瞳に太陽 胸に星(2)
あの日から、あの最低キス男がいつ襲来してくるかってビクビクしながら学校に通った。
柔らかい唇の感触が何日経っても消えない。
人差し指で唇をなぞるとキスの直前に見た大きな瞳が瞼に浮かぶ。一瞬、先輩に見つめられたかと思っちゃったんだ。
似てるかな? わかんない。だってあんなに近くで顔見たことない。両想いっていったってホントに何もなかったなぁ。キスとかはしてなくて当たり前だけど、思い出すのは委員会のバカ騒ぎばっかり。
二人の大切な思い出だと思ってるものは、実はホントはそんなんじゃなくって、みんなが簡単に忘れてっちゃうほうが普通で、新しい生活の楽しいことを上書きして忘れるのが普通なのかも。
だけどあれ以来、先輩のことを思い浮かべるたびに、もれなく、容赦なくセットみたいにくっついてくるあのキスのことが憎たらしくて仕方ない。先輩の顔より、声より、アイツの目と俺様なセリフが鮮明で、うまく先輩を思い出せない。
「ああウザイ!」
「ちょっと、ちとせどうしたの!?」
「あっ、ごめ」
「次、化学だから移動だよ、行こ」
「うん」
考えすぎて思わず声に出ちゃってた。
「くくっ」
いま笑ったの誰? モヤモヤというかムカムカが消えない気持ちのまま、奈々を追って教室を出たあたしの肩に、耳に。
「お前、ずっと俺のこと考えてるだろ」
「ひゃぁっ」
先輩!? じゃない! 先輩の声はもっと優しくて、ふんわり癒される感じだ。今のは、もう少し低くて、イタズラっぽくて、ニヤニヤしてた。地の声質が凄く似てて一瞬びっくりしたけどアイツだ!
振り向いたら近くにはもう誰もいなくて。でも少し後ろに秋田君がいた。そういえば最近はほとんど毎日ちゃんと来てる。キス男のことで頭がいっぱいで、秋田君のことすっかりスルーしてた。アイツ、会ったら絶対ひっぱたいてやる!
キス男がこの学校の生徒なのはわかってる。なのに誰なのかはわからなくて。耳元でムカつくことを言われた日から何日か過ぎても、それ以上の接触はなかった。きっとからかわれただけなんだろうな、もう考えるだけ無駄、バカバカしい。
髪がうまくまとまらない鬱陶しい季節がやってきた。折角の梅雨の晴れ間も湿度は高くて、もうこれだけで学校に行きたくない気分。無駄だとわかっていてもつい格闘してしまって今日はとうとう遅刻確定。
HRは間に合わないけど一限の現国には間に合いそう。遅刻するほど時間かけてブローした髪は、きっとこの全力疾走でふりだしだ。
「珍しいな。お前がこの時間なんて」
後ろから駆け足する音が近づいてきて、ああ、この時間だし他にも走ってる生徒がいるなぁとか思ってたら、足音はあたしの隣まで来て並走しながら声を掛けてきた。爽やかで、柔らかくて、ふわふわの声。
声のするほうを向いたら、秋田君だった。え、キャラこんなだっけ?
「秋田君!?」
「アタマ、火事のコントみたいになってっぞ」
避ける間もなく、あたしの髪をさらにごしゃごしゃとかき乱す秋田君に、あの時のキス男がピッタリ重なった。
お返しにこの真面目ぶった黒髪カツラを掴んでやろうと手を伸ばしたら、いともたやすくひょいっとかわされてしまって。
「その手は二度とくわねーよ」
「きゃぁ!」
勢い余ってジャンプの着地でおもいっきり水溜りを踏んでしまった。カツラは取れなかったし、靴もソックスも水浸し。
「あ……」
「お前まじおもしれーなぁ」
秋田君が言うのが早いか、カラダが宙に浮いた。
「ちょっ!」
「じっとしてろって」
「荷物じゃないんだからっ! 降ろしてっ」
秋田君はあたしを肩に軽々と担いで、片手であたしの靴とソックスを脱がせた。
いきなり何やってんの!? しかも、学校と反対方向に向かって歩き出してる!
「ねえ、ちょっと、秋田君!? どこいくの? 学校すぐそこ……」
「いい天気だしデートしようぜ」
「はぁ!?」
何なの!? 秋田君って、体弱いんじゃなかったの? てかそもそも何でカツラ? 何で金髪? わけわかんない!
裸足のまま連れてかれたのは谷宿だった。電車の中でも、着いたホームでも、みんなあたしの足をチラチラ見てた。シートに座ってる時以外はずっとおんぶで、恥ずかしくてたまらなかった。
「これのどこがデート?」
「いいからいいから」
そう言って朗らかに鼻歌なんか歌いだして、慣れた様子でずんずん進んでく秋田君、一体何者なの? 聞きたいことは山ほどあって、おんぶで秋田君の耳がすぐそこにあって、なのに、あたしはなんとなく、無言で背中にへばりついてた。
途中、パステルイエローの壁が可愛いお店の前を通った。
前に奈々が言ってたプリン屋さんだ。
「あ、ここ……」
「ああ、ここな。ウマイぜ、“キスよりとろけるプリン”」
「ヘえ」
「店には入れねえから、今度届けてやるよ」
「あ、りがと」
すっごい混んでたって、奈々も言ってた。確かにこんな平日の午前中なのに、お店の中は人でいっぱいだ。
「もうすぐ着くから」
有名なお店が並ぶメインストリートから一つ道を入った路地で秋田君がニヤリと笑った。
「へ? ここ?」
秋田君があたしをおぶったまま入った建物は、谷宿のオシャレな感じゼロの雑居ビル。半地下の階段を降りて、更に地味な雰囲気。通路の一番奥、光の届かない黒い重たそうな鉄のドアに秋田君が手を掛けた、その瞬間。
「わ! 何、何?」
開いたドアの向こうから大音量の音楽が聴こえてきた。
「俺のお気に入りの場所。ぜってー誰にも言うなよな」
「う、うん」
外と中のギャップに、ただ息をのんだ。
「いらっしゃーい。 あら女連れ? ガキのくせに」
「キノコさん、コイツ可愛くしてやって」
「はいはい。王子の頼みじゃ仕方ないわね。あら裸足?」
「俺が汚しちゃったんだよ」
「シンデレラね♪」
オネエ言葉で派手な服の店員さん? が出迎えてくれたその店内は、真っ赤な壁にシルバーやゴールドの額縁付きのミラーが飾られていて、天井からは色とりどりのシャンデリアがたくさん垂れ下がっていた。一見、何のお店かわからない。少し奥まった壁に、たくさん洋服が掛けられているのが見えた。
「これ、使ってね」
場の雰囲気に圧倒されていたら、キノコさんがカラフルなフェイクファーのスリッパを貸してくれた。
「ありがとうございます」
「で、こっちよ」
「いってらっしゃーい」
秋田君がバーみたいなカウンターによりかかってひらひらと手を振っていた。
「あなた、お名前は?」
「あっ、すみません! 早坂ちとせです」
キノコさんは女物の服がディスプレーされているコーナーであたしに色んな服を当てながら、さっきより落ち着いたトーンで話しかけてきた。
なんだろう、ただ派手なだけじゃなくって、なんかすごく大人な感じだ。
「王子、女の子連れてきたのなんて初めてなのよ」
「えっ!? あんなにチャラいのにですか?」
「よそではね、そうかもしれないけど、ココはあの子にとって特別なのよ。男の子の秘密基地ね」
出会いが出会いだったし、今日だっていきなりサボってるし、実はスゴイ遊び人なんじゃないかとか思ったけど、案外イイヤツなのかも。
「あの子、いろいろ拗らせてるけどイイ子だから、仲良くね」
「あっ、はい!」
「あらコレいいんじゃない?」
シンプルだけど真っ赤な、ひざ下丈のワンピース。
スカートの下に大きなパニエをはいて、ウエストから大きく広がっている。
……てかこれ幾らするんだろう? よく考えたらここ、高そうな服ばっかだ。
「お。ま。た。せ」
「おお、いいね。可愛いじゃん」
「えっ……嘘でしょ」
キノコさんに選んでもらった服とメイクでカウンターに戻ったら、秋田君が別人になってた。
女の人みたいな肩までの青いカツラをかぶって、燕尾服がアシンメトリーになったみたいなオシャレめな黒ラメのジャケットにストライプのフリフリシャツ、ツルツルな白いオーバーオールを着崩していた。
かっこいい。ていうかキレイ。ファッション誌から出てきたモデルさんみたい。芸能人とかモデルさんなんて生で見たことないけど、今あたしの目の前にいる秋田君は、どんな芸能人よりもかっこいいんじゃないかとさえ思ってしまった。その秋田君に「可愛い」なんて言われて、カラダがかーっと熱を持って顔が火照るのがわかった。早坂ちとせ、一生の不覚!
こんなヤツ、かっこいいとか思ってしまうなんて! いきなりキスしてきたり、いきなり学校サボるようなヤツだよ!
キス、しちゃってるんだ。この見たこともないくらいかっこいいこの人と!
これ以上ないくらい熱いカラダが、更に熱くなる。心臓が爆発しそうなくらいの早さと勢いでバクバクしてる。恥ずかしくて顔をまっすぐ見れない。
「よーし。じゃ行こうか」
そんな緊張MAXのあたしにお構いなしで平常運転の秋田君があたしの背中をぽんと叩いて、だけどおかげでようやく我に返った。きっと買えないよ、あたしの今日のお財布じゃ無理だ。
「秋田君、せっかくだけど、あたしあんまりお金……」
「気にすんなよ、靴のお詫びと初デートの記念ってことでいいじゃん」
「えっ、でも」
「いいからいいから」
結局、秋田君に甘えるカタチに。
「またね、ちとせちゃん。あら嫌だ! 大事なもの忘れてたわ!」
そう言って、キノコさんがあたしにもカツラを被せた。真っ白いマッシュルームカット。
「あ……」
あたしも、別人だ。
鏡の前でちょっと派手かもと気後れした真っ赤なワンピースが、カツラを被ったら急にしっくり落ち着いて見えた。
「いってらっしゃい~。カバンは預かっておくわよ」
「サンキュ! キノコさん愛してる」
「全く、相変わらず量産品の愛してる、ね!」
仲の良さそうな二人のやりとりが素敵だな、と思った。先輩がいた頃はあたしもこんな風に冗談言ったりして、楽しかった。
あれ? 今あたし。笑ってる……?
自分の顔がいつもと違って緩んでいることに気付いて、あたしはきゅっと唇を結び直した。
ヘッダーイラスト:PixAI
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