2019 シングル/EPピックアップ1:Donny McCaslin, 安東ウメ子 x Joaquin Joe Claussell, black midi, Spencer Brown & Qrion

そろそろ年間ベストの選定も見据えて、今年リリースのシングル/EPからいくつかピックアップ。
今回はDonny McCaslinGail Ann DorseyをフィーチャーしたDavid Bowieオマージュなデジタル・シングル、アイヌ音楽の大家安東ウメ子(故人)のオリジナルをA面にJoaquin Joe Claussellの大作リミックスをB面にフィーチャーした12インチ・シングル、若手バンドblack midiの両面アルバム未収録楽曲による12インチ・シングル、共にサンフランシスコ拠点なテクノ・プロデューサーQrionSpencer Brownの共演デジタル・EPの4作品を取り上げる。
なお並びは特に順位付け等を示すものでは無い。

Donny McCaslin - Head Of Mine ft. Gail Ann Dorsey

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ジャズ・サキソフォニストDonny McCaslinの最新楽曲。

「Head Of Mine」に起用されたGail Ann Dorseyは、色々なプロジェクトに参加しているベーシスト/ヴォーカリストではあるが、最も知られるのはやはり90年代から長きに渡りDavid Bowieのバックを務めていた事だろう。
ライヴではオリジナルスタジオ録音がQueenとの共演であった「Under Pressure」においてFreddie Mercuryが歌っていたリードパートも任されていた事から、ボウイファンであればその名を知らぬ者はいない存在だ。
今年はThe National『I Am Easy To Find』への参加も話題になったが、ボウイの遺作『Blackstar』でそのネームバリューを一気に広げたマッキャスリンのこと、ナショナルへの目配せよりもボウイへのオマージュと考えた方が自然だ。

そしてまたここでマッキャスリンは尺八めいたプレイも披露しており、それも『Low』および『”Heroes”』B面のインスト群や「Crystal Japan」「The Brilliant Adventure」といったボウイのエキゾティックなインスト楽曲を思い起こさせる。そんな随所にボウイへのオマージュを散りばめつつも、楽曲の基本線はそれほどボウイ色が強いわけでもない(といってもボウイは芸が広すぎるので無理やり見出そうと思えばどんなジャンルにも”ボウイのアレっぽい”と言えてしまうのだが…)R&Bとして展開する。
豊かなリヴァーブを湛えたサックスリフとモダンなシンセがアンビエント的なテクスチャーを敷いた上で、ゲイルの雄大でパワフルなヴォーカルがオケのモダンでアーバンな印象と対象的にプリミティブなエナジーを強く感じさせるコントラストが非常に魅力的な大傑作。
ゲイル・ワークスとして見ると、前述ザ・ナショナル『I Am Easy To Find』がアコースティック楽器を軸としたサウンドの中で都市生活者の風景を描き出す作品だった事を思えばその点でもコントラストが面白く、流石ボウイの寵児だけあり振り幅の広さを感じさせる。

一方カップリングの「Tokyo」はアンビエント的なテクスチャーがより強い映画音楽めいた展開で始まる。
ここで描かれる”Tokyo”とは『ブレードランナー』『AKIRA』の世界観だろう。『ブレードランナー』の音楽を手掛けたVangelisへの目配せは少なからずあるはずだ。
そんな楽曲は中盤から、00年代エレクトロニカ的なグリッチーにカットアップされた鍵盤が存在を強める。
ジャズ・ミュージシャンのエレクトロニカへの挑戦といえばNils Petter MolvaerECM勢を中心に00年代に幾つかのトライが試みられ、その中には今改めて聴き直されるべき作品も少なくないが、リアルタイムで他ジャンルのリスナーに強く波及したとは言い難かった。アトモスフィアやテクスチャーの面では同時代エレクトロニカをそれなりに捉えていても、リズム面でドラムンベースやトリップホップに遅れて乗っかったように聴こえてしまう作品が少なくなかったのがその一因だろう。
その点この曲では妙なパンニングでアンビエント・テクスチャーの中に紛れているもののプレイ的には無理なクラブミュージックへの接近を排したドラムと、一方で最新のエレクトロニックな音楽の時流も捉えた主張するサブベースの同居が00年代のそれらとは一線を画す事を主張している。
この曲は露骨にDavid Bowieめいた部分は感じさせず(といってもボウイは芸が広すぎるので無r)、『Blackstar』参加を起点に『Beyond Now』『Blow』と続いてきた”ボウイ・フェイズ”と言うべき近作の総決算「Head Of Mine」に比べ完成度という点では一枚落ちるが、ボウイから得た多くの物を糧に新たなフェイズに進まんとするマッキャスリンの今後に期待を持たせるには十分な魅力だ。

安東ウメ子 - Battaki バッタキ

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2004年に逝去したアイヌ音楽の大家、安東ウメ子のオリジナルをA面(収録アルバム『Ihunke イフンケ』も昨年リイシューされた)に、スピリチュアル・ジャズ的な音を得意とするNYハウスのベテランJoaquin Joe Claussellの新規リミックスをB面に配した12インチ。

安東ウメ子のオリジナル・テイクからしてトラディショナルなアイヌ音楽をそのまま再現したものとは少し異なる。OKI DUB AINU BANDという文字通りダブ〜レゲエやヒップホップ等ポピュラー領域にアイヌ音楽を近づけたスタイルのバンドを率い、また角松敏生らのレコーディングにも参加経験のある多芸なトンコリ(アイヌの伝統楽器)奏者OKIがプロデュースしたものだからだ。
ジョー・クラウゼルのリミックスにも主に使われているタイトル曲「Battaki」ではトラディショナルな歌メロやトンコリ・リフをモーダルなジャズのように解釈したチェレスタ(実際にはシンセか)のメロディが一気にサイケデリックかつスピリチュアルな色合いを乗せている。このOKIによるアレンジが、おそらくそれほどアイヌ音楽には明るくないであろうジョー・クラウゼルが自分のフィールドに寄せて解釈する際の大きなヒントになった事は想像に難くない。
結果、ジョー・クラウゼルのファンには概ねいつもの彼らしいトラックとして、またスピリチュアル・ジャズやディープ・ハウスの聴き手にもそのフィールドでのリスニングを許容しつつ、全面に敷かれたトンコリのリフが程よい異化作用として機能する、OKIの活動から更に一歩踏み込んでアイヌ音楽の裾野を広げるに最適なトラックが仕上がっている。

前半はオリジナルを尊重しつつ、そこにジャズやテクノ/ハウス文脈としてのサイケデリアやスピリチュアリズムを強化する展開が続く。
盤面上および付属のDLコードで落とせるデジタル音源においてもトラック分けは為されていないが表記ではパート別に名前が振られており、そのパート名で言えばイントロ的な最初のセクション「Metal Rain Shower」を経て、「Battaki」のOKIによる解釈を更に強化して進むごとに鍵盤とギターが存在感を強めMiles Davis『Bitches Brew』めいた展開へと進む最長パート「Asianic Earth」から、ジョー・クラウゼル自身によるアフリカと中東のパーカッションを加えてトライバル・ハウスを演ずる「Festival For The Devoted」。この流れはあらゆる音楽ファンを虜にする事うけあいだ。
しかし最も印象的なパートはそこから連なる「Fusion Galactica」だろう。はっきり言ってしまえばトンコリ・リフを通奏低音としつつもそれをサイドの奥の方にパンニングして展開する形はアイヌ音楽やOKIのファンからすると原型から離れ過ぎではないかとの声もあるかもしれない。しかし、The RH Factorなどで知られるFred Aliasのワイルドなドラムをフィーチャーし、ジョー・クラウゼルがお得意のエモーショナル極まるキーボード・ソロを弾きまくる様は自分のフィールドに強引に寄せたからこその堂に入った貫禄で、ジョー・クラウゼルのファンも彼屈指のプレイに数える事ができるのではなかろうか。
そして再びオリジナルの毛色を強くした「Asianic Earth Outro」として「Asianic Earth」に手数の多いキックと「Festival For The Devoted」の終盤のようなギターを絡ませたパートで締めくくる。
ハウス・プロデューサーによるリミックスと言えどもすんなり所謂DJツールと言えるDJプレイで使いやすいトラックでは無いが、アフロフューチャリスティックなセット等を得意とするDJならアクセントとして使えるパートが幾つもあるはずだ。そんなDJ諸氏はもちろん、前述したようにスピリチュアル・ジャズやその影響がいくつも見られるJazz The New Chapter系の所謂現代ジャズ、Flying Lotusや今年惜しくも亡くなったRas Gらそれらと交差するヒップホップのファン等、幅広い音楽ファンにとってのアイヌ音楽への第一歩として是非より広く聴かれてほしい1枚。

ちなみに、余談めくが「Battaki」ともう2トラックA面に収められている安東ウメ子によるオリジナル録音は共に、トンコリと双璧をなすアイヌ音楽の代表的な伝統楽器ムックリの独演である。
所謂口琴の一種であるこの楽器は、非常に簡素な作り故今も北海道は新千歳空港の土産物店等で手軽に買う事ができる。北海道を訪れた際は是非直にその音に触れてほしい。

black midi - Talking Heads / Crow's Perch

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現在最も注目されていると言っていい若手ロックバンドblack midiの、初フルアルバム『Schlagenheim』に先立ってサプライズ気味(楽曲自体はそれ以前からデジタルフォーマットで聴けたが)にリリースされた12インチシングル。A面/B面共にアルバムには収録されなかった。(アルバム収録の「Reggae」はA面「Talking Heads」の変奏的趣の楽曲ではある)

何と言ってもDavid Byrne率いる、あの『Remain In Light』で知られるニューウェーブ…いやジャンルを超えたレジェンド級バンド、Talking Headsの名前をそのまま冠したというなんとも不敵なタイトルのA面が素晴らしい。
black midiの魅力とは、まあ一言で語り尽くせるものでもないがしかし、あえて簡潔に言うならそのキモは”ポップネスと鋭角性の両立”だろう。ロックの歴史をひいてくるなら、オリジナル・パンク〜ニューウェーヴ期であればThe JamThis Heatを、00年代であればArctic MonkeysBattlesを、それぞれ同時に連想させるような所がある。荒削りな部分も魅力に転化する若さを備えた瑞々しい縦ノリ感と、経験のあるミュージシャンが集まってあえて人肌の温もりを避けた冷徹さで以て構築された鋭い前衛性の両立という、一見相反しそうな要素が自然に同居しているのだ。
アルバムも素晴らしい出来ではあるが、black midiならではの魅力を現時点で最も1曲に詰め込めている曲はアルバムのどれよりもこの「Talking Heads」かもしれない。

そしてその魅力を駆動させる要になっているのがドラムのMorgan Simpson
現在の音楽シーンにおいて最もポピュラー性と前衛性を両立させているシーンはやはりヒップホップだろう。そしてトラディショナルな編成のギターバンドやSSWであっても、そのヒップホップの動向にどう付いていけるかというのが一つ評価のポイントになっている時代にあって、black midiの音楽は一聴するとギター、それもザラついた歪みでヒップホップのルーツたるファンクとも、ラッパーやR&Bシンガーのフィーチャー及びシンセ導入等でヒップホップとクロスオーバーする動きの目立つラウドロックとも違う毛色のギターが非常に強く主張しているため、思わずギターロック文脈だけで彼らの音楽を捉えたくなってしまう。
しかし現在ギターロック純粋培養なサウンドが鳴った時に思わず感じてしまう、守旧派/復古派的なニュアンスが感じられないのは(無論コロコロと展開を変えても各々のパートは反復をキーとしているソングライティングのバランス感覚等も無視されるべきではないが)、モーガンのドラムの存在が要になっているのではないか。
実際鍵盤奏者Joe Armon-Jones等ジャズ人脈との繋がりもあり、アルバムでの「bmbmbm」「Years Ago」あたりからは音色的にもそれがわかりやすいが、Mark GuilianaChris Daveといったヒップホップとクロスオーバーする現代ジャズからの影響がロック色の強い楽曲においても少なからず感じられる。
またバンド全体にある前述した相反するものが同居した魅力というのはモーガンの個のプレイに分解しても同じことで、最先端のジャズやヒップホップからのフィードバックと同時にクラシック・ロックのレジェンド達の影もまた感じさせるのだ。例えばThe WhoKeith Moon。「Talking Heads」における暴走気味に手数の多いフィルインはまさに彼を彷彿とさせ、この楽曲の魅力を大胆に駆動させている。

B面の「Crow's Perch」もまたモーガンを中心としたアンサンブルの魅力を解読するのに重要なサンプルだ。一躍注目度を上げた出世曲「Speedway」はノーウェイヴじみたディスコードのギターカッティングが最も印象的ではあるが、反復を中心とした低めのBPMという楽曲構造の中でどのように盛り上がりを作るか、そのアンサンブルの指針はこの「Crow's Perch」と似ており、エキセントリックなギターよりも単音のベースリフが引っ張っているこの曲の方がそれを掴みやすいだろう。

聴き比べという意味では冒頭で述べた「Reggae」が「Talking Heads」のヴァリエーションである事ももちろん重要であるし、単純にこの2曲が魅力的であるのみならずアルバムへの理解をより深めるためのツールとしても必聴だ。

Spencer Brown & Qrion - Sapporo EP

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我が街札幌が誇る若きテクノプロデューサーQrionと、そのQrionと現在の拠点をサンフランシスコに同じくするSpencer Brownの共演EP。

Qrionが生まれた札幌の名を冠したタイトル曲「Sapporo」は、同じく札幌生まれの私からするとそれだけでちょっとグッと来てしまうのだが、そんな身内びいきの中でのローカルヒットに止まるには惜しい(実際Spotifyでの再生回数だけ見てももうその枠を超えたとは十分に言えるヒットになっているが)、より幅広く知られるべき素晴らしい出来だ。2019年に四つ打ちを鳴らすとはどういう事か、という問いへの回答としてFloating Points作品と並ぶ素晴らしい仕上がりになっている。
テクノの定石的ミニマリズムを崩さない範囲でメロディアスかつエモーショナルに展開するQrionらしいウワモノ作りの美しさ。音楽制作の経験がある方ならスペクトラムアナライザーやスペクトログラムの表示にさえ美しさを見出せるだろう。このメンツによる作品であるからしてDJ必携なのは明白だが、あらゆるジャンルの音楽制作者にリファレンスとしても勧めたい、周波数帯域のギリシャ彫刻とでも言うべき音像設計の美しさだ。

ただ、Qrionとの連名で札幌の名を冠した作品だけに迷わずロスレスを買ったが、正直これまでSpencer Brownにはそれほど強い関心があるわけでは無かった。プロデューサーとしてのスキルが高いのは確かと思いつつも、EDM的なビルドアップを交えたりするのがあまり私の日常に入ってくる音では無いと感じていたからだ。
故にQrionの既発曲をスペンサーが単独でリミックスしたこの2曲め「23 (Spencer Brown Remix)」にはあまり期待はしていなかったが、これがなかなかどうして良い。EDM的な大仰さが控えめであるだけでなく、これを聴くと「Sapporo」に関してもスペンサーがQrionに更なる音響の洗練を加えたのだと言う事がわかる。キックを作るのが上手い人なのだなあとヒシヒシと伝わる。
それでいてQrionらしいウワモノはオリジナルからかなり活かされていて、レーベルオフィシャルストア購入の音源メタタグでもこれだけアーティストクレジットがQrion単独の曲名に”Spencer Brown Remix”と冠される形だが、聴感上はこれも2人の連名と思って聴いて違和感のない仕上がり。傑作。

一方そうしてSpencer Brownへのイメージが向上した中でラストの「Safeway Sushi」は、残念ながらスペンサーに対しやはり自分が入れこめる人では無いのかも、と思い直してしまうようなトラックになってしまっていた。
EDMも交えたパーティなんかではこういう使い方の方がウケるのかもしれないが、アンダーグラウンドや前衛的/先鋭的な部分を含めてクラブミュージックを追っている身からするとどうにもヴォーカルサンプルの扱い方が古い。これは過去作を比較してもスペンサーが主導のように思える。
James BlakeR&Sから出した12インチ群で注目され始めた頃のようだ。時期を近くして登場したMount Kimbie等も含め、"ポスト・ダブステップ"なんて言葉を久々に思い出した。Ricardo Villalobosっぽいタムの入れ方など、ビートだけ聴いてるとこれも良いのだけど…


結構ギリギリでやってます。もしもっとこいつの文章が読みたいぞ、と思って頂けるなら是非ともサポートを…!評文/選曲・選盤等のお仕事依頼もお待ちしてます!