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映画『FREE SOLO』 から考える撮影・録音
映画『FREE SOLO』は、命綱なしで断崖絶壁に挑むクライマー、アレックス・オノルドについてのドキュメンタリー。やや内容に踏み込むので、ネタバレが嫌でしたら、ここで読むのをやめてくださいね。
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ある日アレックスは、撮影クルーの存在が気になりクライミングを中断してしまいます。カメラマンも熟練のクライマーで勝手知ったる人たちでしたが、彼らの想像以上にアレックスは影響を受けていたようです。
そこで撮影班は、これまで以上に “存在を消す” ことに注力します(そのように見受けられました)。例えば、有人カメラを無人にする。望遠レンズを使ってアレックスの視界に入らない場所から撮影する……これらのことは「映像の質」を落としかねませんが、「映像の質」と引き換えに「映像作品の質」を優先させたのでしょう。
(とはいえ、映像も素晴らしいものでした!)
オーケストラの録音でも、音楽的なバランスを取るために複数のマイクロフォンを設置するのが当たり前になっていますが、もしそれらが演奏に悪影響を与えていたとしたら?
私は、音質追求の是非について、考えずにはいられませんでした。
さて、本筋からそれますが印象に残っている場面があります。
これはラジオ局?で喋っているシーンで、Youtube からのキャプチャーになりますが、注目したのはマイクロフォンの位置です。
ほとんどのサウンド・エンジニアは、マイクロフォンを顔の前に設置します。ところが見ての通り、顎の下、かつ胸の前にまで “追いやられて” いるのです。これはおそらく、音質よりもアイコンタクトやコミュニケーションを優先したためでしょう。目の前にマイクロフォンがあると、視界が少なからず遮られますからね。
レコーディング・エンジニアとして、いろんな “当たり前” を持っていますが、私はこの『FREE SOLO』を観て、自分の “当たり前” を疑ってみようと思ったのでした。
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