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ゴジラ-1.0 ミニチュアの大きな世界

コロナのせいではなく、年齢のせいで、十年ほど前に映画館には行かなくなり、近ごろのゴジラはみな小さな画面で見ている。それでも、ほぼすべて見ている。

がしかし、国内ではヒットした(海外では大コケしたらしいが)シンたらいう映画も、置物を壊して何が面白えんだよ、映画はmovie、動いてナンボじゃないか、動かない怪獣なんか見せるな、と腹が立ったぐらいで、あとのアメリカ製ゴジラも、エメリッヒ版の前半の一部ショットをのぞいて、あまり乗れなかった。中国資本が入っているのが見え見えなのも気に食わなかった。

こんどのも当然、70年代のお子様用ゴジラぐらいのつもりで、極端に低い期待値で見た。

視覚的にはそこそこイエス、シナリオは60年前から不変のご都合主義の塊、初歩的かつ幼稚なドラマトゥルギー重視意識が邪魔で、何度も、おいおい、それはないよ、とボヤきが出た。「伏線を張る」という近ごろのはやりごとなど、話の運びを不自然にするだけなのに。

かつて、まだフィルムの時代に、一眼レフとレンズ三本背負って、大正、昭和戦前の近代建築を撮ってまわったことがあるし、地誌、都市史、近代史を好むので、そのへんに関わるいくつかのショットは楽しめた。


日劇前のゴジラ。1954年のオリジナル『ゴジラ』でも、日劇は破壊された。あのころはまだ実物が存在したのに対し、いまではこのあたりの風景はまったく別物になってしまった。


また、小学校の低学年から、五年生いっぱいは映画とプラモデルを趣味としていたので、そちらの方向からも、身を乗り出すショットはいくつかあった。

というようなことを、以下に、もう少し詳しく書く。

◎臆病なくせに大胆不敵なパイロットの「特攻不時着」

冒頭、腹に爆弾を抱えたゼロ戦が映る。プラモデル小僧のなれの果ては、増槽じゃなくて、爆弾ね、25番(250キログラム)だろう、と思い、じゃあ、あの島を爆撃するんだ、25番一発じゃろくなことはできないぜ、どういう意味のショットだろう、と訝る。



ところがどっこい、島が近づくと、この零戦は脚を出し、着陸態勢に入るので、魂消たのなんの! しかも、向こうに見える滑走路はどう見ても未舗装。ガタガタのところに爆弾を抱えて着陸し、万一、腹を打ったり、脚が折れて胴体着陸になったら、爆発するに決まっているじゃないか。




まあ、この爆弾がなんらかの必要性でモックアップになっているのかな、それがこのショットの意図なのだろう、と解釈して、着陸シークェンスを見守った。

ところが、わが解釈は大ハズレのスットコドッコイ。このパイロットは特攻に出撃したのだが、機体の故障で、この大戸島の仮設飛行場に不時着したのだという。しかも、整備隊のボスは、機体に異常はなかった、とパイロットに報告する。お前、怖気づいて逃げたな、と云いたいのだ。


機体の点検結果の報告を受けるパイロットの敷島少尉


うーん。死ねなくて逃げた臆病者なら、なおのこと、爆弾は捨ててから着陸するだろう。250キロを腹に抱えたまま、デコボコ滑走路に突っ込むなんて命知らずなことができるなら、そもそも特攻から逃げ出すはずがない。

せっかく命を惜しんで逃げたのに、無謀極まりない爆弾吊架状態での着陸なんかして、死んだらただの馬鹿だし、特攻の場合、十分な燃料を積んでいなかったそうだから、生きようと思った瞬間、燃料節約のために、爆弾を捨てて身軽になるはずだ。無茶苦茶なシナリオである。



中央右に零戦がゴジラに対峙している。
敷島少尉はゴジラを零戦の機銃で撃てと云われるのだが、目の前のモンスターに圧倒され、銃を発射できない。これもまたこの人物の怯懦をあらわすためのものなのだろうが、ひどい違和感があった。臆病者なら、メクラめっぽうに撃つのが自然じゃないか。じっさい、この直後、壕に隠れていた兵のひとりが恐怖のあまり発砲して、ゴジラの注意を惹いてしまう。矛盾も甚だしい。


せっかく隠れたのに、近づいてきたゴジラに恐れをなし、発砲してしまう兵。


◎「ドラマトゥルギー」とやらで動く人形キャラクター

結局、最後まで見ると、要するに、この特攻崩れ主人公が、特攻から逃げた卑怯な心性を克服し、「自己を回復する」「おのれを取り戻す」というお話だった。

そのために、大戸島守備隊ほぼ全滅の責任を負わせ、さらには日本の敗戦の責任を負わせるようなことを近所の人間に云わせ、疑似家族の構成員をゴジラに殺されたと思いこませたり、と東映やくざ映画のように、最後の怒りへと「恨」を積み上げていく。

くだらない。心理的な整合性、というものへの配慮なのだろうが、あまりにも図式的で、まったくリアリティーが感じられなかった。


ようやく帰還したら一帯は焼け野原、生き残ったご近所さんに、みんな死んだのにおめおめと生きて帰る恥知らず、てな調子で敷島少尉はなじられる。ここも大いなる違和感があった。ふつう、帰還した知り合いには、内心はどうであれ、祝福の言葉を贈るものだ。この無理やりなシークェンスは敷島少尉の屈辱を強調し、ラストの特攻攻撃へと持っていくための布石なのが見え見え、下手なシナリオの典型、図式的すぎて腹が立った。


全体を見ても論理的に破綻していて、あちこちでプロットが大きくほころびているのだから、どうせ筋なんか通るはずがない、視覚的に押しまくればいいだけだ、と割り切るべきだった。

ゴジラ映画を理屈っぽく見る人間(当方もそのひとりだが!)なんて、一握りしかいないぞ、ドラマトゥルギーのような小手先技巧なんか、はじめから捨ててかかれよ、である。

まあ、なんだ、『ゴジラの逆襲』ラスト近くでの、千秋実の意味不明な「特攻」、あれがトラウマになって、特攻に意味を持たせなければ、というプレッシャーを感じたのだろう、気の毒なことだ、と考えておくことにした!






上掲5葉いずれも『ゴジラの逆襲』より
漁業会社の魚群探知飛行機のパイロットである千秋実は、自衛隊機のゴジラ攻撃がうまくいかないのを見て、クソー、とうなり、なぜか自機をゴジラに向かって降下させ、熱線を食らってエンジンから煙を吹き、あえなく氷壁に突っこんで死んでしまう。氷壁で爆発が起きると、大量の氷塊がゴジラめがけて落ちていく、ということを発見させるための激突なのだろうが、なんの武器もない民間機で特攻するようにゴジラに突っ込んでいった意味はわからない。


◎意味を持たせてしまったことの意味

キャラクターの造形をきっちりやっておけば、心理の動きも行動も、そこから自然に導き出されるものなのだが、結論、結末、クライマクスが先にあり、そこへもっていくための話の運びの都合が優先し、人物の行動をそれに填め込む映画も多い。その結果、厚みのないカードボード・キャラクターが大量生産される。





ここも極度に不自然で、客をナメるのもたいがいにしておけよ、だった。ゴジラが熱線を放って周囲の建物が爆発した途端、尾張町交叉点に逃げていた典子はとっさに敷島を三越の隙間に突き飛ばして助け、自分はその場にとどまって、爆風に吹き飛ばされてしまう、というショット。そんな馬鹿な、である。誰かを突き飛ばして助けるなら、自分自身の全体重をかけて、その方向に自分も動くのが当たり前だ、わざわざ自分だけを危険にさらす理由など毫もない。ただたんに、典子をゴジラの犠牲にし、敷島に復讐心を植えつけるだけのいかにもわざとらしい演出で、大立腹した。


ゴジラ映画の場合、結論はつねに明確、いかにしてゴジラを撃退するかだ。そこに人間のドラマを巻きつかせていくだけなので、正直に云って、ドラマ部分が面白い、なんて思った記憶はない。

だから、このマイナス・ワンだって、ドラマの出来がひどくてもかまわないはずだった。それなのに、シナリオの穴、粗が気になったのは、妙にシリアスなプロットだったからだ。

特攻隊という、大東亞戦争で図らずも露呈された日本の根源的な病理をプロットに絡めてしまったために、どうしても、戦争と日本人、というテーマが浮かび上がり、そのために、スカスカの図式、見透かしのスケルトン構造になってしまい、イライラした。しかも、見ようによっては、特攻を肯定するかのように解釈できる結末で、あと口がまったくよろしくない。

◎破壊神ゴジラ

昔のゴジラや東宝特撮をときおり再見している。いまでも円谷英二の信奉者はいるらしいが、わたしは小学生の時、あの特撮を楽しみに映画館に通っていたくせに、その出来に満足したことは一度もなかった。

特撮はみなチャチだと思っていた。特殊効果っていうのはすごいものだと思ったのは、『2001年宇宙の旅』であり、『ミクロの決死圏』の時だ。それまでは満足したことなど一度もなかった。



昔のミニチュアでは、こういう建築物の躯体はウェファースを素材にしていたのだとか。どうりでまったく重量感がなく、軽く崩れるわけだと納得した。2葉とも『空の大怪獣ラドン』より。


それでも、昔の東宝特撮を再見するのは、ドラマを見ているからだ。マイナス・ワンのドラマはただ邪魔なだけに感じ、では、50~60年代の東宝特撮のドラマは面白かったのか、と改めて考えれば、そんなことはない。

いまでも昔日の東宝特撮をときおり再見しているのは、結局、子供のころしじゅう見ていた、懐かしい俳優の顔を見るためなのだ。ドラマ自体が面白かったというのは一握りにすぎないだろう。

ドラマはテキトー、特撮も不満足、じゃあ、(20年ほどの空白はあるが)なぜずっとゴジラを見ているのか。結論は、都市破壊、文明破壊が大好きだから、である(『エビラ』には都市は登場せず、退屈した。富士の裾野で怪獣同士が闘う、なんていうシーンも毎度あくびが出る)。

その面では、今回も楽しめた。東京破壊シークェンスの舞台は有楽町から尾張町交叉点にかけてだけだが(予算の制約ゆえに一点集中で行くしかなかったのだろう)、1947年に時代設定されているので、まだ日劇(渡辺仁設計)、朝日新聞東京本社(石本喜久治設計)、マツダビルが存在し、近代建築マニアには楽しい眺めだった。


日劇に襲い掛かるゴジラ。右は朝日新聞。


◎ミニチュアの復権

文明破壊ではないが、同じようにもっぱら視覚に訴えるものとしては、局地戦闘機「震電」(B-29を撃ち落とすために計画された)と重巡「高雄」および駆逐艦「雪風」の登場は楽しめた。

震電はわたし自身子供の時にマルサン製のプラモデルを組み立てたし、「高雄」については亡父が、同型艦「鳥海」の1メートル以上(120センチか)もある巨大木製模型をつくり、その様子を子供のわたしはえんえんと観察した。旧軍の軍艦の中でもっとも馴染み深く、もっとも美しい艦橋なので、感懐をもって映画の中で「じっさいに」動く姿を眺めた。


ゴジラに砲撃しようとする巡洋艦高雄。これくらいのミニチュア技術で、『日本海海戦』をリメイクしてくれるとうれしいのだが、三船敏郎にかわって東郷平八郎を演じられる俳優がいまいるかどうか、微妙ではある。


(鳥海の模型は、「55」といったか、マブチの一番大きな模型用モーターを二台積み、たしか単一電池10本で駆動するようになっていたのだが、近所の公園の池で動かしてみたところ、喫水が深すぎ、また微妙にバランスが悪く、航行したとたん、上部構造物と船体とのつなぎ目に水がかぶって転覆しそうになり、あえなく置物となった。あれは亡父がつくった模型の中で最大のものだった。)

小学校五年の終わりにビートルズに遭遇して、小遣いはすべて盤を買うことにつぎ込むようになったために、模型小僧はあっさり廃業したのだが、いまでも模型に実物を夢想した子供はわたしの中で生きている。

だから、震電の実物大モックアップと、飛行シーンに使われたミニチュアは、模型小僧のなれの果てには素晴らしい眼福だったし、60年代の東宝特撮の記憶を刺激されて、懐かしく感じた。


震電の実寸モックアップ。こういうショットは大好物。



震電離陸シーンと飛行シーン。どちらもCGではなく、ミニチュアだろう。


東京破壊シークェンスの冒頭、有楽町付近を走行する国電(この時期はまだ「省線電車」と呼ばれていたのかもしれないが)車輛もミニチュアだったのは、おお、昔風で楽しいね、と思った(CGによる有楽町、数寄屋橋附近の風景と、ミニチュアの車輛を合成したのだと想像している)。ミニチュア自体も精巧で、昭和ゴジラとは隔世の感がある。


日劇前を走行する電車のミニチュア。ノスタルジックなショットだった。


◎旧作のドラマ

いつだってゴジラ映画はアイ・キャンディーとして見てきた。ドラマを重視したことはないし、シナリオなんて、ほとんどどれもテキトーな代物とみなしてきた。マイナス・ワンのシナリオの不出来がひどく気になったのは、シリアスなテーマを扱っており、戦争と深く関わるものだったせいだ。

シンとかいうゴジラ映画でも、政治のドラマが鬱陶しくて感興を殺がれ、まったく乗れず、意識を画面からdetachされることに、おおいに苛立ったが、マイナス・ワンはあれよりずっとマシで、視覚的には相応に満足した。


今回のゴジラは、通常兵器でも傷つけられるのだが、瞬時に細胞を再生する能力があるために、殺せないという設定で、そこからいって、水圧でゴジラを破砕するという作戦ははじめから無意味。まだほかにもシナリオの穴はあるのだが、これが決定的だ。くわしく書くのは控えるが、三段構えの戦闘のすべてが無駄、なんの成果もあげられないはずで、ありえないエンディングだった。


ゴジラ映画の人間ドラマはやはり控えめ、ないしは、あまり頭を使わないですむ、単純にして軽いものであるべきなのだと、とりあえず結論しておく。

ただ、過去の東宝特撮や外国製ゴジラ映画で、いつもドラマ部分を気にせずに見ていたのかどうか、数が多すぎるせいもあって、判然としない。もう一度、ドラマの側面、シナリオの出来不出来を気にしながら、あの映画群を再見してみようと思う。


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