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「ママ」をゆるしてください

初めて会ったときは0歳2ヶ月だったぷーちゃんが、今日で2歳になった。

用があって訪れたペットショップで、高値で売られていた仔犬だった。
おめめが大きくてかわいいお顔だなと思ったけど、鼻水垂れであまり元気はなかった。
小食で食べムラもあるらしい。
相談していた父に「飼うなら元気な子にしなさい」と言われていた。この子は体弱そうだな…と思った。

命に向き合うことを余儀なくされた今の私だからこそ、同じく余生を全うすることを願う保護犬を迎えたかった。
だけど私の見た保護犬の引き取り条件は独身NGばかり。結婚も破談になった当時の私にはなかなかに突き刺さり、それ以上探すのは頑張れなかった。

それからしばらくして、まだあの子がいたら…と見に行った。
3ヶ月になった仔犬は「半額セール」になっていた。
半額になっても可愛いままだった。だけど半額だった。仔犬の1ヶ月の価値は大きいらしい。

ペットショップという命をビジネスにする場所で購入することのうしろめたさを感じていた私にとって、「売れ残り」というのは、免罪符を得たような気持ちになった。

「県外に新店ができたので5匹ほどで移動することになったのですが、この子だけ引き返してきたんです」
少し前にHPを見たとき、確かに一覧からいなくなっていた。
ベタだけど運命のようなものを感じた。

いきなりの末期癌宣告でもあまり感情の揺れのなかった私が、初めて泣きながら両親に話をした。
唯一の未来に向けたお願い。
犬と暮らしたい、私のいなくなった後その子を託したい。
両親も泣き出して、背中を押してくれた。

ぷーちゃんを抱きかかえ、店員さんに「この子にします」と言った。
もう叶わないと思っていた家族をつくる夢が叶った瞬間だった。

入れられた段ボールを車に乗せて、揺られているあいだ、私は久しぶりに「これから」について、前向きなことを考えていた。
告知を受けてから、どのように人生の幕を閉じるか「終わり」ばかり考えていた。
「始まり」を考えることが、なんだかもう新鮮だった。
帰宅してダンボールを開き、はじめて我が家を見たぷーちゃんは、とても眩しそうな顔をした。

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そして、舌をペロリと出して「さあ、やってやんぞ」と、たぶん、言った。

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(おや、これは様子が違…)と思ったのは正解だった。
ぷーちゃんは気が狂ったかのように走り回った、いや、跳ね回った。もはや犬ではなく兎。
圧倒された。
父にメールをした。
「おとなしい子というのは間違いでした。希望通り元気な子でしたので訂正しておきます」

まだパピーのうちは食事も1日3回、ごはんも消化しやすいようふやかしてあげる必要があった。いわば離乳食だ。
トイトレをがんばるも、失敗することも多ければ、トイレにお友達も運んでお昼寝する始末。

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夜にひとりで寝るのはさみしくて、泣きわめく。散々迷った結果一緒に寝ることにしたけど、まるで我がもの顔でベッドを独占。(ちゃっかり枕も使用)

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散々いたずらもされた。
めがねを取って逃げたり。

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吸着スポンジみたいなものを噛みちぎったり。

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遊んで帰ってくると顔も服もどろんこ。

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もうそれは「子育て」だった。

娘が結婚どころか死ぬとなって悲しみに暮れていた両親も明るくなった。
人間の子どもの成長を共有するアプリで、使い方違うんだろうけど、犬の成長を共有した。

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それまでの話題は「今日の体調」だったのに、「今日のぷーちゃん」に変わった。
帰省すると孫のように可愛がってくれる。

「ひ孫が欲しい」とずっと言われていた祖母にぷーちゃんを会わせたときなんか、これで救われた気さえした。

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まだぷーちゃんを飼う前、犬の飼い主が自分のことを「パパ」「ママ」と呼んでいることに違和感があった。
正直、「犬なのに、人間のあなたが自分のことママって!」とちょっと小馬鹿にした気持ちもあったように思う。
自分がぷーちゃんと暮らしてみて、大変だし、子どもどうぶつのやんちゃパワーを実感した。「飼う」というより「育てる」という感じだ。
ペットを飼う人には子どもや家族が欲しかった人が多いことにも気づいた。
実際に仲良くなった犬友さんも、不妊治療をしても子宝に恵まれず、犬を飼うことにしたと話してくれたことがあった。
そんな背景も実情も知らず、汲み取ろうともせず、「ママなんて言って…」と思っていた自分の浅はかさを知れた。

また、先に死ぬ確率の高い人間が犬を飼うことに反対する人もいる。
現に当時、ブログで「散々悩んで自分がいなくなった後も託せるのを確認して決めた」と書いても批判的な意見をもらったし、彼にも犬がかわいそうだ(私が先死ぬのだから)と言われた。
おっしゃる通りだと思う。
この子と家族になりたいと思ったのは私の勝手で、私が選ばなければ今頃別の家族のもとでしあわせに暮らしていたかもしれない。

だけど誰よりも、ぷーちゃんの命と犬生に向き合う覚悟はある。
その想いは誰にも負けない自信がある。
眩し過ぎる外の世界に連れ出してくれたのがぷーちゃんだったし、その背中を押してくれた人たちがいたんだし、その幸せを掴みに行くと決めたのは私なんだから。

一緒に暮らし始めた時からのテーマは「私がいなくなっても大丈夫なように」。
それはどこか寂しくて切ないのだけど、いいことだったと思う。
幼いときからたくさんの人に会わせ、いろんな所に連れて行った。
人見知りってなぁに、ママじゃなくてもOKみんな大好き。初めての場所も平気、お出かけも大喜びする子になった。
これからもぷーちゃんのママとして、ひとりといっぴき、家族として、時々大切なみんなも加わってもらい、たとえ短くなっても後悔のしない時間を過ごしたい。
いつその時がきてもいいように、お別れの準備もしながら。

だけど、愛おしさを感じると欲が出るもので、歳を重ねるぷーちゃんを末長く見守りたいと、少しは夢見ていたりもする。

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