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なぜ“竹あかり”なのか?竹あかりの歴史とまちづくりへの可能性

“建築が建物を建てるだけの時代は終わる”
建築から「まつり型まちづくり」へ

「竹あかり」というと、神秘的なその光景から日本古来より伝わるおまつりと感じる方も少なくないかもしれません。ですが実際はまだ「竹あかり」誕生からほんの数十年ほどしかたっていない、まだまだこれからの可能性を大きく秘めたお祭りなんだそうです。なぜ「竹あかり」が未来のまちづくりを支えるキーワードとなり得るのか?当プロジェクトの代表・CHIKAKENふたりの「竹あかり」との出会いから読み解いてみたいと思います。

CHIKAKENのふたりが「竹あかり」と出会ったのは、2004年、彼らがまだ建築学科の学生の頃。当時師事していた熊本県崇城大学の内丸惠一先生に連れられて行ったのは大分県の「うすき竹宵(たけよい)」という“地域に繁殖した竹をどうにかしたい”という想いからはじまった竹を使ったおまつり。当時はまだ竹をななめに切って門松のように飾っていただけだったものに、【デザイン】を施し、「竹あかり」という芸術的価値を加えていくことでより多くの人の集まるまつりになっていったということです。

「建築が建物を建てるだけの時代は終わる。これからは「まつり型まちづくり」の時代だ」という内丸先生の思想を強く受け継いだ二人が「竹あかり」に関わり学んだことは、“より多くの人を巻き込む「まつり」をつくりあげるためには、その芸術的価値そのものを高めることが必要がある”ということ。そこで二人は2007年4月、大学の卒業と同時に、「竹あかり」の演出制作・プロデュース会社として「CHIKAKEN(ちかけん)」を設立。以降「竹あかり」の可能性を探求し続けています。


日本人のみならず世界中の人を魅了する「竹あかり」は
“持続可能なまちづくり”というメッセージを持った次世代のまつり

「竹あかり」の誕生の背景には、日本各地が抱える【放置竹林問題】が潜んでいます。日本古来より筍を採るために民家の隣で栽培されていた竹林が、その成長速度のために周囲の植生に無秩序に侵入していってしまい管理がおいつかなくなるという環境問題。そこでそれらの放置竹林で出てしまう大量の竹をゴミにするのではなく、「竹あかり」として芸術的価値を付加することで地域を盛り上げる資源とし、最後は竹炭にしたり土に還す。この一連の流れを生み出すことで、【放置竹林問題】がたくさんの人を有機的に巻き込むことができる“持続可能なまちづくり”というメッセージを持った「竹あかり」というまつりへと進化する。これが「竹あかり」がただの美しいまつりではなく、次世代のまちづくりを担っていく可能性を秘めたまつりであるという大きな理由の一つです。

竹を切る。竹を運ぶ。竹に穴をあける。竹を飾る。
非常にシンプルで、大人から子供まで、障がいがあったとしても一緒に楽しむことができる”誰も取り残さない”作業だけれども、ひとりでは難しい。たくさんの人を巻き込み、完成する「竹あかり」。

「竹あかり」が繋ぐのは、人と人の「輪」だけではなく、環境循環の「環」、そして日本文化の「和」。こんな時代だからこそ、「竹あかり」で日本中、世界中を繋いでいきたいと私たちは考えています。


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