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【NFTはアートに何をもたらしたのか?】

"モノなしに流通させてもいいよねということこそ、NFTが見せた可能性であり、アート×NFTの本質だと僕は思っています。"現代アーティストのプロダクション事業を行う「HARTi」の代表吉田勇也さんは以下の記事でこう語っていました。

また、”資産としてアートを買う人たちは、作品を家に置いたり飾ったりしないことがほとんど。現物を見ずに購入することも多く、オークションで落札したら、そのままアートは倉庫に直行です。”とも語っています。

つまり、NFTによって芸術作品自体の価値より投機としての価値が広まったという事で、作品の本質的な価値が理解されたのではないということです。言ってみればNFTの特性上、芸術作品の売買が都合が良いという理由から投資家による資本主義の餌にされているといった状況だと感じています。

作家の側にしてみれば、作品自体の価値よりNFTだから売れている。つまり、NFT=金になる→作品作る。
が目的になる事が本質的な芸術的創作行為なのだろうか?という疑問もあります。 

有名な現代アートの作家さんが「私の作品を100個NFTで発表するといったら、まだ作品も発表していないのに全て予約で完売した」と喜んでいました。作品を見てその作品が評価されて買われたのではなくNFTだから売れたと、ご自身自ら語っています。つまり、作品そのものではなく所有権=投機対象としてしか作品を見ていない人にとっての価値であって、芸術的な評価や価値より経済的な価値でしか作品が評価されていない。ということを喜んでいました。。。違和感感じませんか?経済合理性で作品作ることが芸術なのだろうか?

私自身、コインチエックにアカウントを作って、ETH(仮想通貨)にする前に、OpenSea(NFTのオンラインマーケットプレイ)をたずねると、これといって欲しい作品もないし、気になったのは、坂本龍一さんのNFTです。GMOインターネットグループが運営するNFTマーケットプレイス「Adam」で坂本龍一氏の楽曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」を595音に分割してNFTにして1音10,000 円で1次販売。2次販売では高騰し再販価格1000万円になっていました。

坂本龍一氏の1音を1万円で買うことに個人的には芸術的価値を見出せない。普通に音楽として聞いた方が感動するのは間違いない。それが100%チャリティーなら別として、たった1音が1万円から数千万となるのはNFTバブルに乗っかった儲け話、つまり投機としの価値にしか感じることができなかった。

価値は作品にあるのか?NFTにあるのか?。

 現代アートの作家ダミアン・ハーストは6年間かけて制作した作品1万点をNFT化しました。購入にあたり条件があって期限までに現物の作品ではなくNFTだけを所有し続けるか、NFTを手放して作品の現物をだけ入手するかという選択をしなければなりません。NFTを選んだ購入者の作品は燃やされてしまいます。最終的に48000人、約半数の人がNFTを希望しました。つまり、作品よりも作品の権利を選択し、存在しない作品の所有権だけが高価で取引されるというまさに、作品よりも投機、つまり半分の人は作品よりも金であることが証明されたわけです。

 この作品の購入プロセス自体がアートの本質を問う作品と言っていいでしょう。逆に言えば現代アートの文脈でNFTアートとしては高値のついたNFT作品以上に芸術的な作品と言えます。ダミアン・ハーストの様にNFT自体を作品にする芸術家を除いて、NFT=儲かるという投機と作家は淘汰されるのではないかと思います。

NFTについては、アートの本質的価値=非経済合理性と、投機=経済的価値という問題を浮き彫りにするツールまたは手段であり、この矛盾するトレードオフの現状こそ現代アート的な視点だと感じています。
 アーティストの支援になることは好ましいことで否定はしませんし、同時にテクノロジーの先端的技術でもあり、こういった方々の投機が開発費になっているのも事実だと思います。なので、否定もしませんがNFT作品を買う気にはなれませんでした。


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