吐き方を知らない大人の汚い言葉を書き連ねた紙。

4月に入り、私は社会人になってしまった。

 3月までのモラトリアム真っ只中、ぬるま湯に浸かった生活はこれにてもう終了である。大学時代はありとあらゆるやりたいことを優先したから学業面でのやり残したことや後悔とか後ろ髪引かれる感覚は今でも存在している。これは話にまとまりもないし、ただ書きたいことをつらつら書いてるだけだから読みにくいし、面白みもない。でも、言葉にしないとわからないことが多い

世の中で言葉を学んできた自分がこれからも社会で戦っていくにはもっと言葉をうまく使えなくちゃいけない。社会人生後2週間の新生児が成長していく様子をそっと見守ってくれる誰かがいたらそれはそれで嬉しいという独り言のノートだ。


 この怪文を書こう、と思ったのは4月に入ってからだ。3月末には「卒論以外の長文は当分書きたくない」としながらも「文章をどこかで書き起こしている自分ではありたい」とゼミの対して仲良くもなかった同期に打ち明けていた。だけど、書くことなんて思いつかないし何か創作をしたいかと言われたらそうでもなくてだいぶ困ってしまった。そのときに出会ったのが家長むぎの文章である。

 むぎちゃんは私の憧れである。学生時代に勉強をほとんどしてこなかった私にとって「勉強」というものは「働く」ことよりもハードルが高く感じている。それを「楽しいもの」として配信コンテンツで扱っている彼女は憧れでもあり、羨望の対象だ。

 初めて彼女の「Study  With Me」を視聴したのは卒論に追われていた2023年9月である。提出まで3ヶ月を切り、作業しなくてはならない、映像を見なくてはならないという焦りが息抜きの娯楽コンテンツにおいても受動的なコンテンツ以外は食指が動かなくなってしまった。おかげで映像をメインに扱う卒論だったにも関わらず、YouTubeばかり見る日々が続いていた。当時は人生ゲームが流行っていたから高頻度で行われるコラボ配信を垂れ流し、うんうん唸りながら卒論を指でつつく程度にやりながらただただ無感情にPCとiPadの画面を見つめていた。その日はハピトリで人生ゲームをやっていて、やっぱりこの組み合わせっておもしれーなあ、くらいの薄い感想を抱えながら視聴を終えた。その後のおすすめだっただろうか、SWMを見つけたのは。今となってはもうどうだったかなんてどうでもいいかもしれない。彼女は自分の学習を配信上で示すことで「同じ時間を同じ場所で過ごす」ということをしていた。着々と描かれていくノートは壮観だったし、休憩タイムのコメントも優しさに満ち溢れたものだった。いいな、これは心からの感想だったと思う。9月以降の卒論は常に追い込まれていたから、タイムキープとしてむぎちゃんの配信は本当にお世話になった。誰かに管理してもらわないとできないくらい、意思が弱すぎる人間だから。卒論が終わってしまえば本当に余暇のようなダラダラとした時間を過ごし、バイトに明け暮れ、資格科目の単位を落として卒業した。まじで勉強のべの字もなかった。新卒で入る会社は全くの門外漢なジャンルだったから春休みの間に勉強しよう!と思っていたはずなのに。社会人1日目の私はやる気に満ち満ちていた。この日から「勉強のために何を買おう」「日記のために何を買おう」とまず環境を整えようとやる気をガンガンに出して入社式に向かうと社長の話が長くて寝た。完璧にできないといじけるというガキみたいな人間なのでわかりやすくテンションが下がった。しかし、2日目の研修が終わってすぐ買った本を読んで帰るといういつもと違うことをして、日記を書くといういつもと違うことをしたらなんだか知らんが楽しかった。次の日もちょっと勉強して、日記を書いて帰ったら楽しかった。勉強の様子をTwitterでむぎちゃんに報告したらファボをもらって嬉しかった。まだ1週間ほどだし、眠い日も多くてしっかり1時間半やり切れる日は少ないけれど今までよりは確実に成長している自分が嬉しかった。


「全然うまく行ってなくてめしょ…になる日が正直ほとんどなんだけどむぎちゃんもみてくれてるって思うと頑張れる!!!
最近ちょっと勉強楽しいかもって思えるようになってきた!」


朝の気が滅入る時間にこの言葉が出てきた自分はもう、今までの自分より半歩は前に行けているのかなと思っている。3日坊主の自分が今1週間続けることができていて、もう少しで2週間になる。このまま1ヶ月、半年、1年と続けられたときにはもう少し自分のことが好きになれているんじゃないか。こればっかりは少し期待してもいいだろうか。

 自分はオタクくんなので隙あらば自分語りしていくのだが、プライドがアホのように高い。エベレストより高い。自分が1番じゃないと存在価値がないと思っている。そしてその割には努力をしない、これが1番厄介。このようなあまりにもかったるい生き物の自分は努力をして「才」を手に入れた人物にすらも妬み嫉みの感情を抱く(ぶつける)トンデモモンスターが誕生してしまったのである。努力をほとんどしていないから、他者から向けられる賛辞の声に対して後ろめたさがあって素直に受け入れることができない。それによって自己肯定感が鬼ほど低いメンタルバカモンスターとしてギリギリ生きている。4月に新卒として入社してからも「文章書くの上手いね」や「パソコン強いの?」と聞かれてもそんなことないですよ、ともしょもしょ喋って否定してしまう。そんなことないです、って否定するのって褒めてくれた人を否定するに等しい行為だよなあ、と思っても「ありがとうございます」とはなかなか言えずいつも一人反省会が開かれている。これは人見知りなのもあるとは思うが。これに関しては本当に直したいと思っていて、何かの切り抜きで見かけたイブラヒムの言葉が一言一句というわけではないけれど忘れられない。


「お前は努力するところを間違っている。他人と比較する努力はいらない」


私が寝ぼけてマシュ送ったんか?というほど私に刺さる言葉だった。お前は頑張ってないわけじゃないけどって前置きをしてくれるイブラヒムもそうなんだけど、少しは自分だけを見ることも大事なんだってガツンと殴られたみたいだった。だからこそ今は自分の知識を蓄えるフェーズに入っているのかもしれない。自分に自信をつけるために。


この文章を最後まで読んでくれた人がいるかどうかはわからないが、間違いなく他人に読ませる文章ではないほど乱文であることは間違いない。直すべき箇所が書いている最中にも多すぎる。それでも、今日ばっかりは吐き出さないと窒息してしまうのではないかと思うほど書いてみたかったのだ。次何か書くときはただの吐き出したものではなくて整える余裕があるといいな。思ったより自分は何かを言葉にしたい欲求が高いし、何か書き残しておきたい!と思うタイミングは多い。なかなか書き出すことをしないからいつの間にか忘れてしまうけれど。いつか何かのためになるかもしれないから、今日からは少しずつ何かを書くようにしようと思っている。自分の思考を整理する時間は思ったより、楽しくあっという間だ。このノートは4月10日のむぎちゃんのSWMアーカイブとともに生まれた。たまには勉強ではなくて思考整理の時間もよきかな。

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