Oneohtrix Point Never - Magic Oneohtrix Point Never: あるいは実存と本質の狭間のロックンロール

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Chuck Person名義での作品によって、10年代というディケイドの通奏低音とさえ呼べるジャンルVaporwaveを切り拓いたUSのエレクトロニックプロデューサー、Daniel Lopatin。このOPN名義のオリジナルとしては9作目のフルアルバム。

ロパティン以外のアーティストによる作品を含め、Vaporwaveとは肉声を含めたサンプリングさえもその元ネタから実在性を奪い虚構にしてしまうような性質を持った音楽だ。Vaporwaveが一種の様式美になるに従ってサンプリングのネタ使い等技術的な側面においてはそれから遠ざかっていったOPNだが、しかし実在性を虚構に置き換える事やVaporwaveの様式美化で失われていった批評精神といったものはコンセプトとして通底させていた。2015年作『Garden of Delete』ではHR/HM的なサウンドやアプローチを試みている。スポーツ的な速弾きギターや喉を酷使するシャウトやグロウルといった特徴を持つHR/HM領域は、ポピュラーミュージックをざっくりとジャンル分けした中で最も肉体性の強いジャンルと言えるだろう。そして我々はしばしば肉体性の強い音楽に実在性をより強く感じる。しかし、『GoD』のHR/HM解釈はそのサウンドや構造のみを抜き出し換骨奪胎した肉体性の非常に希薄なものであった。この『God』はひとつの象徴であり、サウンドやアプローチに少々の違いがあっても肉体性や実在性の希薄さは全ての作品から感じられる。

本作に話を移すと、この『Magic Oneohtrix Point Never』には”架空のラジオ”というコンセプトが設定されている(アルバム・タイトルも"Magic106.7"というロパティンが昔聴いていたラジオ番組から取ったそうだ)。と聞くと、すわ最初期Vaporwaveのようにラジオヒットに対する批評とノスタルジーが入り交じるムードがここで蘇るのか、とも感じてしまうが、実際にこのアルバムで起きている事は、サウンド面にはそれなりの継続性がありつつも、聴き終えて最後に残る印象は”脱・Vaporwave"だ。また肉体性の獲得と実在および実存の証明たる感情の吐露だ。

"The Tonight Show with Jimmy Fallon"に出演しバンドセットで「I Don't Love Me Anymore」を披露したことがファンに話題になった。そこには"ロックバンドなんて縁遠い俺達がこんな事やっちゃうんだぜ?”というような皮肉めいたユーモア(悪く言えば既存ファンに向けた楽屋落ち的だが)が含まれていないと言えば嘘になるだろうが、実際オリジナルのスタジオ音源を聴いても、この曲のサウンドは一時期のPrimal Screamなどポストプロダクションに凝ったロックバンドに有り得る範疇だとも聴こえる。この曲や80年代パワー・バラッド的「Lost But Never Alone」などは『GoD』でのよりヘヴィーなサウンドよりもむしろ肉体的に響く。これらは最早Vaporwaveでもそのサンプルネタでも無く、ロックであると言ってしまっていい。実在性と虚構の、あるいは実存と本質の狭間のロックンロールだ。

また本作はエモーショナルであることにも躊躇が無くなっている。The Weekndを招いた「No Nightmare」が言わずもがななら、「Long Road Home」や先述「Lost But Never Alone」での自身の歌唱も、分厚いエフェクトはあれどもこれまでになくエモーショナル。「Nothing's Special」では思わずうっすら涙も浮かべてしまって、OPN作品でこのような形で泣かされるとは思っていなかった。

そして本作が一層特別なのは、ここまで述べてきた変化のみならず、以前から継続しているサウンドもまた同居しているからこそだ。例えば「The Weather Channel」の前半や「Tales From The Trash Stratum」におけるドライで感情を排した音響実験。こういった楽曲があり、しかもその音響/音色の練度が非常に高いからこそ先述したようなエモーショナルな楽曲も対比によってより活きる。
このエモーションとエクスペリメンタルのバランスは、どこかDavid Bowie『Low』にも近く思える。おそらくこのアルバムも、『Low』と同じように長く聴き継がれ永遠に若いミュージシャンのインスピレーション源で在り続ける事だろう。


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