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歓迎の火(あかり)から希望の火(あかり)へ「竹あかり」の持つチカラを再考する

2020年東京オリンピック前夜に、日本全国で一斉に「竹あかり」を灯すことで “Welcome to Japan, Dear World!” のメッセージを伝えようと始まった「みんなの想火」プロジェクト。2019年11月より発生した新型コロナウイルスによる肺炎の流行により東京オリンピックの延期が決まってなお、私たちは2020年7月23日の全国一斉灯火は実施するという決定をしました。なぜそこで全国一斉灯火を延期しなかったのか?「竹あかり」の持つチカラや、まちづくりの観点からこの決定に関して再考してみたいと思います。


「ええっ、どうしよう。どうしたらいい?」
2020年東京オリンピックの延期に少なからず動揺はありました

2020年3月24日に発表された2020年東京オリンピックの開催延期の決定。それ以前より新型コロナウイルスの影響で学校が休校になった頃から万が一延期となった場合のことを想定し、”万が一延期になっても灯します” と覚悟を決めていたものの、やはり事務局内でも少なからず動揺はありました。やはり最初は「東京オリンピック前夜」という一生に一度かもしれないタイミングで「全国一斉点灯」だからこそ、そこにやりがいや意味を感じている仲間もいるだろうと感じていたからだと思います。

でも、だからこそ、改めて問い直す必要がありました。
【このプロジェクトの本当の目的は?】
東京オリンピックを日本全国で盛り上げること?
それとも ”自分のまちは、自分で灯す” その意思をもった全国にいるサムライたちを繋ぎ、そんなリーダーが日本中にいるという事を世界中のみんなに知ってもらいたいということ?

追い詰められた時こそ、戻るべきは原点。
「自分たちのまちは、自分たちで灯す」
この言葉について、再度しっかり考え直すチャンスになりました。

あかりを”灯す”ということ

そもそもあかりを灯すということは、元来 “安全で快適な生活空間の確保”という意味をもった行為でした。火は獣を遠ざけ空間を温め、炎のゆらぎは人々に安心な空間とやすらぎを与えてくれます。また、日本古来では火(ヒ)と霊(ヒ)は同音同義であったとされ、火には霊(魂)が宿ると考えられてきました。

結果、「火(あかり)を灯す」という行為は祈りの儀式とも慰霊の儀式ともなり、竹に火(あかり)を灯す「竹あかり」は、祭りやイベントなどのハレの場だけではなく、慰霊祭や葬祭など一見すると正反対の行事でも使用されるようになったのではと思います。

つまり、もともと「歓迎や祝いの火(あかり)」として灯そうとしていた「竹あかり」は、状況が一変しこのように人々が落ち込んだり、苦しんだりしている今、未来への「希望と復興の火(あかり)」となることができる。私たちのどんな想いも受け止めてくれる、本当にしなやかな存在だということです。

「自分たちのまちは、自分たちで灯す」の本当の意味

繰り返し「みんなの想火」プロジェクトで伝えているこの言葉や、「まちづくり」という言葉に出てくる「まち」という表現。一見すると「町」や「街」といった大きな単位で考えてしまいそうですが、実際のところは、本当に身近な人たちとの関わりをさす言葉なんじゃないだろうかと思います。

「自分たちのまち」
すなわちこれは自分が今暮らしている、その目の前にある人と人との繋がりそのもの。
「自分たちで灯す」
目の前に困っている人がいたら、手を差し伸べる。目の前の人との繋がりに向き合う。目の前の人との楽しい時間を想像し、自ら動き、自らの手で作り出す。
「おもいやる事」「向き合う事」「おもいを巡らす事」
「想火(そうか)」の「想」の字に込めたこの想いを、自分の目の前にいる、繋がっている人たちに向けるということ。

それこそが、私たちがこのプロジェクトで一番大切にしてきた
「自分たちのまちは、自分たちで灯す」ということ。

だとすればやっぱり【東京オリンピックの前日】というのはただのきっかけにすぎなくて、目の前で大切な人たちが困っている、まさにこんな今だからこそ、自分たちにできることをするべきなんじゃないか? そうしたら、日本全国、自ら名乗り出てくれたサムライたちみんなで今の日本を盛り上げ、来年開催される東京オリンピックへ向けてのメッセージを伝えることができるんじゃないか?

”大きな規模を目指すのではなく 誰かの小さな希望となる事を目指す”
”竹あかり で 魅せるのではなく、竹あかりを通して見せたいものを 大事にする”

実行委員長の言葉を借りると、こういうこと。
 「竹あかりを灯す」ということに、規模は関係ない。新型コロナがまだ収束していないのなら、自分で灯せる範囲で灯し、その様子をオンラインで配信することでだって、人と人は繋がることができるし、それをみた人の心はあたたかくなるはず。小さい竹あかりを作って、仲間たちに送ってそれぞれ灯したっていい。今大切なのは、自分たちが竹あかりをもって、今繋がっている人たちのために何ができるのか、日本がこれから元気になっていけるのか考えることなんじゃないか。

歓迎の火(あかり)から希望の火(あかり)へ。
それが、私たちの出した、ひとつの答えだったわけです。

竹のようにしなやかに“まちづくり” をみんなで楽しみたい

きっとどんな ”まちづくり” においても、当初の計画通りに行くことなんてほとんどないんだろうと思います。環境だったり予算だったり意見の食い違いだったり、ひとつひとつその壁を乗り越えて、刹那刹那で続ける意思を持ち、地道に一歩ずつ前へと進んでいく。きっとそれしかない。

そして、それぞれの人にとっての ”まちづくり” があるんだろうとも思います。どんなことが起きても、そしてそれに想いをもって向き合った人たちがどんな決断をしたとしても、竹のようにしなやかに、逆風も追い風も、このプロジェクトで出逢えたこの仲間たちと楽しんでいけたらと思います。

いましばらく、私たちの「みんなの想火」プロジェクト。どうか見守っていていただけたら、嬉しいです。



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