真実を知ることは、癒やされることだ
私は幼少期、母親からかなりの性的虐待(セクシュアルハラスメント)を受けていたようでした。
性的虐待といっても、いわゆる体液の流出や挿入行為があったわけではありません。しかし、母親は本人(私)による拒否の意志をまったく無視するように、接吻をしたり身体を執拗になでたり、小学校や中学校などそれなりに年齢を重ねたとしても「○○ちゃん、かわいい」と他者の存在や場所を省みず猫かわいがりをしたりといった非常識な行動を繰り返していました。
ひと昔前のイメージで例えるならば、「しつこく女子社員の身体を触りまくるセクハラ親父」という感じです。私が何度も拒否しつづけても、母親は壊れたロボットのようにしつこく触ってくる、接吻してくる、執拗につきまとって声をかけてくることを行ってきました。このため私は幼少期の頃から、怒り、悔しさ、悲しさ、絶望感といった感情を味わってきました。
これが広い意味で母子間の性的虐待である、ということを認識するまでに、まさに数十年の年月がかかりました。
ほんとうについ最近まで、それらの母親の行為が性的虐待だという認識はまったくありませんでした。しかし、長年自分の精神的な課題を掘り下げていく中で、40代も半ばになってようやく、この仮説に行き着いたのです。「私は母親からかねて受けてきた嫌がらせは、実は、性的虐待に類するものだったのではないか」と――。
この仮説をベースに、ヒーリングや瞑想などあらゆるツールを活用して自己を掘り下げ、さらには専門的な資料を当たっていきました。その結果、幼少期から長く疑問だった母親からの異様な関わり方はほぼすべて、性的虐待という現象で一本でつながりました。
40代後半にして初めて、私は兄や父親とこの話題をシェアしました。すると兄も父も「実はおれも昔から母親は明らかにおかしいと思っていた」と口々に言い始めました。不思議と、母親以外の男性家族全員が、一致団結した雰囲気になりました。
■自己をなぜか罰する傾向の原因
しばしば性的虐待は「魂の殺人行為」などと言われます。
いわゆる性的虐待を受けた子供は精神的に大きな問題をきたし、その後の人生の歩みに大きな障害になると言われています。私は男性で、加害者は女性である母親ということで、一般に指摘されている問題とは多少異なることでしょう。しかし、文献や資料をたどるに、多くの被性的虐待児童がもつ根拠なき自虐的な傾向、かつ自罰的な傾向は、かつての私に大いに当てはまるものがありました。
また、「児童」からかなり成長した40代の私でも、この事実に気がついたときに、まるでどんなケアやヒーリングも拭えなかった自己を罰する傾向が大いに和らぎました。定性的で主観的といえども、この変化にとてつもなく驚いた記憶があります。
■虐待の全体像が見えてきたら落ち着いた
私はかねて母親に対する殺意をふつふつと抱いており、この殺意がどこから来ているのかがわからずに苦しんでいました。
小さい頃から、怒りを母親にぶつけると「お前は凶暴だ」「親はいたわるものだ」「可愛いのだから当たり前だ」という(根拠のなき)反論を受け、結局私は自分の内側に不要な怒りを押しこめるしかありませんでした(ちなみにこうした縛りをダブルバインドと言い、いわゆるハラッサーの典型的なコミュニケーションのやり口です)。
行き場のなくなった私の怒りは断続的に暴発し、周囲から疎まれる奇怪な行動や、酒などの自壊的な行動に走ることが度々でした。
しかしこうした怒りや殺意も、瞑想、ヒーリング、ホメオパシー、フラワーエッセンスなどあらゆるツールを駆使して癒やしていった結果、不思議と収まっていったのが興味深いところです。またベースとして「アデプトプログラム」をはじめとした形而上学の存在が大きいことも言及しておきます。
■人は善でもあり悪でもある、という真実
そして最後に行き着いた真実としては、「それでも母親は子供である自分のことを無条件に愛していた部分は、あったのだろうな」ということでした。
母親は私に対する接し方が極めてまずかっただけであり、またおそらく精神医学的に何かしらの問題を持っていただけであり、根本の根本には、いわゆる一般的な母親が抱く愛情らしい愛情があった。それは間違いなく存在していたのだろう、ということに、突然気がついたのでした。この時に自分自身のハートの領域が大きく開く感覚がありました。
もちろん、だからといって幼少期の性的虐待が許されるわけではありません。母親は子に明確な人権侵害を実行していたわけで、子どもである私としてはその事実を世に提示せざるを得ないでしょう。
しかし、こうした諸々の構図、すなわち真実が見えてきたとき、自分の中で大きく寛解するものがありました。こだわりがなくなったというか、前のように母親への恨みや殺意を頭の中で執拗に繰り返してしまう心の癖が、ようやく薄まったというべきか……。
仙気道の教えでは、「人は善でもあり悪でもある」と喝破し、仙人たちはその真実に基づいた自分や他者のコントロール方法を駆使していたと言われています。この善と悪の考え方は、私が同じく学び続けている形而上学が唱える真実にも通じます(公認ガイドが提供するアデプトプログラムをぜひ受講してください)。
総じて、私は母親という一番近しい存在に、善でもあり悪でもあるという人間の真実を見たのでしょう。
親というものはいろいろな課題を子供に突きつける存在であるとも言われますが、私のこの経験が、どなたかのお役に立てれば幸いです。
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