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#006 ライムスターとヒップホップの外の言葉

先月行われた『M-1グランプリ2022』。最終決戦に残ったのはコント師のロングコートダディ、ボケとツッコミがグラデーション的に入れ替わっていく正統派漫才師のさや香、まさかの角度から悪態をつきまくるウエストランドの3組。いろんな審査員評を後日談で聞くなかで、わりと「さや香とウエストランドで悩んで、ウエストランドに入れた」という人が多かった気がした。その結果、優勝はウエストランド。さや香は2位だった。

で、僕はさや香の漫才が一番苦手だったんですよね。「漫才頂上決戦」と言われているなかで、一番漫才師風情があって、コテコテの関西弁で、ボケとツッコミが入れ替わるグラデーションはありつつも、行われていることはオーソドックスで、声量も動きも完璧で。で、そんな王道な完璧なものを見せられると「それを見て、なんの意味がある?」と思ってしまうんです。

べつにお笑いに限ったことじゃなくて、たとえばヒップホップを戦いの場としたときに、明らかにヒップホップの王道のような風情の人がその世界で1番になったとて、あまり関心がないといいますか。自分の興味ではない世界の話だなって思ってしまうんですね。

そんな僕がラップをしている理由を考えたときに、思い出すRHYMESTERの曲があります。それは「B-BOYイズム」でも「口から出まかせ」でも「リスペクト」でも「耳ヲ貸スベキ」でもありません(全部好きですけどね)。2006年発表のアルバム『HEAT ISLAND』収録の「LIFE GOES ON feat. Full Of Harmony」です。

まずRHYMESTERの2MCのキャラクターをすごくざっくり考えると、Mummy-Dさんはカッコいいラップスター風情、宇多丸さんは理屈屋になるかなと思うんですが、僕は完全にアルバムでいうと『グレイゾーン』から「HEAT ISLAND』期(2004~2006年辺り。つまり僕が中坊のとき!)の宇多丸さんにすごく影響を受けました。

「LIFE GOES ON feat. Full Of Harmony」という楽曲は「それでも人生を続けていく」ことが大まかなテーマで、Mummy-Dさんはラップする自分の人生と所謂普通の人生(仕事とか子育てとか)を生きる親友との対比を書いていて、テーマとしては王道なことを書かれているかと思うんですが、宇多丸さんは自分がファンだった岡田有希子の自死のニュースを報道するマスコミや梨元勝(「恐縮です」と言う火事場ドロボー!)に怒りが沸くが、そのショックをひた隠しにする高校生だったことを振り返り、そんな自分も喪服を着ることが増え、"死"と向き合うなかで、1986年4月8日のあの日の出来事よりもちょっとはマシな日もあったことを思い合掌する、という旨の曲なんですね。

これ、曲なんですよ。たしか高校生のときに初めて聴いたと思うんですが、もうビックリしちゃって。それは言語化すると「エッセイをラップに落とし込むことって可能なんだ!」っていう衝撃でした。2005~2006年当時、そして現在もですが、どうしたってラップという歌唱法はヒップホップの世界の言葉が使われがちじゃないですか。だってそれが疑いようのない王道だから。ヒップホップという世界に憧れてラッパーになって、そういう言葉を操るわけですし。で、稀にそのヒップホップという世界には全然憧れていないのにラップという歌唱法は好きな僕みたいなやつも出てくるんですよね。この宇多丸さんの歌詞は、そんな僕を拾ってくれたような感覚がありました。

RHYMESTERってジャパニーズヒップホップの第一人者的な立ち位置だから、ヒップホップの世界の言葉を操ることが仕事である矜持もあるはずなんですよね。でもこの曲では、その世界の言葉を使わないでエッセイとしてラップをすることが効果的だったのでしょう。岡田有希子の報道当時は高校生だった宇多丸さん、そして2006年当時に至るまでの実感を語るうえで。

僕自身が音楽をやるようになり、歌ものの歌詞を考えるときや、ラップを考えるときにいつも、リズムや響きを優先するような「音楽としての面白さ」なのか、文字通りの「言葉の意味の面白さ」のどちらを取るべきか、そのバランスでいつも悩んでしまいます。で、この「LIFE GOES ON feat. Full Of Harmony」は「言葉の意味の面白さ」を考えるうえで、とても指標になる曲だなと今書いていて思いました。そういう指標になる曲って思い出すと僕にもまだいくつかあって、それは引き続き書いていきたいです。だってそれはゼロ年代にたんまりあるから。

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