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イセエビ/Spiny lobster@千葉県夷隅(いすみ)郡御宿町浜-白鳥丸&海女さんレガシー

2021/10月訪問

前回、
『海女が有名なのに海女のいない港町でアワビを食べました。しかしこの御宿町、全盛期だった時の海女とその漁の様子を今に伝える凄い場所がある事をその後発見しました。また近いうちレポートしますのでご期待下さい(#^.^#)』

…と、この時のレポートを締めくくりました↓

↑この前回のレポートはぜひ読んで下さい。この後のメインポイントに繋がります。

さて、今回は東京オリンピックCityCast公式ユニホームを着て気合いを入れてます(^o^)

いよいよ、かつてこの地、御宿で栄えた海女さん達の歴史に迫ります(#^.^#)

御宿駅プラットフォーム内の海女さん銅像

その前に先ずは前回同様、軽く腹ごしらえに朝8時からビンビールと新鮮な魚介類を楽しめる『白鳥丸』さんへ(^o^)↓

御宿駅から白鳥丸さんへは徒歩約9分で行けます
店内食堂入口
食堂客席
イケスのアワビ
アワビを食べるつもりでいましたが…

この日は1番小さいアワビでも300g位の物しかないと言われました。それだと100g=2200円だから、6600円(+税)になります(>_<)。いくらなんでも予算オーバーなので諦めてイセエビとサザエさんにしました(>_<)

イセエビ&サザエ刺身
イセエビ頭はみそ汁で出されます
イセエビ刺身
サザエ刺身
イセエビみそ汁

イセエビ刺身もサザエ刺身も新鮮で歯応えがあり旨かったのですが、イセエビのみそ汁が今まで食ってきたどこの物より旨くてホントに驚きました。なんか酒粕のような風味があり、とにかくエビの旨味が凝縮されたような味でした。ここのイセエビみそ汁は絶対食べる価値ありです(^o^)

白鳥丸さん店の外

さて店を出ていよいよ今回のメインポイントである『御宿海女さんレガシー』を今に伝える場所へ向かいます(^o^)

御宿駅から目的地の岩瀬酒造まで約9分
御宿海女さんレガシーを伝える岩瀬酒造入口。

海女さんのレガシーなのになんで酒造?と最初思いましたが、それはちょっと置いといてここは江戸時代享保八年(1723年)に創業され、ほぼ300年続いている由緒ある酒蔵。昭和22年(1947年)の全国清酒鑑評会では主席に選ばれ、その後も数々の賞を受賞。 昭和61年(1986年)には、中曽根首相とレーガン大統領が出席した東京サミットで乾杯用に使用され、フランス大使館から大統領のお土産用に注文を受けた事もあり、更にはJALの国際線ファーストクラスでもここのお酒が使用されていたとの事です。

岩瀬酒造先代社長 岩瀬禎之(よしゆき)氏1904-2001

醸造元の社長を本業としながらも、写真家として50年以上もの間、ここ地元御宿の海女さん達を撮影し続けた岩瀬氏の写真は、内閣総理大臣賞に輝いた事もあります。

その写真がある洋館風建物

この建物調べたら、元々は病院だったようで東京タワー、大隈講堂、二代目通天閣などを手掛けた建築家、内藤多中の設計とされているそうです。

中に入る前には酒造のスタッフさんに許可を得ます
入口左側
入口
入口右側
1番最初に目に入った海女さんの写真
写真と展示物
キャプションより:『昭和24年。産後の休みはたっぷりとったけれど。 間隔あいて、 潜りに調子が今一つ。 体あっため乳やる』
キャプションより:『昭和23年。 妊娠していても潜る。 砂浜で産気づいたことだってある』
1.荒波と海女さん
2.イセエビとアワビがデカイ

上記1.2の写真は2010年に夏の御宿をアピールするポスターにも使用されていたそうです。

入口にある来訪者感想書き置きノート

どの写真も見る者に何か力強いメッセージを発していました。私はもう一つ一つ興味深く吟味しながら見て、下に書いてあるその写真のキャプションも逃さず読み続けました。

全盛期の昭和初期には約400名の海女さんがいたそうです。これらの写真を通して当時のこの集落での生活の様子、海女さん達の力強さ生き様などが生々しく良く分かりました。

名門酒造主人なのに写真家として地元海女の写真を50年以上撮り続けた故岩瀬酒造社長の偉業は凄いです。この写真ギャラリーはとにかく素晴らしいの一言に尽きます。これこそ正にこの地における海女さんのレガシーと言えるでしょう。

最後に、千葉県御宿町は現在女性の海女がいませんが、22~75歳の男性30人がウェットスーツを着た海士として漁をしているそうです。次にここ御宿町へ来る時はこの『海男』wさん達にスポットライトを当てたいとおもいました(^o^)



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