転倒
Bluesky にも書いたけど、AntennaAmerica 横浜店の立ち飲み卓で飲んでたら、酔っぱらいが倒れこんできて卓上の酒・つまみ一式ぶっとばされてギルティ。店の対応や周囲の人の対応には感謝しつつ、倒れたおっさんも一声あってもいいと思う。なにを何事も無かったかのように飲み続けてんねん。せっかくモンキッシュのDIPA飲んでたのに。
金持ち喧嘩せずというので、莫大な住宅ローン負債をもっている私は苦笑いで済ませましたが...。
他人の卓を吹っ飛ばして倒れる、というのは無いが、恥ずかしながら自分も飲みすぎて前後不覚に陥った経験は何度かあるので、まぁ、謝罪がなかったこと以外は特段言い募るつもりがない。ただ、年をとるごとに(倒れこんできた御仁は私より年配に見えたが)、酒を飲む時間というのは、アルコール自体の酩酊の効用よりも、予め期待した陶酔と完全性(酒そのものだけでなく、店の雰囲気や周囲の音、何もしなくて良いという状況)を享受する、そういう体験としての重要性を増している。それを崩したのは、どうやっても取り返しがつかないことだ。
少し話がずれるけれども、同じような理由で自分は、ビアバー他でも向こうから話しかけられない限りは、知らない人に話しかけたりしない。家庭生活において、一人で酒を飲みながら一服する時間を作るのは困難だし、バーに支払われる対価には、一人で/気のおけない仲間内で静かに過ごす価値も含まれていると確信するから。そこに意味不明な中年男性が闖入してくると、時間が台無しになるからだ。これは個人的なポリシーで他人に推すものではないし、恐らく旧いバー文化にあった何らかの良さを喪うことに荷担しているのかもしれないが、いずれにせよ、そういう方向に世間は進んでいくだろうとも思う。体験自体に財産的価値があるかのような言説は、とても資本主義的で一面では恥ずかしさを覚えるが、しかし、もう、そういいう風になってしまっている。
モンキッシュの Bomb Atomically、おバカなまでにホップが前に出たDIPAで、めっちゃ美味しいですよ。こんな名称のビールを楽しんで飲み、このブルワリーが推すメジャー球団のワールドシリーズを一緒になって喜ぶ。我が国のリアルだ。