見出し画像

やっと・・・・  NO20

3月、4月、5月、6月と村の家での生活は続き、何回も村の会合に出させてもらい、ここからの施設についてや、不登校の子供たちを少しでも理解してもらうべく話し続けました。
そして、『反対やから、反対や』と言っている学校の一番近くの組寄りで、『こんなん何べん話してもらっても、あかんもんはあかん。次が最後や!最後にわしらにその不登校の子供や親を見せてくれ。そしたら考えてもええ!』といわれました。
もう私はその言葉に、カチンと来てしまって、私が守りたいと思っている不登校の子供や親を、理解する気もないのにつれて来い!とは・・・
もういい!余呉はやめた!
もう結構です!と席を立ち本当の自分の家のある長浜まで、その勢いで車を飛ばして、帰ってしまったのでした。もうそのあとはふて寝です。

12時を過ぎたころ電話が鳴りました。誰や!今頃!・・・・・出ると驚いたことに村の長老からの電話でした。

唐子さんもうように分かったから!先生がやりたいことをあの学校でやったらええ!もう、あんたには根負けや!その代わり条件がある!3年間は余呉町の住民やけど、上丹生の人間やない!身元保証人立てて、3年間わしらは見てるから、3年たって大丈夫やて思って、みんなが納得したら上丹生に入れたろ!というものでした。

もう、なんだっていい!OKならばそれでいい・・・
やっと・・・・・やっと・・・・・スタートできる やったあ~~!

その条件がこんなにも大変なものだったとは・・・その時、知る由もなかったのです…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?