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改めてオクトーバーフェストを知る

9月にやるけどオクトーバーフェスト。Hop Cultureにとてもよくまとまった記事がありましたのでまず共有したいと思います。

この記事を下敷きに、今回はオクトーバーフェストとそのビールについてのお話です。

そもそもオクトーバーフェストとは

歴史を紐解くこと約200年、1810年10月12日。バイエルン王太子ルートヴィヒとザクセン皇女テレーゼの結婚を祝って宴が催され、市民にも開放されました。これこそが記念すべき第1回オクトーバーフェスト。場所は現在でいうミュンヘン旧市街の南西部、後にTheresienwiese(テレーゼの緑地)と呼ばれるようになり、緑地を指すwieseのバイエルン語からWiesnと称することも。ちなみに当時はナポレオン戦争の真っ最中。オクトーバーフェストは市民の団結を狙うという意味合いも含んで行われたイベントだったのです。

そんな世界で最も有名なビアフェスですが、開催時期が10月前半から9月後半に変わったのは1870年台のこと。理由はなんと「そのほうが気候が良い」から。"9月にやるのにオクトーバーフェスト"の真実は何とも酒飲みらしい愛すべき発想だったようです。

オクトーバーフェストのビール

ミュンヘンのオクトーバーフェストで提供されるビールは、イベントのために造られたスペシャルビールであり、醸造するのはミュンヘン市内にある以下の6社のみ。

Augustinerbräu Münche (Augustiner)
Hacker-Pschorr
Hofbräu
Löwenbräu
Paulaner
Spaten-Franziskaner-Bräu (Spaten)

初期オクトーバーフェストにおいて、提供されるビールは当然のことながらバイエルン名物ダークラガー、Dunkelでした。19世紀半ばになるとウィーンでヴィエナラガーが興り、そのレシピをもとにSpaten社が琥珀色のラガーを醸造しました。これがいわゆるMärzen。1872年にオクトーバーフェストで初めて提供され、やがてイベント公式ビールになっていきました。時は流れて1970年代、Paulaner社がFestbierと呼ばれる黄金色のビールを提供し、モルティではありながらもライトボディな淡色ラガーは人気を博していきました。この頃の単色ラガー人気といえば、1957年にはベルギーのヒューガルデン村でホワイトを醸す醸造所が途絶えるほどでしたから、オクトーバーフェストにもその波が訪れるのは時代の必然だったのでしょう。

まとめ:Oktoberfestbier・Märzen・Festbier

ここまでオクトーバーフェストならびにそのビールについておさらいしてきました。そこで、混乱しがちなOktoberfestbier、Märzen、Festbierを今一度整理しておきましょう。

・Oktoberfestbier/Oktoberfest

ビールを指してオクトーバーフェストという場合、それは6大醸造所がミュンヘンのオクトーバーフェストのために醸造したビールを意味します。かつてはDunkel、その後はMärzen、近年ではFestbierといった具合に時代とともにスタイルは移り変わって行きました。つまりOktoberfestはビアスタイルを指すワードではないわけです。ちなみに、Oktoberfestを名乗ることができるのは前述の6社のビールだけ。他社で造られたものはOktoberfest-Styleとなります。

・Märzen

Sptaten社を起源とするドイツ式のアンバーラガー。英語にするならばMarch Beer、3月仕込みのスペシャルビール。当のドイツではFestbierに主役の座を譲っていますが、アメリカにおいてオクトーバーフェストスタイルのビールといえば、このスタイルで造られています。

・Festbier

南ドイツらしいモルティさはありながらもボディは軽く、ドリンカブリティを高めた淡色ラガー。2週間に渡るイベントでも飽きずに飲めちゃうゴクゴク系、といったところでしょうか。現代オクトーバーフェストでは公式のビアスタイルとされています。

No Wiesn Again

ミュンヘンのオクトーバーフェストは昨年に続き今年も新型コロナで中止。その代わり、現地のレストランはオクトーバーフェスト週間という感じでやってる様子ですね。

ということで今回はオクトーバーフェストのお話でした。オクフェスのビールといえばMärzenとすっかり思い込んでいましたが、今回の記事で認識を改めることができました。ビール好きたるもの、一度くらいは本場のオクトーバーフェストに参戦してみたいものです。

それでは、Prosit!

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