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病気とつきあう (3) 入院生活 その1

3年半前の冬、脳出血に見舞われ約半年入院、退院して3年経った。そこから始まった心身の変化がいまの自分の生活や行動、思考に大きな影響を及ぼしている。3年ひと区切りで、病を得て何を感じ何を思ったか、何が変わったか、セルフドキュメントとして、少しずつ書いていくことにした。闘病記ではなく誰かの役にたつものではないし楽しい話でもないが興味のある方は付き合ってほしい。今回は半年におよんだ入院生活の体験から。


早朝の憂うつ、着替えで落ち込む


前回(2)にも書いたが入院当初は思うように体が動かず、心が折れまくる日々だった。立つことも歩くこともできず、トイレに行くにも車いすでその度に看護師を呼んでいた。冬なので早朝でも外はまだ真っ暗、トイレから戻っても頭と眼が冴えて寝付けない。寝返りも不可能で外が明るくなってくるのをただじっと待つ時間は長かった。

患者の起床は6時。夜勤の看護師が起こしにきて病室の灯りを点けるが外はまだ暗い。着替えがまたストレスだった。病衣を脱いで日中はリハビリ向けにTシャツの上にジャージかパーカを羽織るが上着に袖をなかなか通せない。靴下を履くにもすごく時間がかかり、その度に気持ちが沈んだ。作業療法士によるリハビリでその後着替え時間は短縮できたがいまだにスムーズにはいかない。

インフルエンザ、新型コロナによる面会制限


面会を大幅に制限されたのも大きなストレスだった。自覚症状はなかったが入院直後に帯状疱疹を発症したらしく面会を止められ、病室を移された。帯状疱疹が改善したら、病棟内でインフルエンザが数人発生し面会禁止に。インフルエンザは拡がらなかったが引き続いて新型コロナの世界的流行に伴う大騒動が不運にも始まってしまった。病院内のコロナ患者発生はなかったが退院の日まで面会制限が続いた。
結局家族の面会が実現したのは半年の入院で数回だった。面会のときはレギュラーコーヒーの自販機で熱いコーヒーを買ってきてもらい、それをちびちび啜るのだがそのささやかな楽しみも奪われてしまった。

入浴介助と排泄ケアはやっぱり恥ずかしい


入院当初はさまざまな制限があり、自分でできることも少なかった。困った、というより恥ずかしかったのは入浴介助と排泄ケアだった。看護・介護のスタッフに妙齢の女性が多いことも関係あるが。とても荒っぽい中年女性看護助手がいて、豪快にお尻を拭かれて腫れ上がり2-3か月間痔が悪化し、しばらくの間怨んだ。
また看護学生の病院実習の担当患者になってほしいと頼まれ、閑だったので引き受けた。とても生真面目な男子学生で、何度もトイレの個室の中にまでついてこようとするのに閉口した。インフルエンザ発生で実習が途中で中止になり安堵した。


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