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生きる糧には捉え方が2つある

私はしばしば何かを「生きる糧」と表現する節がある。
私にとって推しの存在は生きる糧だし、
休みの日に気心知れた友人や恋人と会う日はそこまでの仕事を頑張る糧になる。

この週末も、出張先の県から在住県に戻って恋人や知人と楽しい時間を過ごしてきて、今月の私にとっての生きる糧に値する時間だった。
その上で、「生きる糧」には2つの捉え方があると気づいた。
1つは、その糧・楽しみに向かってそこまでの日々を生きていくこと。
もう1つは、その楽しみを得たことで、その先の充電をしてエネルギーに変えて生きていくこと。
どちらも皆少しずつ持ち合わせているとは思うが、比率の違いはあると思う。
私は完全に前者だった。
推しに会った後、友人や恋人と会っている最中・後に「今日まで頑張ってきてよかった。今日までの頑張りが報われた。今日までのモヤモヤが浄化された。」といった考え方をするタイプ。この気持ちと引き換えに、終わりをものすごく寂しく思い、虚無感のようなものに襲われるのがデメリットかもしれない。

どちらがどうと言うわけではないけれど、自分の捉え方を再認識したというだけなのだけれども。

だからこそ私は先の楽しみを作りながら、日々を生きていくことに気持ちを乗せていこうと思う。
会社に振り回されている1月もあと1週間余りになった。2月の進退はまるで分からないしきっと大きく好転はしないけれど、私は私で楽しみを作って、糧にして、強く生きていく。

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