見出し画像

100, 初めての個展

人には自分の思いを相手に伝える手段として言葉がある。
その相手が政治家であったり、愛する人や相反する意見を持った
人であったり様々だが、言葉以外にメッセージを伝えるには絵画、
音楽、文章、映画、舞台、舞踊、など芸術的な世界だけでなく
民芸品や日用雑貨などを創る人達も多く存在する。

私はグラフィック・デザインという分野で海外で活動してきたが
NYの息子に私の初孫が誕生し、彼に何かを残したいとブログなる
物を100編以上書いたが孫は日系3世であり、日本語の読み書きは
困難であると推測してお爺ちゃんのメッセージをイラストで伝える
事にした。

しかし、絵画は技術ではなく、思想やフィロソフィーであると考え
数年間自分のスタイルは何なのかと迷っていた。数十年の経験を
持つプロのイラストレーターやアーティストにはデッサン力や筆致
など太刀打ち出来ない。多くのアーティスの真似は嫌だと考えて
いる内に過去仕事としてやってきた事を写真ではなくイラストで
やる事に気付き、それから開き直りアイデアが渾々と湧き出て来た。
それに気付いた時は75歳になっていた。以後個展を開催する迄の
5年間に大小100点以上の作品が出来上がった。

銀座や神田周辺の何ヶ所かのギャラリーを見学したり、アドバイス
をしてくれた友人の紹介場所、価格などを調べた結果銀座6丁目に
良い場所を見つけた。それが今回のギャラリーである。

過去デザインで受賞した作品は巡回展として海外に展示されたが、
個人で全てを準備するのは初めてだった。特にこのギャラリーは
催し物の会場で壁面には絵画を展示する為のワイヤーで吊るすように
なっていたが中央にはそれが無く、どうするかと考えた時に現在
家で使っている片面のイーゼルを両面に作品を置けるイーゼルをと
決め運搬に楽な折り畳み式の10脚を好きなDIYで作り上げた。

作品集、ポスター、DMなどの印刷物も大きなヘルプがあって完成し、
テレビ局、新聞社、雑誌社、美大、広告代理店、そして友知人など
100部ほど送ったが会場に来られたのは友知人だけだった。
それも予想はしていたが。

以前銀座王子製紙のギャラリーでは私の30年(1万日)」の滞米記と
して出版とイラストの個展を亀倉先生や田中一光先生、青葉氏、勝井氏
など大物クリエイターが発起人としていたので、ギャラリー予定の
ズル入りも可能になり会場は立錐の余地もないほどの盛況ぶりだった。
今回は多くの大物デザイナー達は亡くなり全て自分1人の仕事である。
とは言え助けてくれた人達にお礼は言い尽くせない。搬入、搬出の
力仕事、受付の細かな接客対応、自分には出来ない印刷物の原稿作り
など周りの人達の大きな助けがあって成功したと思っている。

高校時代の同級生が杖をついて来てくれた。悪を共にした悪友達が
10人いたが3人は亡くなり、今は7人が健在?だが内5人は癌である。
透析をしている友人もいて皆早めに会場を出たが、その後居酒屋なり
喫茶店で昔話でもするかと思いきや、皆すぐに帰ったと聞く。何故か
それを聞いて寂しい思いをした。歳がなせる事なのか。

会場には毎日友知人に訪れて頂き、昔話や作品の説明など会話が
途切れる事は無かった。ただ多くの参観者のご意見は先ず「その歳で」
次が「イーゼルも作ったの」の驚きだった。作品については約25点が
大きい50号であり、他の小作品は15号ほどのサイズだった為に
日本の家屋や壁面には大き過ぎるというのが問題だった。確かに日本
のギャラリーの作品は小作品が多く喫茶店やレストランの壁面に展示
出来るサイズである事に気がついた。これはアメリカとは正反対で
大きいほど高価でよく売れる理由である。

しかし最終日に昔の友人が小作品を購入したいとの連絡があり万歳の
気持ちだった。打ち上げも近所の居酒屋で楽しく出来た。NYでは友人
良きアドバイザーでもある世界のトップ・イラストレーターのポール・
デイビス氏がNYのキューレーターを紹介してくれるというのでやはり
次はNYになるだろう。
まだいつになるか分からないがそれまで元気で明るく健康でありたい。

終。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?