104、蟻と王様

高校時代、大学時代共に体育会系と理工学系、文科系、医学系
などと分けられるが、ここでは主に体育会系のお話。

思い出すのは小学校1年生の時に学校のプール(珍しくあった)
で塀を越えて水遊びをしていた罰で朝礼の時に7人ほどが並べられ
兵隊上がりの先生は生徒の小さな椅子で端からその椅子で殴る
事までして生徒は勢いで倒れた。多分大きな傷もあっただろう。
先生はその衝撃に驚いたのか、1人の生徒だけで終えたがぼくに
回って来なくて良かったとの記憶が今だに残っている。

その頃の先生は厳しく、出席簿や大きなハサミの取手の方で
殴られた記憶もある。一度はクラスが終わってぼくが掃除の委員
だったのだが、外で遊んでいたのがバレて出席簿、平手打ち、で
思い切り殴られ翌日顔が大きく腫れて4歳上の兄貴同伴で先生に
その症状を見せながら訴えた思い出もある。

とまれ、日本の場合はサムライ・スピリットというか監督に
体罰が多い気がするがアメリカでは生徒同志のイジメの方をよく
耳にする。その内先輩と後輩の上下関係は日本の方が厳しく
まさに蟻と王様、乞食と王子の様を浴びる。

私自身、それで先輩をXしてやろうかと思った事もあった。
特に昔は稽古中に水を飲む事は絶対に禁止されており、汗は滝の
ように流れながらも喉は砂漠で迷ったようにカラカラになり
死んでも良いと思う時もあった。

先輩とは数ヶ月一緒の生活だったが、道場での厳しさは我慢
出来ても普通の生活にまでの上下関係の辛さは格別だった。

以前自分で料理などした事がない男が訳も分からず料理をすれば
不味いのは当然だろうが、あまりの不味さに作り直しや掃除、洗濯
は元より夜遅くバルティモアから帰ってすぐに家の中での稽古が
始まるのには辟易だった。渡米前私の稽古不足が祟っていた。

今はないのだろうが、昔は新入部員に対して「ヤミ鍋」と言われる
食事会があった。これは先輩が鍋に食材以外の物、(個人的経験
では輪ゴムがあった)昆虫、カエル、オタマジャクシ、小さな人形、
オモチャなど数えれば切りがない。それが度胸試しになるかどうかは
疑問だが。

アメリカでは生レバーを食べさせたり、裸で橋桁を歩かせたりを
よく聞いた。多いのは若い女性の前や女子大の前で「ムーンを
やってこい」(ズボンを下ろして尻を見せる事)がある。
女性達が喜びながらキャーキャー言うのを楽しむのである。
これらは一種の「いじめ」なのだろうが、それも時代の流れか
禁止されたり自発的に止めるようになった。それとは逆にフット
ボール、野球、バスケットなどプロにスカウトされた生徒は奨学金
や宿舎も特別室を与えられ他生徒達の羨望の的になる。

ただ一般的に体育会系は頭脳の方が少し足りないというイメージが
あり、スポーツで優秀であっても成績が悪い学生にはプロもスカウト
を控える傾向があり、校則も厳しくなっている。スポーツでも学問
でも本当に優秀な学生は文武両道である事が本来の姿であろう。

ある日本の大学は体育会系で強い生徒は4年間の学生生活で期末
テストの試験の4日間だけ出席したとか、W大でも半年も授業に出た
とする自慢者もいた。その上テストの監督は同じ体育部の先輩で隣の
生徒の答えをカンニングして教えてくれたと言う。

ただその結果、自分の名前のスペルを私に聞いてくる後輩もいた。
彼は恥ずかしさを知らず、間違った英語を話していても数年後は
堪能の域に達していた。まさに英語上達の見本でもあった。
それは柔道や空手を教えていて、生徒に英語を直されるとボコボコに
されるという恐怖心で生徒から丁寧に英語を教わったのだろうか?

昨今LGBTが世界で話題になっているが、ある先輩は可愛い新入部員
が好きで寝技に持ち込みXXされた話があるが、その先輩は強く、幸い
に私は可愛くなかったので被害には遭わなかった。

後輩に対して優しすぎるほど礼儀を弁える先輩諸氏もいる。
1964年の東京オリンピックでオランダのヘーシンクと戦った
神永選手は後輩に対して礼儀正しい人だった。

こんな話は理工学部や医学部、文学部専攻では全く無関係と言って
良いだろう。これは頭の問題では無く、その国の文化、習慣、伝統
など様々な関わりがあって出来上がった風習なのだろう。

終。

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