスの社員が死んだ。これで、いくらパキ星の田舎政府が隠蔽しようとしても無理だ。開発と言う名の自然破壊を銀河連邦は無視することはできない。
 組織が派手に動けば動くほど、人間より自然を保護すべきだ、っていう兄貴の主張にカネと武器が集まってくる。
 燃え上がるレイモンダリアホテルを見ていると爽快な気分になってきた。開発の象徴が崩れていく。これは大きな実績だ。
 さあ、送信しよう。

* *

 わたしがやるべきことは何? わたしにできることは何? ダルダさんは無言でニュースを見ている。とにかく情報を整理しなくては。それにしても報告書の作成に使うモバイルパッドはホテルの部屋で、アンナ・ナンバーファイブとともに燃えている。
 マザーがキーボードを用意してくれた。

 狐男は工場の拡大で今晩、パキ星政府と合意するつもりだった。おそらくこの情報が洩れていて、NRはそれを阻止するためにわたしたちの命を狙ったのだ。そのためにホテルを砲撃するなんて、狂っている。罪のない人たちが何人巻き込まれたのだろうか。わたしたちのせいだ。指がカタカタと震えて報告書がうまく打てない。
「アンドリューム、マルバトーレ?」
 美しい発音でアンタレス語を話すレイターの声が頭の中に響いた。温かだった手の感触がまだ残っている。彼はあの炎の中にいるのだろうか。いや、そんなはずはない。頭を思いっきり横に振った。

 と、その時だった。
「ただいまぁ」
 スピーカーから間の抜けた声が聞こえた。
 ダルダ先輩と二人して同時に立ち上がる。全力でタラップまで走った。
「よ、ただいま」

 何事もない顔をしてレイターが立っていた。長期旅行客のように両手にスーツケースを持っている。
「ガハハハハ、想定以上のスリルだったぞ」
「スリルは十分味わえるっつったろ」
 涙が出てきた。
 なぜそうしたのかわからない。足が勝手に動いていた。レイターに倒れかかるようにしてに抱きついた。不安だった。視覚だけでなく全身で確認せずにいられない。レイターは生きている。
「ほんとによかった」
 彼の服から焦げ臭いにおいがする。
「熱烈歓迎うれしいねぇ。こんなに愛されてたとは」
 レイターの言葉で我に返った。
 あわてて体を離す。
「ち、違うわ! 心配しただけよ!」
「とりあえずダルさんの荷物は何とかなったが、ティリーさんのは、煙が充満してきてよくわかんなくなっちまった」
 ふと見るとわたしのスーツケースから何かがはみ出している。
 それを見た瞬間、わたしは顔から火が噴き出しそうになった。
 イチゴ柄の下着。
 レイターも同じところへ視線を落とした。
「……ガキだな」
「見ないでっ!」

 気がつくとわたしはレイターの頬をはたいていた。

 大画面を指さしながらダルダさんが怒っていた。
「俺は、パキールの自生地へ工場を建てるのには慎重だから、テロリストの犯行声明もわからんでもない。だが、このまま手を引いたらNRの奴らが勝ったみたいじゃないか! くやしいなぁ」
 ダルダさんはわたしの気持ちを代弁していた。
「わたしもテロに屈するのは許せません。うちの会社の存在を自然への冒涜だなんて言い方するのは、名誉毀損だわ」
「おいレイター、お前、何かいいアイデアあるだろ?」
 ダルダさんがたずねると、レイターは目を細めて明らかに迷惑そうな顔をした。
「あんた、これ以上俺の仕事を増やす気かよ」
 ダルダさんがきっぱりと言った。
「ここから先は仕事じゃない、プライベートだ」 
「プライベート?」
 レイターが聞き返す。わたしも意味がわからない。
「俺がお前を雇う。だからNRの奴らを何とかしろ」
「何とかしろ、ってどういう意味だよ」
「ギャフンと言わせてやりたいのさ」
「はあ?」
 ギャフンと言う言葉の意味はよくわからない。でもダルダさんの気持ちはよくわかる。
「わたしも手伝います。こんなの間違ってます」
 いきなりホテルに迫撃弾を打ち込みテロ行為に及ぶなんて卑怯だ。だって、これは話し合えば解決できる問題なのだ。
「テロリストに間違ってるっつってもなぁ」
 レイターは頭をかきながら言った。
「あんたら命狙われてんだぜ。ったく、俺の努力を何だと思ってんだ」
 レイターは命がけでおとりになって攻撃を仕掛けさせた。今頃NRは、わたしたちの命を奪うことに成功した、と思っているはずだ。本当に優秀なボディーガードだ。
「感謝してます。けど、許せないんです」
 レイターは大きく息を吐いた。
「ダルさんは金払いがいいから受けてやってもいいが、条件がある」
「条件?」
 レイターがにやりと笑った。
「俺の言うことを何でもきくかい?」

「どんなことだ?」
 ダルダさんが聞く。
「俺に十億リルくれ」
 じゅ、十億? わたしはびっくりしたけれどダルダさんはさらりと答えた。
「構わんが、手持ちの資産を超えてるからなぁ、金策に二日はかかるぞ」
「OK」

 次にレイターはわたしの顔を見た。心配になる。わたしはそんなお金は持っていない。
「ティリーさんは、俺にキスしてくれる?」
「は?」
 何を言い出すの。セクハラだ。こんな時にふざけないでほしい。
「そんなことできるわけ……」
 断ろうとしたところで、言葉が途切れた。この無理難題はわたしたちを試している。どれほどの覚悟があるのかを。
 ダルダさんはレイターを信頼している。だから十億でも用意すると平気で答えた。NRと対峙する、ということは生半可な気持ちでできることじゃないのだ。これは仕事ではない。普通に考えればこのまま本社へ帰ることが正しい選択だ。レイターはわたしたちを思いとどまらせようとしている。ボディーガードとしては当然だ。
 厄病神が優秀なことはわたしが一番よくわかっている。今日も彼は銃を抜かなかった。クライアントの要望にきっちりと応えている。
 おそらくダルダさんの「ギャフンと言わせたい」という意味不明な要求にも彼なら対応できるに違いない。レイターの条件を飲みさえすれば。
 わたしは好きでもない人とのキスを受け入れられるのだろうか……
 レイターの背後にあるモニターが目に入った。黒い煙を吐き、燃え続けるホテル。あの惨事はわたしたちを狙ったもので、他人事じゃない。
 バンっという音に思わず身が縮む。金色の炎が高層ビルの窓を突き破って夜空に輝いた。室内で小爆発が起きたようだ。自然を守りたいからといって、武力で屈させようというテロ行為は許せない。 
「不本意であっても必要であれば」
 口にした瞬間、後悔に襲われた。レイターが「必要だ」とキスを迫ってきたらどうしよう。
「不本意ぃ? ちぇっ、喜んでくれると思ったのに」
 レイターは肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。ダルダ先輩が笑いながらレイターの肩をたたく。
「ガハハハハ。お前がナンパで失敗したの初めて見たぞ」

「相手がガキすぎた」
 ナンパ?  肩の力が抜けていく。
「俺の仕事、受けてくれるな」
「しょうがねぇ」
 レイターはテレビのモニターを指差した。
「とりあえず、現地のニュース番組に出て、こっちの主張を話そうぜ。拡張計画を白紙撤回しようとしたのにNRのせいで話がこじれたっつって、犯行声明に対抗するんだ」
 パキ星の地元チャンネルは、どこもかしこもこのニュース一色だった。このテレビに出演すれば、NRが間違っていることを訴えられる。
「ただし、死んだと思ったあんたが出てきたら、NRの奴らがまた襲ってくるぜ」
 レイターがわたしたちを試すように言った。テレビに出演すれば居場所を教えるようなものだ。
「でも、行きましょう!」
 わたしは大きな声を出していた。
 きちんとわたしたちの主張はアピールすべきだ。このまま逃げ帰ることはできない。

* *

 
 レイターはティリーの顔を見つめた。

 幼い顔に口紅を引いた十六歳。ガキだからだろうか。よくわかんねぇ子だ。銃にあんなに怯えているのに命を狙われる場所へ『行きましょう!』ときたもんだ。正義感の強いアンタレス人だからか。
 俺のキスを絶対断ると思ったのに。
 相変わらず俺の想定を次々と裏切ってくる。まずいな。この状況は危険だ。

* *

「ティリーさんには船に残っててもらいてぇんだ」
「船に、残る?」
 レイターの言葉の意味が分からず、わたしは聞き返した。
「頼みてぇ仕事があるのさ」
 レイターは、自分の部屋から紙の束を持ってきた。
「ほい」
 渡された束は分厚くて重たかった。小さな字が汚い手書きで書きなぐってある。よく読めないけど伝票のようだ。
「こいつをお袋さんに手入力して欲しいんだ」
 反発心がわき起こった。
 どうしてこんな事務作業をわたしに頼むのか。答えは簡単だ、わたしを連れて行きたくない、っていうことだ。関係のない仕事を手伝わさせられるのは納得がいかない。
「これは何なの?」
 問いつめると、珍しいことにレイターが困った顔をした。彼の言うことを何でも聞くという約束だったことを思い出した。
「って聞いちゃだめなのね」
 レイターは一呼吸置いてからから答えた。
「ほんとは教えたくねぇんだけど。ま、いいや。誰にも言うなよ。これはNRの備品購入伝票だ」
「NRの伝票?」
 どうしてレイターがそんなものを持っているのだろう。
「アルバ関数で暗号化されてる。ここに書かれてるのはパキ語の数字だ、これを対象表で見ながら数字を打ち込むと……」
 即座にアルバ関数の解が現れた。単価と個数、それに紐づくデータだ。「ほれ、これで去年の三月にあいつらが宇宙服を十着買ったってことがわかるだろ。パキ語で、しかもわざと汚ねぇ字で書いてあるから、手入力したいんだ。で、知りてぇのはNRが最近購入した武器。あいつらが何を持ってるかがわかると警護が楽になる」
 これは大切な仕事だ。
「わかったわ」
 と答えたけれど、わたしだけ置いていかれることについて、レイターに一言言わないと気が済まない。
「これをやるにあたって条件があるわ」  
「あん? 何でい?」
 レイターがさぐるようにわたしを見た。わたしは腰に手をあてた。
「絶対ちゃんと帰ってきて。じゃないと怒るわよ」
 レイターはふっと笑うとわたしの頭に手を置き、子供をあやすように髪をなぜた。嫌悪感はなかった。

「その条件、確かに飲んだ」
 レイターを見つめる。
 明るいブルーの瞳は透んでいてビー玉のようだ。こんなに綺麗な目をしていたとは今まで気づかなかった。
 頭に置かれた手が気持ちいい。
 ナンパされた女の子がこの人についていくのが、ちょっとだけわかる気がした。
 すっとレイターの手が離れた。
「ダルさん、とりあえず、現場のホテルへ戻ろう。テレビ局が生中継してっからそこで出るのが手っとり早い」

* *

 レイモンダリアホテルへと向かう道は空いていた。エアカーの助手席に座ったダルダがレイターに聞いた。
「おまえ、さっきNR相手に銃を抜かなかっただろう」
「あん? 電子鞭、使ったからな」
「随分と殺傷力の弱い武器だな」
「接近戦だったからな」
「最近聞いた話だが、銃を持たずに撃たれたボディーガードがいたらしいぞ」
 ダルダは、意味ありげに笑った。
「へぇそいつは相当なドジだな。俺は当然持ってる」
 次の瞬間、ダルダはわき腹に固いものを感じた。レイターは左手でダルダに銃を突きつけ、右手でエアカーを操縦していた。
「ガハハハ、ティリーさんがいなけりゃいくらでも使えるってわけだ」
「うるせぇ」
「なあ、ティリーさんはお前の『愛しの君』に似てるよなあ」
 レイターは思わず、ダルダの顔を見て反論した。
「似てねぇよ!」
「おいおい、図星だからってよそ見運転するなよ」
「静かにしねぇと、そのでかっ腹を涼しくするぜ」
「少し痩せたいと思ってたところだ。ガハハハ」
「ったく、あんたはいっつもそうだ」

* *

 ティリーはつぶやきながら作業を進めていた。
「去年六月、お弁当十五個、一万五千リル。今年五月、ビニール袋百二十枚、六百リル。今年一月、六十メートルのロープ一本、千二百リル。去年八月、フライパン一個、二千九百八十リル……」

 パキ語の数字は対照表がなくてもわかるようになった。入力の速度が上がる。それにしても手入力する量は膨大だった。しかも、ほとんどが生活雑貨だ。この中に、武器の伝票が本当に入っているのだろうか?
 入っていたとして間に合うのだろうか?
 レイターは警護のためにこの情報を入手したのだろうけれど、そもそもこれは本当にNRの伝票なんだろうか? 
 単純作業が続くと、つい余計なことばかり考えてしまう。アルバ関数はハイスクールで勉強した。わたしたちアンタレス人は数字に強い。十桁の四則演算の暗算ぐらいは小学校へ上がる前にできるようになる。
 とは言え、もちろんわたしの手計算より、マザーの方が早い。
 その時、あることにひらめいた。

* *

 迫撃弾を受けたレイモンダリアホテルの消火活動は一段落していた。ビルからは煙が立ち昇り、最上階は黒く焼け落ちている。現場近くにはこげ臭いにおいが漂い、割れたガラスの破片が散乱していた。
 警察や消防が、ホテルに残っている人の捜索を続けており、周囲百メートルは立ち入り禁止区域が設けられていた。
 規制線の外から、テレビのリポーターが生中継している。
 カメラの近くにいるスタッフへ、ダルダが近づいていった。
「二五一四号室が狙われたっていうのは本当か? 俺はその二五一四号室に泊まっていたんだ」

「あなた、あの部屋の宿泊者ですか? クロノス社の本社社員ですか?」
 ダルダが社員証と部屋の鍵を示すとスタッフの顔色が変わった。
「今、ここでインタビューに答えてもらえますか」
「ああ、構わんよ」
 リポーターの横にダルダは立った。
「最上階に宿泊していたクロノス社にお勤めのダルダさんです。迫撃弾が撃ち込まれた時の状況を教えてください」
「食事から部屋に戻った後、飲みなおそうとして、一旦、外へ出たんだ。エレベーターに乗ったところで大きな音がしたんだが、まさか自分の部屋が狙われたとは思わなかった……」
 打ち合わせどおりの嘘と主張を、ダルダはとうとうとしゃべり始めた。
 

* *

 兄貴と直接話すのは久しぶりだ。
 暗いNR本部の議長席に座った兄貴は、変わった白いローブをまとっていた。宗教じみた感じがますます加速してるな。
「先程、報告書をお送りした通りです、誘拐ではなく、クロノスの社員がレイモンダリアホテルへ戻ったところを砲撃しました。社員が死んではクロノス社も連邦も動くしかありません。作戦成功です」

 本部が提案した誘拐に失敗したことは報告には入れなかった。 結果をだせば問題にはならないはずだ。だが、兄貴は不機嫌を通り越して見るからに怒っている。
「お前の報告書は嘘ばかりだな」
「な、何のことです?」
「今、テレビで話しているのは誰だ?」
 テレビ? スイッチを付けたオレは何が起きているのかわからなかった。
「ば、ばかな」
 画面に映っているのは、さっき裏通りで目にしたクロノスの社員だ。あの砲撃で生きているなんてありえない。どういうことだ?
『NRがやっていることはおかしい……』
 男性社員は生放送で、NR批判を延々と展開している。
「我々の活動は聖戦だ。批判されたままでいるわけにはいかないことをお前はわかっているな」
「はい、すぐに片づけます」
「ここまで来たらアレを使え」
「あ、アレですか」
 オレは息をのんだ。

* *

 フェニックス号のテレビから、ダルダさんの声が聞こえてきた。ティリーは少しだけ手を止めて画面を見た。
『NRがやっていることはおかしい。われわれは今回、工場の現場を視察して、拡張工事について再検討するという方針を固めたところだ。話し合いで解決できる問題なんだ。まったく彼らがやっていることは意味のない破壊で、開発反対派は単なる暴力行為に加担しているだけだ。自然を冒涜しているのが誰か、よく考えて欲しい』
 このテレビを見たNRはどうするだろう。おとなしく引き下がるとは思えない。
 わたしは、わたしに与えられた仕事を早く終えなければ。さっきひらめいた方法は有効なはずだ。ハイスクールで学んだアルバ関数の特性を思い出す。入力する前に数字を確認する。武器は価格が高い。ということは、解の後ろのほうが大きな数字になるはずなのだ。

 概算をし目ぼしい数字を見極めて入力する。
「今年一月、大型発電機一台、百五十万リル」
 高額物品だ。お弁当やフライパンよりずっと近づいている。次の数字を入れる。
「今年三月、エアカー一台、二百万リル。今年二月、ヘリ一台、一億三千万リル」
 ヘリコプターだ。しかも、これって。わたしは新人だけど宇宙船メーカーの営業だ。型番からわかる。

「マザー、すぐにレイターに連絡いれて!」

* *

 テレビ局の技術スタッフの脇に、レイターは立っていた。
 カメラの前のダルさんはうれしそうだ。あれだけ熱弁を振るったから、そろそろ気が済んだんじゃねぇか。敵さんが出てくる前に、おいとましてぇんだが。
 PPPP……
 腕に付けた通信機が反応した。ティリーの興奮した声が聞こえる。
「レイター、NRは軍用の大型高速ヘリを持ってるわ。型番MM二十六よ」
 ヒュー。思わずレイターは口笛を吹いた。
「そいつは大物だ」
 レイターは驚いていた。彼女を船に残すために頼んだ仕事が、こんなにすぐ役立つとは。
「これまた最新鋭だねぇ。ティリーさん、サンキュー助かるぜ」
 軍用ヘリだ。どんな武器でも積めるな。あいつら迫撃砲を持ってやがるから、警備の位置を変更しよう。
 煙が立ち昇るレイモンダリアホテルの上空を見上げる。消防や警察、取材用のヘリなどが何機も旋回していた。

* 

 レイターはテレビ局の中継地点を離れ、エアカーを急上昇させた。

 ホテルに近いビルの屋上で、腕につけた小型通信機を銀河連邦軍の周波数にあわせた。
「おい、アーサー聞こえるか?」
 軍の特命諜報部を率いるアーサー・トライムス少佐は、パキ星の地元テレビを見ながら答えた。
「ああ」

「さっき俺が逃がしてやったNRの奴らのお家は、わかったのかよ?」
 レイターの問いにアーサーが答えた。
「間に合わなかった」
「ったく、あんた、税金使って何やってんだよ」
 アーサーは静かに反論した。
「こちらは、お前の連絡から四分三十三秒で到着した。だがNRはもう姿を消していた。お前が使った電子鞭では弱すぎて時間が稼げなかったんだ。なぜ、低出力の銃を使わなかった?」
「俺の勝手だろ」
 レイターが口をとがらせた。
 先週も似たようなやりとりをした。レイターが銃を使わない理由。
「ティリーさんか……」
「あんたにゃ関係ねぇ。とにかく、次は大型軍用ヘリだ。MM二十六だぞ」
「伝票が入手できたのか?」
「当たりめぇだ。急な仕事にはそれなりの手当てを払えよ」
 武器の密輸ルートを追いかけていた特命諜報部は、パキ星での不穏な動きを掴み潜入捜査していた。NRが大量の兵器を買い付け、隠匿しているという。部隊を率いるアーサーとしては、先週、けがをしたレイターをこの任務に充てるつもりは無かった。だが、偶然レイターにパキ星への仕事が入った。あいつを現地で遊ばせておくような余裕は特命諜報部にはない。本体とは別にNRの伝票入手という任務を与えた。
「きのう、徹夜でいただいてきたぜ」
 裏社会に精通しているこいつは仕事が速い。それにしても暗号化された伝票の分析は、軍本部で人海戦術で行うはずだった。
「情報屋から巻き上げるのに随分苦労した」
 こいつが苦労したというのは、金がかかったという意味だ。くぎを差しておく必要がある。
「実費のみ請求しろよ、水増しは認めないからな」
「立て替えた分の利子は払ってもらうぜ。で、これからのことだ。軍用ヘリが迫撃弾を撃ってきそうだったら迎撃する。撃ち落さずに発信機を張り付けるから、今度はちゃんと追っかけろよ。俺の仕事を増やすんじゃねぇぞ」
 アーサーは発信機の信号を確認した。MM二十六は最新鋭ヘリだが、軍の高速艇なら追いつける。

 レイターには補助的任務を与えたはずが、気付けば任務の中心を担っている。私のせいではない。あいつは勝手に自分で自分の仕事を増やしている。

* *

 レイターは耳がいい。エンジンやローターの回転音で大体の機種はわかる。だが、地上ではサイレンが、上空はヘリの音が響き現場は騒がしい。集中しねぇときついな。その時、微妙に高音のへリの音が聞こえた。
 来た。MM二十六だ。かなり高度が高い。

 小型砲を軍用ヘリに向けて構える。と、その時、ティリーから慌てた声で連絡が入った。
「レイター、大変よ。NRは熱デギ放射砲を購入しているわ」
「熱デギ放射砲? マジかよ」
 おいおい、そんな破壊兵器でヘリから撃たれたら半径五百メートルがぶっとぶぞ。あいつら、ダルさんを殺す気なんだ。この小型砲じゃ相手にならねぇ。
 レイターは素早くエアカーに乗り込んだ。

* *

 照明がたかれたレイモンダリアホテルの周りに、赤色灯を点滅させた緊急車両やマスコミの中継車が集まっている。上空から見るとイルミネーションみたいだ。これならモニターなしの肉眼でも標的が容易に狙える。
 ゴドは軍用ヘリを高い高度でホバーリングさせた。
「目標レイモンダリアホテルを確認」
 機体の前方底部から放射砲を外へ出す。円錐状の発射口がホテルの屋上を捉えた。クロノスの社員がどこにいるのか知らないが、ホテルもろとも燃える。というか高温で蒸発するだろう。
 それにしてもオレが熱デギ放射砲を使うことになるとは。この大型破壊兵器がパキへ届いたのは一か月前のことだ。連邦軍と戦争中のアリオロン同盟から兄貴が買い付けた。
「来るべき時のために、お前に管理を任せる」
 短いメッセージが届いた。この田舎星は警察の力が弱いし、未開発の森林は行政も把握できていない。いくらでも隠す場所があった。いつかNRの力を世界に示す時に使うのだろうと俺は理解した。
 それが今なのだ。兄貴はオレにビッグチャンスをくれたのだ。これをうまくやり遂げれば、オレは本部へ戻れる。

 みんな消えちまえ。ざまあみろ。

* *

 飛行予定のない機体に地元警察のヘリコプターが気づいた。パキ軍には配備されていない最新鋭の軍用ヘリだ。
「おい、あのヘリ、様子がおかしいぞ」
 ヘリから下に突き出した円錐状の発射口が赤く光り始めた。
「熱デギ放射砲だ」
 警部が大声で指示した。
「サイレンをならせ!!」
 ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ……
「こちらパキ警察だ。武器を解除したまえ」
 熱デギ放射砲は、エネルギー充填に若干の時間を要する。赤い円錐が徐々に白く輝いていく。
「警部、撃ち落としますか?」
「駄目だ、この状況で墜落させたら熱デギ砲以上に被害がでる」

* *

 ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ……
 地上にもサイレンの音が響いた。
「皆さん、避難してください! 軍用ヘリがホテルを攻撃しようとしています」
 レイモンダリアホテル前にいたテレビのリポーターが、絶叫しながらカメラとともに現場から走り出した。
 「これは大変だ」 
 ダルダもあわてて一緒になって中継現場から離れる。

* *

 ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ……
「ダルダさん、急いで!」 
 ティリーはテレビに向けて叫んだ。モニターの中からサイレン音が鳴り響いてくる。

 放送中にダルダさんがテレビ局のリポーターと一緒に大慌てで逃げ出したところは見た。残された無人のカメラはレイモンダリアホテルを映している。
 ティリーは手を握りしめた。

 画面が切り替わった。
 上空の映像だ。NRの軍用ヘリMM二十六を、放送局のヘリが遠巻きに撮影している。

 熱デギ砲の発射口が赤から白に変わった。まもなく臨界だ。一体どのくらいの範囲を熱で吹き飛ばすのだろう。
 レイターとダルダさんは一緒にいるのだろうか。
 徒歩では間に合わない。エアカーで逃げているはず。大丈夫、レイターは優秀だ。あの人はクライアントに怪我をさせたりしない。

 アナウンサーの緊迫した声が聞こえた。
「軍用ヘリに向かってエアカーが飛んでいきます」
 画面の下の方にエアカーが映っていた。
「え?」
 頭が凍り付いた。あのエアカーは、さっきダルダさんとレイターが乗っていった車だ。
「ひ、人が乗っています。無人ではありません!」
 アナウンサーが叫んだ。

* *

 MM二十六の指揮席でゴドは部下の報告を聞いた。
「エアカーが近づいてきます」  
「エアカー?」
 一体何を考えているんだ? 熱デギ放射砲を発射することに気づいているだろうに。馬鹿な奴だ。もう臨界だ。自殺したいのなら、車ごと吹き飛ばしてやるだけだ。
「想定外の高速です」
 エアカーが発射口の寸前にまで迫っていた。
「ば、馬鹿な」
 ゴドは臨界を示すランプと同時にスイッチを押した。

* *

「レイター! やめて」
 猛スピードで熱デギ放射砲に突っ込む気だ。エアカーってあんなにスピードが出るのだろうか。まるで早送りで見ているようだ。

 テレビカメラの死角にエアカーが入った。
 ババァァァァン

 破裂音とともに画面が真っ白に輝いた。
 ど、どうなったの? 
 画面は一面白くぼやけていて何も見えない。煙なのかピントがあっていないのか。
 テレビの中継リポートを聞き洩らさないように集中する。
「熱放射砲の発射直前にエアカーがヘリに衝突。エアカーは大破したもようです」
 
 大破ってレイターは???
 テレビ画面にピントが戻る。煙でヘリ本体はよく見えないけれど、エアカーが破片となって降っていく様子が映っていた。
「熱放射砲は発射されず、地上への被害はありません」
 ということはダルダさんは無事だ。ほんとに優秀なボディーガードだ。

「レイターは優秀なんだから、クライアントとの約束は守るわよね」
 口に出して確認をする。生きて帰ってくるって約束したわよね。

 『その条件、飲んだぜ』
 青い瞳が頭に浮かんだ。 

 バラバラになったエアカーの映像が最悪の事態を示している。足が震えてきた。
 NRにギャフンと言わせる、なんて言わなければよかった。おとなしくソラ系へ帰ればよかった。

 「軍用ヘリの着陸脚に誰かいます」
 アナウンサーの声で我に返った。煙の中に人影が見える。

 レイターだ。レイターが着陸脚にぶら下がっていた。
「レイター!!!!」
 テレビに向かって大声で叫んだ。

 ヘリの窓からレーザー銃を持った男がレイターを狙って撃つ。
「危ない」
 ビシューン、ビシューン
 レイターは体に反動をつけて器用によけていく。
 もはや現実味が無い。

 アクション映画のようだ。皇宮警備のドラマにこんなシーンがあった。レイターの動きに見とれる。皇宮警備官のようにかっこいい。
 でも、これはドラマじゃない。撃たれても落ちてもレイターの命はないのだ。
 レイターは着陸脚に足をかけて上り、レーザー銃の死角へ入った。

 ほっとする間もなく、へリはレイターを振り落とそうと右に左に旋回した。身体が大きく傾く。

「レイター、がんばって!」
 テレビに向かってエールを送る。今わたしにできることはそれしかない。

* *

 とにかく風が強い。レイターは顔をしかめた。
 機体をつかむ指が痺れてきた。ちっ、いつもより身体が重てぇ。先週の怪我が響いてんな。
「っはん。こんなところで落っこちたら、ティリーさんに叱られちまうぜ」
 指先に力を込めて体勢を整える。

「そこのヘリコプター。止まりなさい」
 ヘリパトが近づいてきた。MM二十六が逃げるように速度を上げる。田舎警察のへぼいへリじゃ追いつけねぇな。
 着陸脚に身体を固定し、腕につけた無線機のスイッチを入れた。

「おい、アーサー聞こえるか? NRのヘリ、ちゃんと追えてるだろな」
「お前自らが発信機とはな」

「フン。あんた見てただろ、俺のエアカー代、ちゃんと払えよ」
「必要経費として請求してくれ。経理が判断する」
「言っとくが、定価の倍は改造費がかかってるんだからな」
「水増し計上は認めないと言ったはずだ」
「水増しじゃねぇ、実費だ!」

 軍用ヘリは見る間に市街地を抜け、原生林の上を低空で飛行した。灯り一つない黒い闇が広がっている。パキ星は未開の地がほとんどだ。深い森の奥はパキ政府も把握し切れていない。
 森の上でヘリが突然ローターを畳んだ。
「ご到着ですか」
 レイターが体を緊張させる。
 ヘリは急降下し森の中へと突っ込んだ。緑の葉がレイターの体をたたくように当たる。

 覆い茂った葉で上空からはわからなかったが、森の中はその一部が切り開かれていた。
 簡易建物が見えてきた。ここがNRの武器庫か。

 速度が落ち、着陸態勢に入る。構成員が銃を構えて次々と飛び出してきた。撃ってきたりはしない。着陸のショックに備える。
 着陸脚が地面に着いた。さすが最新鋭機だ、思った以上に衝撃が少ない。

「はいはい」
 両手を挙げて戦意がないことを示し、機体の下からゆっくり表へ出る。
「こいつの武器を解除しろ」
 ヘリから降りてきた男が指示した。

 胸にNRの赤い幹部バッジが光っている。さっき裏通りで会った男だ。
 男たちは、レイターから銃と電子鞭を取り上げると、後ろ手にして手錠をかけた。

 赤いバッジの男がレイターの身分証を確認する。
「ほう、ボディーガード協会のランク3A。どうりで手ごわいはずだ。俺はNRパキ星支部長のゴド」
 ゴドはレイターから取り上げた電子鞭を振った。

 ブォーン。

 鈍い音を立てながらレーザー光が軌跡を描いてしなる。
 うれしくねぇ展開だ。とレイターは思った。 

 ゴドが、電子鞭をしならせながらレイターに近づいた。
「まだ、手がしびれているんだよ。先ほどの借りを返させてもらおうか」
「いや、チャラにしてやる。返さなくていいぜ」
「うるさい!」

 ビッシーン
 レイターの右肩を思いっきり叩く。

「うっ」
 右肩だけでなく全身に衝撃と痛みが走る。体中が痺れて立っているのがやっとだ。

「ほぅ、流石3Aだな、一撃では気を失わないのか」

 ビシーン。
 今度は左肩を打った。

 心臓が締め付けられるような痛みが走る。 
 誰だ、電子鞭の衝撃は弱いって言った奴。今度、電子鞭でぶったたいてやる。
「お前のせいで、オレの計画は全部狂ったんだ」

 ビシーン、ビシーン
 レイターの肩や胴、を次々と連続して叩く。
「そもそも交渉に応じれば人質は返す予定だったんだ。それをお前が邪魔をした」
 痛みに耐えながらレイターは思った。こいつ、さっき銃で撃っちまえば良かった。

「ホテルの砲撃から逃がしたのもお前だな?」
「お仕事だからな」

 ビッシ、ビッシーン
 ゴドはいらだちをレイターにぶつける。
「お前さえいなければ。本部へ戻れたんだ。こんな星にいたくないんだよオレは」

 立っていられなくなったレイターが片ひざを付いた。
 このまま倒れちまえば楽だ。
 だが、まだだ……。

 レイターは肩で息をしながら、ゴドをにらみつけて言った。
「クロノス本社は、工場の拡張に、慎重だ。あんたらさえ、出て、こなけりゃ……丸く、収まったんだ……あんな、兵器まで、持ち出して、自然保護が、聞いて、あきれるぜ」
「黙れ、黙れ! お前のせいでオレは兄貴から叱責を受けたんだ」
 熱デギ放射砲はNRをさらなる高みへと引き上げる切り札だった。兄貴はそれをオレに任せてくれたというのに。
 こいつのせいだ、こいつの。

 怒りにまかせてレイターの背中をレーザー鞭で繰り返し打つ。
「くっ……」
 ぐらりとレイターの体が傾き地面に倒れた。ゴドの息も上がっていた。
「ふぅ、気を失ったか。作戦変更だ。こいつを人質にして交渉する」

 ゴドが基地へ入ろうと向きを変えた、その時。
 基地の中から長身の男が銃を構えて出てきた。

 連邦軍の制服に身を包み、長い黒髪を後ろで束ねた男。
「連邦軍特命諜報部です。NRパキ星支部長ゴド・ドアール。あなたに逮捕状が出ています」

 一目見てゴドはこの男が何者か理解した。

 銀河連邦で知らぬ者はいない。将軍家の御曹司で次期将軍。アーサー・トライムス殿下。
「ど、どういうことだ?」
「この基地は連邦軍が占拠しました」 
 い、一体いつの間に。
「こいつがどうなってもいいのか?」
 ゴドはあわてて足元に転がっているレイターに銃を向けた。

 その瞬間、レイターが目を開いた。
「アーサーに聞いたって『どうなってもいい』って答えるだけだぜ」

 バシッツ。

 ゴドが引き金を引くより早く、レイターがゴドのすねを蹴り飛ばした。

 はずみで電子鞭が転がる。
 レイターは手錠からするりと腕を抜くと電子鞭をつかんだ。倒れた体勢のまま鞭をしならせる。
「お返しのお返しだ」

 ビッシーン。
 電子鞭で打たれたゴドの体が地面へと倒れた。

「立てるか」
 レイターにアーサーが手を差し出した。

 その手を掴んで立ち上がりながら、レイターは文句を言った。
「親切なふりしたってわかってんだよ。ったく、あんた、俺が叩かれてるの止めもせずにゆっくり見てただろが。相っ変わらず性格悪りぃな」

 レイターの指摘をアーサーは否定しなかった。

 身体を張って倒れずに突入の時間を稼いでくれたのもわかっている。
「いいリハビリになっただろう?」
「はぁ?」
 怒っていいのか、呆れた方がいいのか反応に困るレイターにアーサーは笑顔で言った。
「冗談だ」

「あんたの冗談が面白かった試しがねぇよ」
「まだ本調子じゃないところ、悪かった」
「悪いと思ってる奴がこんなハードな仕事当てるかよ。ったく、礼も詫びもいらねぇから、その分、手当てをはずめよ」

* *

「ただいまぁ」
 フェニックス号の居間にレイターの間延びした声が聞こえた。
 わたしは大急ぎでタラップへと走った。レイターとダルダさんが二人そろって立っていた。

「よっ、約束は守ったぜ」
 よく無事で帰ってきてくれた。レイターの笑顔を見たら涙がでてきた。よかった。本当によかった。
「あれ? 今回も熱烈歓迎頼むぜ」
 レイターったら、にやりと笑ってハグを求めてきた。
「バカバカバカ」
 泣いているんだか、怒っているんだか、自分の感情がお天気雨のようだ。
「ガハハハ。なかなかのロマンとスリルだったよ」
 レイターがわたしに礼を言った。
「ティリーさんが軍用ヘリと熱デギ放射砲を見つけてくれたおかげで助かった。ありがとよ」
「どういたしまして」
 留守番だったけど、わたしはわたしの仕事をやり遂げたことが誇らしかった。レイターの警護に役立ったはずだ。だから、次のレイターの言葉には納得いかなかった。
「あんなに早く見つけられるとは思わなかったぜ。ティリーさんは運がいいよな」
「運がいい? 違います」
 反射的に否定する言葉が出た。

「あん?」
「ちゃんとアルバ関数を概算して、怪しい数字をピックアップしたんです」
 ムキになってしまった。わたしだってがんばったのだ、運だけじゃないことは伝えておきたい。でも、言ってから後悔した。子どもみたいだ。
「へぇ、そうだったのか。あんた凄いな」
 レイターが素直に感心した顔でわたしを見た。いつものようにちゃかさない。声がドキッとするほどいい声だった。
 ダルダさんがレイターのわき腹を突っついた。
「ガハハハ。ますます『愛しの君』に似てるじゃないか」
『愛しの君』? 誰のこと? と考える間もなく、
「うるせぇ」
 いきなりレイターが銃を引き抜いた。
「レイター! 止めて!」
「おっととと、間違えた。猛獣には鞭だった」
 そういいながらレイターは、船の中で電子鞭をしならせた。

* *

 ニュースでは環境テロ集団NRのパキ星支部長が逮捕され、基地から大量の兵器が押収されたと伝えていた。
 レイターが軍用ヘリで連れ去られたところへ、ちょうど摘発が入ったのだという。これだけの押収は初めてで、NR本体にも壊滅的な打撃を与えるだろうということだった。

 ダルダさんはテレビに出たのがうれしかったらしく、何度も繰り返し同じ話をしてくれた。「ロマンとスリルだ」と言いながら。
 そしてレイターは、
「ふああ、きのうさぁ、徹夜だったんだ」
 とあくびをするとそのままソファーに倒れ込み、眠り続けていた。

 眠っているレイターを横に、ダルダさんがわたしに話しかけた。
「こいつ、すごいだろ?」
「ええ」
 素直にわたしはうなづいた。
 テレビに映っていたレイターは、いつもとは別人のように格好よかった。
「だから俺は心配してないんだ。ガハハハハ」
 とんでもない出張だった。生産が遅れている原因の調査に来たら、環境テロに巻き込まれて、テロ組織をギャフンと言わせたい、って思ったら、組織が摘発された。
 厄病神のパワー恐るべしだ。
 寝顔をじっと見つめた。しゃべらないでいれば、整った顔立ちをしている。声を潜めてダルダさんにたずねた。
「あのぉ、『愛しの君』って……」
「気になるかい?」
「い、いえ」
 あわてて否定した。
 でも、自分に似ていると言われて気にならないと言えば嘘になる。先週もアーサーさんに似たようなことを言われた。

「こいつが想い続けているぞっこんの女さ」
 ダルダさんとレイターのやりとりから、大体のところは想像していた。でも腹が立ってきた。
「変な人。そんな好きな相手がいるのに、女の人と見ればちゃらちゃら声かけておかしいわ」
「まあ、いいんじゃないか。レイターも手の届かない恋だけを追ってるわけにいかないからな」
 レイターの片思いということのようだ。
「人生にはロマンとスリルとロマンスが必要なのさ。ガハハハ」
 というか、ナンパとかそういう軽いことをしているから、本命の人とうまくいかないんじゃないだろうか。

* *

 そして、我が社の工場拡張計画は一旦白紙となり、もう一度パキールの生態調査から行うことになった。
 どうやらそこにダルダさんの実家が一枚噛むことになり(ダルダさんの実家は農業研究所も持っていたのだ)、ダルダさんはまた実家から小遣いをもらったと噂で聞いた。

 本社へ戻ると隣の席のベルがわたしに頭を下げた。夏風邪はすっかり元気になっていた。

「ティリー、ごめんねぇ。こんなことになるとは思わなかったわ。宿泊ホテルに迫撃弾なんて前代未聞よ。怖かったでしょ~」
 わたし以上に興奮しているベルを見ていたら、
「まあ、人生にロマンとスリルは付き物だから」
 と、応えてしまった。まずい。あの二人に毒されてきた。
「レイターって噂通りの厄病神ね」
 ベルの言葉に思いっきりうなづいた。
「ほんと、参っちゃうわ」
 でも、もし、レイターがいなかったら、わたしは迫撃弾の炎の中で死んでいたかも知れない。そして、テロに屈する形で工場の拡張計画はつぶれていただろう。こんな目にあったとは言え、ダルダさんもわたしも怪我一つしていない。ボディーガードとして優秀だ。
 また、彼に命を助けられた。
 その時わたしは、気が付いた。レイターにお礼を言っていなかったことを。彼は命を救ってくれただけじゃない。ダルダさんとわたしの面倒な依頼にも応えてくれた。
 きちんと感謝の気持ちを伝えなくては。通信回線をフェニックス号にセットした。
「およ、ティリーさんから連絡とはめずらしいね、どうしたんでい?」 
 寝起きだろうか、髪の毛がぼさぼさだ。だらけた姿のレイターがモニターに映った。皇宮警備の面影はみじんもない。
「伝えたいことがあって……」
 命を救ってくれてありがとう。仕事以上の無理難題も聞いてくれて感謝しています。って言葉をちゃんと用意していたのに。
「きょうもイチゴちゃんなのかな?」
 レイターがにやりと笑ってウインクした。

 イチゴ……。スーツケースにはさまった下着が目に浮かんだ。恥ずかしさで顔に血がのぼってきた。
「ス、スケベ」
「あん? 俺に伝えたいことがあるんだろ。愛の告白かい?」
 この人、わたしをからかって楽しんでいる。片思いの人がいるくせに。最低、やっぱり厄病神だ。
「はっきり伝えさせていただいます。レイターなんか大っきらい!」
 それだけ言うとわたしは思いっきり通信機のスイッチを切った。      (おしまい)


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ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」