第18話 【3カ国目マダガスカル⑥】モロンダバの人々「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
「暑すぎる。汗が止まらないぞ」
連日30度を超える「港町モロンダバ」で僕は何もせずダラダラと2週間ほど過ごしていた。
地面に染み込んでいく汗と一緒に、僕自身もこの街に溶け込んでいっているような気がしていた―
ジャラとの別れ。新しいホテル
「それじゃ、ジャラ元気でな!とりあえず気をつけてまた650キロ帰ってくれ。アンタナナリボに帰ったら連絡するよ。」
原付旅を終えて無事にバオバブ街道の朝焼けを見た僕等は、その日の午後に別れることにした。
ホテルで仮眠をしたあと、ジャラは原付でアンタナナリボまで再度帰っていく。
「また、会おう」と約束をしてジャラに帰りの交通費と宿代、そして謝礼も込めてアリアリ札を手渡す。
「ありがとう。ありがとう。また、絶対に会おう。タナ(アンタナナリボ)で待っているよ。」
ジャラはそう言うと、原付に跨りヘルメットを被った後「ブオォン」と右ハンドルを回し走り出した。
ありがとう。僕はそう呟き、彼の背中が見えなくなるまで見送りながらあることを思っていた。
「1週間前に僕の壊れた原付を押して帰っていた彼の背中と今の背中が、まるで別人だな―」
よし、俺もそろそろ次のホテルに移動するか。
熱中症と港のホテルTrecicogne
「やばい。まじ目眩がする。倒れそうだ―」
僕が新しく予約していたTrecicogne(トレシゴーニュ)というホテルまでは、約3kmほどの距離があった。
旅の中で、2km〜3kmくらいの距離を歩くというのは普通の事になっていたため17kg超えのザックを背負い宿泊していたホテルを出発する。
しかし、どうも足が上手く前に進まない。
気がつくと、額から大量の汗が溢れており頭がぼーっとする感覚に襲われていた。
まだ、出発して5分程度である。それから1分ほど歩いてみたが、足が動かなくなり藁にも縋る想いで、丁度隣を走っているプスプス(自転車の荷台に人が乗れるソファと屋根を着けたタクシー)に声を掛ける。
「Trecicogneまでいくらで行ける?」
「…………」
40代くらいと思われるガリガリの運転手は、僕の英語が理解出来ないのかそもそも英語が喋れないのか、マダガスカル語でモゴモゴ言うだけだ。
少し心配だったが、身体も限界が来ていたため電卓で「3,000」と打ち込み、後ろに勝手に乗り込みながらTrecicogneまでのマップを見せる。
目を凝らしながら、日に照らされたマップを確認するプスプスの運転手。
「オーケーオーケー。俺に任せろ」
10秒くらいスマホの画面を見つめた後、場所が分かったのか意気揚々と細い身体で自転車を目一杯漕ぎ始めた。
彼がペダルを回す足に込める力とは裏腹に、プスプスはゆっくりとゆっくりと進んでいく。
「プシュゥギィコ。プシュゥギィコ。プシュゥギィコ….」
そのペースが、熱中症を発症仕掛けている僕には心地よい気がした。
「プシュゥギィコ。プシュゥギィコ。プシュゥギィコ….」
「プシュゥギィコ。プシュゥギィコ。プシュゥギィコ….」
そのリズムに合わせて、少しずつ眠気が僕を包み込み始めた時に前からマダガスカル語で呼びかけられたので目を開ける。
「おい、着いたぞ。」
プスプスが到着した場所は「三つ星ホテルBEACH HOTEL」の目の前で運転手の親父は自慢げの顔で「ここだろ?」という顔をしている。額には僕と同じくらい大量の汗を掻いているがとても元気そうだ。
Googleマップを開くと、Trecicogneまで800mと表示されていた。おそらく、三つ星ホテルBEACH HOTELには東洋人が多く宿泊しているのだろう。
「全然違うけど…」
一瞬、「違うよ。もっと先まで連れて行って。」と言いそうになったが、英語が通じない相手に今の状況で説明するのがなんとも面倒な気がして僕は言葉を飲み込んだ。
「近づいたしまぁいいか。親父ドヤ顔やし…」
そんな事を思いながら、プスプスの親父にお金を払い荷台から降りる。
「ミサウチャ(ありがとう)」
「BEACH HOTEL」に入っていかない僕を不思議に思ったのか、後ろからプスプス親父の声が聞こえる。
僕はそれを無視をして自分の汗が染み込んでいく地面を見ながらトボトボと歩いていった。
「プシュゥギィコ。プシュゥギィコ。プシュゥギィコ….」
朦朧とする頭の中では、僅かな時間でこべりついてしまったプスプスが奏でる悲鳴のようなリズムが鳴り響いていた。
「プシュゥギィコ。プシュゥギィコ。プシュゥギィコ….」
20kg弱のザックを背負いながら歩いてはいるが、目を閉じるとなぜかプスプスに乗っている気持ちになる。熱にうなされているのだろうか。
「プシュゥギィコ。プシュゥギィコ。プシュゥギィコ….」
それにしても、親父めっちゃドヤ顔だったな―
モロンダバの屋台飯
「僕のモロンダバ生活といえば屋台飯である―」
なぜか分からないが、僕はこのモロンダバという街に2周間も滞在してしまった。
何をしていたかと言うと、特に何もしていない。国立公園などの観光地は1日2日程で周りきり、その他は自堕落な生活を送っていた。
朝はゆっくり起きる。
昼前に30分ほど掛けて歩いて街に繰り出し適当に露店を冷やかしがてらぶらついて欲しいものがあれば値段交渉をして購入する。(ちなみにこの時点でとてつもない汗を掻いている)
熱中症になりかけたところで、売店で15円ほどのぶどうジュースを買いホテル前まで30分ほど歩いて帰る。
そしてホテル周りの屋台で昼食を摂りホテルに戻り、(調子が良ければ街の屋台で昼食を摂る)
夕方涼しくなった頃にいつものレストランに行き、ビールを飲みながら海へ沈む夕日を見て暗くなったところでホテルに帰る。
と、このようにほとんどなんの生産性も無いような日々を2週間程送っていたのだ。
だが、僕はこの暮らしがとても気に入っていた。
ホテルには扇風機しか無く汗と蚊のせいで寝れなかったし、毎日と言ってよいほど熱中症っぽくなっていたが、「モロンダバはとても良い街」だったのだ。
それは間違い無く、モロンダバの激安な屋台飯とそこにいる人々がそうさせていたのだろうと思う―
迷い込んでしまった屋台飯
「ははは。あんた外国人なのに豪快に食べるじゃない。珍しいわ。」
Trecicogneホテルに着いて2日後、モロンダバの商店街を歩いている時に、「HOTELY BAZARY」(※正式な名前は忘れてしまった)という看板が立てられた、怪しげなフードコートを見つけ恐る恐る入って行った。
フードコートと言っても、中は薄暗く扉などは当然無い。入っていくと、土の上に乱雑に敷かれたガタガタの板が50cm程の幅で屋台と屋台の間に道を作っているような感じで、いくつもの屋台が軒を連ねているような場所で建物というよりは巨大な外壁のない掘っ立て小屋フードコートだ。
言うまでもないが、常にハエや蚊の「ブーン」という音が鳴り響いておりどの屋台にも真っ黒な塊がいくつも飛んでいる。
「うおー、アフリカって感じだなぁ」
汗を掻きすぎておかしくなってしまっていたのか、変にテンションが上ってしまう。
お腹が弱い僕はこの手の屋台飯をこれまで極力避けてきたが、原付旅を経ていろんなことに対する感覚が緩くなっていたのだと思う。
「ムワッ」する空気の中を進んでいると、恰幅の良い女性が青いワンピース着て立っている屋台があり「なんだかいいぞ」と思い立ち止まってみた。
「ライスとご飯が食べたいのだけど、いくらですか?」
僕は4人ほどが座れる椅子に跨りながら、汗だくで店主と思われる女性に話しかける。
いかにも、肝っ玉母ちゃんといった風貌の店主の女性にジェスチャーで、隣の人が食べている「ライスと肉の煮込み、そして濁った良く分からないスープ」を指差す。
それで、通じたのか彼女は手のひらをパーにして「5」という風にジェスチャーをしてくる。
その顔にはこちらを騙してくるような感じは微塵もない。その代わりに大きな安心感が彼女のおおらかな顔からは漂っていた。
彼女が言っている「5」というのは5,000アリアリ(170円)のことだ。
「僕にも一つ」そう言いながら、隣の人の食事をを指さした後、自分の顔を指さす。
「任せないさい。」という顔で、彼女は無造作に屋台の中に置かれた3つの大きな寸胴を順番に開けて僕用にライス、肉、スープという順番で別々の皿に注ぎ始める。
寸胴からは蓋を開けた瞬間にモクモクと白い湯気が吹き出し、それがあたり一体の温度をさらにあげたのか、僕の額からはより一層汗が吹き出してきた。
使われているお皿は、地面に置いてあるバケツの水に一瞬ドサッとつけられた後、キレのよい彼女の水切りで水を切られただけのものだ。
バケツの水の色をちらっと見ると茶色とまでは言わないが、少し濁って見える。
僕は明らかに不衛生なそれに対して、「それだよ!それ!」と妙なハイテンションになっていた。
「ゴクッ…」落ちる汗が僕の膝とテーブルの端を濡らしている。
周りを見渡す限り外国人は誰一人としていない。そもそも、こんなところでご飯を食べる外国人はほとんどいないだろう。
それくらいのローカル感がそこには漂っていたし、いくら現地のご飯を食べたい旅行客でも"許容できる衛生感"というのが各々に存在していて、この屋台は僕のセンサーでも"それ"を超えていたように思う。要するに、僕の"感覚"はやはりおかしくなっていたのかもしれない。
屋台の後ろでは、生きた鶏がそのまま熱湯が入った寸胴に頭から入れられ、一発では息を引き取らず、最後の悪あがきで声を張り上げていた。なんとも、良い光景である。
「はい、お待ち!」
大盛りライス ドンッ
鶏肉甘辛出汁煮込み ドンッ
濁ったスープ ドンッ
そんな感じで、僕の目の前にはこの屋台定番の定食が湯気に包まれながら運ばれてきた。
隣の人の食べ方を真似て、スプーンで出汁をライスにかけて口に駆け込んでみる。
熱々のライスに熱々の出汁。
味は甘辛くもあり、熱さにより少し辛味が強く感じる。それが、なんとも言えない風味を醸し出していた。
要するに、米が進む味なのだ―
「ハフッハフッ」
火傷しないように慎重に口の中で咀嚼してみる。
ただでさえ汗を掻いてる僕の全身から「ドッ」と汗が吹き出してきた。
「ポタッポタッ…ハフッハフッ…」
既に僕のズボンの膝は自分の汗でビショ濡れだ。
どういうわけかそのシチュエーションが目の前の料理をとてつもなく美味しいものにしているような気がしていたし、実際出汁が持つスパイシーさとその中に潜む甘さは癖になるものだった。
そして、次に僕は骨付きの鶏肉を右手で掴み一気に噛みついたのだ―
嬉しそうな屋台の人々
「見てみなよ。このアジア人。汗だくで肉にかぶり付いているわ―」
うまい!
僕は手で鶏肉にかぶり付いた後、直ぐにスプーンでライスを口に駆け込む。甘辛の出汁に浸かっていた鶏肉には味がしっかりと染み付いていて、噛みしめるたびにスパイシーさが口の中に広がってくる。
「明らかに粗い味付けだけど、それが堪らない―」
とにかく、ライスが進むその味付けは「鶏肉を食べてライス。出汁を掛けてライス」という順番で僕に食い意地を張らせるものだった。
口いっぱいにライスを頬張り、口を膨らませながら恰幅の良い店主の女性に親指を立てて「グッド」とジェスチャーをする。
すると店主の女性の顔が「ニカーッ」っと晴れ、満面の笑みで「そうでしょ?」というような満足げな顔を僕に送ってくる。
「見てみな。この子。こんなに美味しそうに食べてるいるわ!」
僕に満足げな顔を送った後、周りの屋台の店主やそこでご飯を食べているお客さんに大声で声を掛けていた。
言葉はマダガスカル語で分からなかったが、その後僕を見て「二カーッ」と笑う周りの人たちを見ればそう言っていることは容易に想像がついた。
周りの人たちの「二カーッ」という嬉しそうな顔は、僕の目の前にある不衛生な飯に更に美味しいスパイスを加えてくれているような気がした。
それから、僕は行きつけの屋台を4軒ほど見つけ毎日のようにその屋台に通い"汗だくで口いっぱいに飯を頬張る"日々を過ごし始めた。
どの屋台でも、汗だくで美味しそうに口いっぱいに飯を頬張る僕を見て周りの人が嬉しそうに「二カーッ」という顔をするのだ。
それを見て僕も嬉しくなり、更に飯を頬張る。
そんな日々は、僕を小さな港町モロンダバに溶け込ませてくれたような気がしたのだ。
最後の方はあまりに毎日屋台飯を食べすぎたせいか、謎の腹痛に苛まれてしまったのはココだけの話。
それでも、僕はやっぱり現地の人が喜んでくれる顔を見て食べる飯ほど美味しいものは無いと思う。
旅の中で2週間同じ場所に留まるということはなかなかない。そんな中で、街に溶け込む楽しさを教えてくれたモロンダバの街を僕は忘れることは無いだろう。
もしまた行くことがあったら、お腹が痛くなったとしても汗だくで口いっぱいに飯を頬張る。そして、そんな僕を見る彼らの「二カーッ」っと嬉しそうに笑う顔を見に行くだろう。
笑顔に勝る味付けに、僕はこの先の旅で出会うことなどないかもしれない―