見出し画像

今でも、これからも、フジファブリックと共に生きていくー。

2014年1月、私はとあるバンドに出会った。

2014年当時、私は高校生だった。期末考査の勉強に追われ、夜更かしをしながら教科書と睨めっこしている時、テレビから流れてきた曲に思わず釘付けになった。

深夜に放送していたノイタミナというアニメの番組で、「銀の匙 -Silver Spoon-」が放送されていた。その時、OPとして流れていたのが、フジファブリックの「LIFE」だった。
その曲を聴いた時、上手く言葉に出来ないが、雷に打たれたような衝撃が走った。

「何だこの曲は?何だこのキャッチーなメロディは?」

私が在学していた高校には軽音楽部があり、同級生たちがRADWINPSやONE OK ROCKなどをよく聴いていた。私もその影響でロックというものをよく聴き、1人ロックに詳しくなった気持ちでいた。そんな時に出会ったのがフジファブリックだった。

正直、フジファブリックのことは知らなかった。
まだまだ世の中には知らないバンドはあるんだな、と思うと同時に、なんか呼びずらいバンド名だな、とも思った。

そこからApple Musicで"フジファブリック"検索し、1番上に出てきた「若者のすべて」を聴いた。

「あっ、この曲聴いたことある」

どこで聴いたのか、何で聴いたのか全く確かではなかったが、そのサウンドは耳に残っていた。

私は昔からずっとそうだったのだが、同じアーティストの曲を好きになることがなかった。言葉選ばずにいうと、違う曲でも同じアーティストが作るとどうしても「同じ曲」に聞こえてしまうからだ。だから色んな曲は好んで聴いていたものの、同じアーティストの曲を聴き続けるということはなかった。

しかし、フジファブリックの曲は不思議なことに、どれも「同じ曲」に聞こえなかった。万人受けするようなメロディや歌詞があると思えば、「何だこれは!?」と思わず聴くことを足踏みするような曲もあった。それが私にとって新鮮だった。

そこから彼らの虜になった私は、YouTubeや Apple Musicにある曲をたくさん聴いた。そして、あることに気づいた。

「あれ?ボーカルが違う曲があるぞ?」

そして彼らのことを色々調べていく中、志村正彦というボーカルが2009年に亡くなっていたことを知った。衝撃だった。

今までほぼ全ての曲の作詞作曲を手掛け、ボーカルまで務めた男が亡くなっているにも関わらず、「フジファブリック」というバンドは続いている。その事実は私の中の"常識"からは外れていた。
他のバンドでは考えられないような歴史があることを知り、ますます彼らの曲が魅力的に感じた。

時は流れ、私が彼らの曲を生で聴いたのは2020年。
それまでは新曲が出たり、新しいアルバムが出たりするたびに聴いていたが、ライブへと足を運ぶことはなかった。というより、私の中で「ライブへ行く」という概念があまりなかったのかも知れない。

2020年、世間はコロナ禍となり、ライブは生活の一部から切り離されていた。その年の10月、緊急事態宣言が明け、少しコロナが治った時、大阪で「OSAKA GENKi PARK」という音楽フェスがあることを知った。家族が好きだったコブクロも出演するとのことだったので、家族全員で訪れたのだ。
コロナ禍で色々制限された中での非日常、すごくワクワクしていた。しかも舞台は、現ボーカル山内総一郎の故郷、大阪ー。

フジファブリックは2日目のトリだった。
リハーサルで「東京」を披露し、オーディエンスをざわつかせた後、ドンドンと響き渡るドラムの音からスタートする「破顔」、そして「Green Bird」と続けた。次に「虹」を披露。前日に雨が降っており、どうなるかと思われた2日目だったが、週末雨上がっての歌詞に合わせて山内が「本当に雨上がったね!」と観客に笑顔を向けた。私はこの笑顔を見た時、心の底からこのバンドを好きで良かったと思った。
そこから「光あれ」「若者のすべて」と歌い、最後は山内が故郷を想って書いた「手紙」で締め括った。

初めて生演奏を聴いた私は、音楽の、いや、フジファブリックの凄さを知った。心の底から込み上げてくる何かがあった。

コロナ禍が明け、徐々にライブが日常に戻ってきた中、私は少しずつフジファブリックのライブに通い始めた。毎回「神!」と叫びたくなるセトリはもちろんだが、彼らの演奏は、本当に音楽が、フジファブリックが好きというのが伝わってくる。そこに毎回感動させられた。

毎回素晴らしいライブを見せてくれる彼らのことを、そして私の10年分の想いを今になって綴ろうと思ったのか。それは先日の「ROCK IN JAPAN FES 2023」(以下、ロッキン)がキッカケである。
その数週間前、私はParticle Dreamsツアーのファイナル公演を観に行っていた。彼らの音楽に対する想い、そして山内の故郷・大阪で開催する想いを聞きいた。そして、その興奮が覚めやらぬまま、ロッキンの彼らの出番を迎えたのだ。

Particle Dreamsツアーのファイナル公演は、山内がツアー途中で体調不良になり、病み上がりの公演だった。みんなを楽しませようと振る舞うその裏腹、途中休憩を挟むなど、どこかしんどそうな雰囲気は否めなかった。(しかも真夏の野外ステージ)
そんな姿が脳裏にある中だったが、ロッキンの舞台では、この前のツアーでの出来事が嘘だったかのように、楽しそうに演奏していた。その姿に、思わず涙が出た。

高校生の頃、LIFEをきっかけにフジファブリックに出会わなければ、きっと私は音楽の魅力に気づいていないだろう。そして、人生辛いことがあった時、乗り越えられていないと思う。
彼らの音楽は、きっとこれから出会う人たちを元気にさせるだろう。バンドの顔であり、親友である志村を亡くすという想像に絶する辛い思いをしながらも活動を続けてくれている彼らを見るだけで、たくさんの人に勇気を与えてくれるに違いない。

デビュー20周年に向けて、走り抜け。フジファブリック。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?