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あれから10年後-

つまずいて起き上がりまた同じところでつまずいてを繰り返しているうちに10年経ってしまった。
なにも成し遂げていないのに自分語りなんてただのくそ野郎の戯言だけど、口を閉ざしていては10年間の足掻きが無駄になってしまう気がして。

うつ病 逆恨み

うつ病を患っていた友人に刺されかけた。

鬱で休職中の友人が傷病手当金を受給したら周りに陰口を叩かれると思い込んで消費者金融に手を出していた。休職期間満了で復帰したのだが、消費者金融からそいつの勤務先に連絡がいった。
会社はそいつが消費者金融に手を出したからうつ病になったのだと罰則規定を設けた。
遡及すること自体無茶苦茶だし、軽めの罰と譲歩のつもりで反省文としたのだろうけど、本人に否がないのになにをどう書けばいいか分からず反省文を書いてはダメ出し再提出を3〜4回繰り返しされたため完全に壊れてしまった。
メンタルを病んでない健康体だってありもしないことで反省文を書かせられ何度も何度も書き直すのは無理だ。

ナイフを持ち出して会社の人間を刺そうとしていたので、あいつを止めたらオレが刺されかけた。
刺されかけた今でもあいつを追い詰めたモノはおかしいと思っている。
しかし、当時は相当気が滅入ってしまった。

北へ。

逃げるように東京を出て北海道に移り住んだ。どこでも良かった。
大学のぱいせんに現実はエロゲのようにいかないと言われたけど、あのおっさんは脳味噌にウジが沸いているのだろう。

いつでも逃げ出せるように普通の賃貸住宅ではなくゲストハウスを選択した。
そこは常時70人近く20か国以上の人間が住んでいる多国籍なゲストハウスであった。ギークハウスに問い合わせをしたのだが返事がなかったのでここに決めた。消去法であった。
人間不信に陥っていて数ヶ月は誰とも話さなかったが、部屋に篭るのはシャクだったのでなにがなんでも共用リビングに居続けた。
1日中誰とも話さずにリビングに居て晩飯作って食って寝る。その繰り返し。
なんの意地か分からないけど意地と人間不信のミックス。それが当時のオレだった。

一日中リビングに居るわ、訳の分からない凝った料理作るわと変な野郎だったので、お腹を空かせたリトルモンスター達の関心の的だった。
半ば無理やり住民に踏み込まれていくうちに人間不信は徐々に氷解していった。
いまとなって思えば、クソガキの頃の体験が役に立ったかもしれない。

うみねこのなく頃に

青森県八戸市で漁師の家系のおんじ(※青森の方言。長男以外の男子)として生まれた。
いまではロクでもない事業者や様々な問題のせいでちゃんとやっている事業者が肩身の狭い思いをしている外国人技能研修生制度。この外国人技能実習生度が始まって間もない頃、八戸市でも実習生を受け入れていた。

実習制度の現状についてはルポ 技能実習生 (ちくま新書) が参考になると思う。

うちに実習生として来ていたベトナム人と年齢が近いこともあってよく遊んだし、他の船に乗っていたベトナム人達もうちを溜まり場にしていた。
『神様もう少しだけ』の深キョン可愛いとベトナム人と言った記憶があるので多分1998年の頃だと思う。
旧正月(テト)の一時帰国の際に見送りに行ったら、オレまで研修生のベトナム人に間違われて帰国させられそうになった。

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オレ日本語下手くそで濃ゆい顔立ちのせいか外国人に間違われることがよくあるし、それをネタにすることもされることもよくあった。

ゲストハウスに10ヶ国語話せるフランス人(ドイツ在住で教師をしている)が短期留学で訪日していたので日本語教えていたら台湾人にしみけん日本語下手なのに日本語教えているとからかわれた。オレもそう思う。

運命の日

当時大規模なゲストハウスは珍しかったようで、よくテレビの取材を受けていた。その日はNHKのネットワークニュース北海道の生中継があり、撮影後そのまま呑んでいた。

ふとケータイに目をやると実家からの着信があった。

父の訃報だった。
交通事故だった。
訃報を聞きすぐさま実家に戻ったが、母は虚ろな様子で視点が定まらず、祖母に至っては呆けてしまって自分の旦那も息子も孫もわからない酷い有り様だった。
生きるのがオレなんかよりずっと不器用な兄は親父を迎えに行く時間が10秒でも15秒でも違えば親父は死ななかった。自分が殺したのだと兄自身を責めた。
あんたのせいじゃない。

2011年3月11日14時46分

その地震はいつもより長く揺れていた。
地震が頻繁に起こる土地であったし、縦揺れでは無いので安心していた。
悪い意味で正常化バイアスが働いていた。どんなに悪くても三陸はるか沖地震程度だろうと想像していた。
一応、避難しようと外を確認してみた。

ウミネコの鳴き声どころか他の動物たちの生きている音もせず、ドブ川をひっくり返したような強烈な海の匂いが鼻腔をついた。
奇妙な静寂の中でガンガンと頭を叩く大津波警報のサイレンの音は、オレの頭に子供の頃に観た戦争映画の空襲の場面を思い浮かばせていた。
直感的にヤバいと感じたため、アホ面こいた近所のジジィに「大津波警報が出てる。避難しろ」と伝えたがそのジジィが無事に避難できたかは知らない。正直、この画面が頭に浮かばなかったらオレも避難してなかったのかもしれない。
父の遺骨を持ってお隣さんと高台へと避難した。
漁師町のためか火葬を行ってから本葬を行う地域であったこと、3月11日が友引であったことに多少なりとも救われた。
前代未聞の震災と言えど父の亡骸を置いて避難なんてごめんだ。

高台にある避難所に避難した際に、高台に住む祖父の代から面倒見てくれている爺様の家の安否を確認しに行った。
その爺様の家から海を一望できるようになっている。
爺様は双眼鏡を片目にあて「船頭はなぜ沖に逃がさない!馬鹿野郎!」と叫んでいた。
休漁期のため船を沖に退避できる船頭さんたちは丘に上がっていた。
揺れの後すぐに船を動かすことは不可能だった。
港や橋の欄干、トンネルは押し寄せられていた船舶で破壊されていた。

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爺様はおにぎりを握ってくれて、避難所で配布される毛布だけでは足りないだろうと毛布も貸してくれた。
数年経ってその爺様は亡くなった。大往生だった。

父の遺骨を抱え一晩明かした。
そんなもので葬儀なんて当然中止だと思っていたし、葬儀なんてそもそも生きている人間のためにするもので、この状況下で行う必要性を感じなかった。
それでも住職のご好意で開いてくださって、連絡もしてなかったにも関わらず父の友人や知人達が葬儀に来てくれた。自分達の家や職場が津波の被害あっているのに明日どうなるかにも関わらずに。
喪服に長靴とそれはもう酷い格好だったけれど。

加害者との対面

葬儀の数日後、加害者と対面することになった。
正直なところ自分と同い歳ぐらいの人間と加害者と被害者遺族の立場で顔をあわせるのはキツかった。聞いてもないし知りたくもないけど彼の両親も似たような歳なのだろう。歳が離れていたほうがまだマシだった。

兄には会わせられない。
兄は3月11日に陸前高田にて仕事の予定だった、もし父が死んでいなかったら兄が死んでいたかもしれない。
それでも兄は自分自身を責めた。
同じく、親戚や父の友人も岩手や福島の沿岸部から葬儀のために八戸に来ていたため大きな被害を免れた。

加害者が葬儀の時にこなかったことを問うと(正直なところ顔も見たくなかったし、オレ自身葬儀は中止だと思っていたが)、加害者の父親に津波で道路が滅茶苦茶な状況だし停電で信号も止まっていて危ないので行くなと止められたので行かなかったのだと話していた。

今に思えば感情に身を任せて殴っておけばよかった。
憎むに憎みきれず、家族が壊れていくなか冷静であろうと平静を保とうとした結果がいまのオレだ。
あの時は誰もが傷ついていたし、これはオレが一生付き合っていかないといけないオレの咎だ。

光の刺す方へ

父方の祖父は55歳で亡くなり、父が家業を引き継いだ。
震災当日におにぎりと毛布をくれた爺様から船のイロハを教わり、周りにあの家は終わったと後ろ指を刺されながらもピーク時には船をもう1隻増やし2隻となった。
沖に流されていた子供をうちの船と従業員が助けたことがあって、ガキの頃のひそかな自慢だった。
しかしながら水産業は先細りで父は早めの引退という形で廃業を選択した。
事実2002年にはちのへ漁協と八戸漁連が民事再生をし、1982年時には238隻あった中型イカ釣り船は2018年には22隻と10分の1以下になった。

事故のニュースが地元の新聞に掲載されたのだが、元船主ではなく無職と書かれていた。仕事を引退した人間は誰だってそうなるけど少し悔しかった。
父の生きた証を刻みたかった。

ゲストハウスに住んでいたニュージーランド人のニックは狸小路の呑み仲間100人近くから義援金を集めてくれて、ゲーム好きで来日していたスウェーデン人のヤンは医療ボランティアとしてすぐに仙台入りしていた。
震災後すぐに来日した台湾人のディジーとは今でも一番の友だちだ。

自分たちの生活があるにも関わらず東北を日本を支援してくださった国と父のために来てくれたヒトと重ねているんだわ。
ぶっ飛んだ論理だとはわかっているのだけど。

直接会ってお礼をしたい。
オレの空っぽの頭は下げるためにある。オレの手足は這いつくばっても前に進むためにある。

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宙ぶらりんの感情に目を背け、光を見ることで自分自身を鼓舞させていたのかもしれないが、当時のオレはそれが全てだった。

起業、失敗、そして…
悪魔だってプラダを着るときは試着するじゃん?

お世話になった国々にお礼を言って回るにはどうしたらいいかと空っぽの頭で考えた。その結果、考えついたのが起業だった。

オレはサービスを作れても道路を作ることができない。オレはオレのできることをしよう。

外国人と寝食を共にしているので、幸いにも、日本の何がウケるのか肌感覚で分かる。100人アンケートを取るより100人と生活を共にすればいい。
またキャズムを超えるようなサービスは女性が鍵である。
日常が壊される体験をしているからこそ、なんでもない日常のサービスを拘っている。それはコロナ禍のいまでも変わらない。
自分にとってそれはファッションだった。
こうして始動したのが、ネイルアプリの企画である。

ネイルアートは全世界のファッション市場のおよそ15%を占めている。また、金額ではアメリカ、中国、日本が大きいものの、割合では15%を下回っている。一方で、新興国では15%を越えている。つまりネイルアートがファッションの入り口になっている。
しかしネイルの欠点は試着ができないことである。いくら塗り直しができると言っても、何度も塗り直ししていたら爪が傷んでしまう。
そこで考えたのが、3D CGのネイルをARで試着できるスマホアプリNailCuteの原案だった。

悪魔だってプラダを着るときは試着するじゃん?ネイルに試着がないのはおかしいかなって思ってさ。

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ファッションはノンバーバルなので例え話す言葉が違っていても楽しめるけど、言語に依らない独自のタグ検索で楽しみの幅を広げた。
どの国の言語で検索しても同じ結果を返せるようにした。
例えばどの国の言語で検索しても、日本語で『かわいい』タグが表示される。
逆もまた然りである。

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また、いまのLINEクリエイターズスタンプストアやUTのようにユーザー投稿型のネイルシールストアを作る計画も進行していた。
計画自体は立ち上げ当時からあったもので、この企画の始動理由として売り上げのレベニューシェアによって眠っているデザイナーの卵を呼び起こせるのではないかという狙いがあった。
いろんなネイルシールの組み合わせで新たなデザインのネイルがうまれる。
予算に応じてバーチャルで楽しんで、またネイルシールで楽しむ。

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台湾に対し3.11のお礼を民間でやろうというAATJさんのTokyo Crazy Kawaii in taipeiというイベントに混ぜてもらい、無理言ってコメントを載せてもらった。
イベント出店の準備中、2014年8月1日に高雄市でガス爆発が起きた。友達が高雄市に住んでいる事もあって混乱を避けて翌月高雄市に向かった。
数キロに渡り、地面が掘り起こされ雨水が溜まっていた。
爆風でなぎ倒された焼け焦げた街路樹は3.11の時に津波でなぎ倒された岸壁の街路樹を思い出させた。
被害が大きかった現場の反対車線に消防署がありパイプの埋まっている位置が少しでもずれていたら被害がもっと大きくなっていたかもしれないとの事だった。
自身も被害にあったホテルが遺体安置所として開放しており、このホテルが『英雄』と呼ばれていたことなど現地に行かなければ知りえなかったことがあった。
様々な偶然とヒトの善意で生きているのを幾度となく実感させられた。
Tokyo Crazy Kawaii in taipei事務局への事前問い合わせに効果があったのかわからないけど本イベントでのチャリティーに高雄市への義援金が盛り込まれた。

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中々楽しいイベントだったけど、うちの商品の購入件数よりかオレが写真に撮られることのほうが多くて笑ってしまった。

また別件だけどベトナムでもイベントに参加した。
台湾、ベトナムとイベントに参加してオリジナル什器の必要性を感じた。
台湾の夜市やベトナムの移動販売よりヒントに什器兼移動式ネイルサロンを作ろうとした。

カーゴバイクを改造した移動式ネイルサロンを作り、その上でネイルシールの流通網も拡げつつ現地に展開すると、小資本なのでPDCAサイクルが回しやすい。これを利用して、新興国や途上国、国内でもシングルマザーなどの貧困層の雇用へと繋げていこうとした。

しかし、単発で成功させても資金が無いため次に繋げられないような事が続いてしまう。
資金調達について最初から念頭にあって、ドバイの個人投資家からの出資は日本のリードVCをつけるという条件があってリードVCを付けれず断念。シンガポールのテレビ局主催の、優勝すれば1.6億円のシードマネーが付くプログラムでは、最終予選まで残ったがそこで落選してしまった。
英語できないのにカタコトと身振り手振りの勢いでやってもここまでいけるけど、ここが勢いでいける限界かなと思った。

また某メガベンチャーに出資希望のプレゼンをしたところ某メガベンチャーの持つスピード感と合わずそのラウンドでは見送りとなった。
実際、トラブル続きで思うようにサービスをローンチまで持っていけなかったので指摘自体は納得していた。
ネイルシール部分のみを日本国内で展開するのであれば出資するという投資家もいた。

他にもスタートアップあるあるの連続でボロボロになってしまった。
実際やってみてわかったのは(スタートアップあるあるの)トラブルは避けられないという事だ。

出会った時期は前後してしまうが、アイスタイルの山田メユミさんに会えたのは不幸中の幸いだった。彼女の「世界に出せる仕組みを持っているのに出さないのは勿体ない」という言葉は、足掻くには十分であった。
いまも足掻き続けている。

しかし、いつしか資金も肉体も精神も限界に達してしまっていた。

神様なんかくそくらえ

威勢のいいことを言っても実現できなければ意味がない
自転車操業でなんとか続けていたが、限界だと判断し債務処理を行った。これで生活が随分楽になるはずだと思ったのも束の間、任意整理でハマってしまうところでハマってしまった。
詳細についていまはまだ話したくないが、あと5年、10年したら語るかもしれない。
兎に角、家賃を払えずホームレスになってしまった。

たまたま2ちゃんねるを見たら地方議員に相談するのがいいと書かれていたのでダメ元で区議に連絡・相談した。今、なんとか生き延びているのはこの時区議の先生に助けられたからだ。ありがとうございます。

路上生活者自立支援センターへ

区議からの紹介で路上生活者自立支援センターに入った。
路上生活者自立支援センターという名称だが、空き缶集めをしているホームレス(路上生活者)ではなく住み込みで働いていたけど職と同時に住居を失ったヒトやネカフェ難民のような様々な事情で転落し這い上がれないヒトが入れ替わり入居していた。

路上生活者自立支援センターはドミトリーとなっており一部屋に10人程度が寝泊まりしていた。
足が悪く階段の登り降りがやっとのじいちゃんや秋葉原で偽ロレックスを売って逮捕・収監されていたというおっさんと同室だった。
足が悪いじいちゃんは年齢が年齢で就職を考えずに年金受給開始までもう少しだったのでその間生活保護を申請してみてはと話をしたが首を縦に振らなかった。偽ロレックスを売って逮捕・収監されていたというおっさんは長野刑務所に収監されていたのだと言うので「ホリエモンのぱいせんですね」と言うと「収監されていた時期が違う」と前歯が抜けた顔で笑った。どうしようもないおっさんだったけど周りからは好かれていた。オレも割と好きだった。

初めの1〜2ヶ月は転落したもの同士和気藹々としていた。

ある日、おっさんが周りの金を持って逃げてしまった。
しょうがないおっさんでチンケな詐欺師と分かっていてもみんな騙されてしまった。
オレ含めて周りの連中が日用品費からお金を貸していたみたいで、足の悪いじいちゃんに至っては出たばかりの年金を丸々貸していたようだった。

※トラブル防止のために自立支援センターでは利用者同士の金銭の借り貸しを禁止しています。

閉塞感のためか、徐々に雰囲気も悪くなった。
部屋が違うので詳細は分からないが若いあんちゃんが暴れて警察沙汰になって退去したとの噂を聞いた。
詐欺師と失敗したスタートアップの違いについてぼんやりと考えたけど答えが見つからなかった。
まぁ、詐欺師のおっさん。あしたのジョーのキャラクターの名前をモジった偽名であちこち渡り歩いているらしいので見つけ次第ぶん殴ろうかと思う。

浴場に備え付けてあるシャンプーはメリットであったが、それを使ったことで髪の色素が抜けてチンピラのような風体になってしまった。メリットにはデメリットしかなかった。
その所為か定かではないが、コンビニに行っただけなのに行きと帰りで2回職務質問にあった。コンビニ行くのに身分証あるわけもないし路上生活者自立支援センターにいることを説明するにも面倒くさいので無視するとお巡りさんとカバディになった。

そんな折に役所の警備員の誘いがあった。行政に助けられた事だしすぐにでもスタートアップに戻るつもりで役所の警備員を始めた。
まぁシャンプーも買いたかったことだし。

流行りの複業というわけではなく負債を返すためにも1日48時間働いた。派遣でITでもすればもう少し楽に生きられていたかもしれないけど、ITにはうんざりしていた。
(それでもIT自体は好きだからNewsPicksで未来予知をして遊ぶようになった。予言が当たったところで一銭にもならないけど)

警備を始めたタイミングで、以前出資相談していた某メガベンチャーからNailCuteのネイルシール部分と類似したサービスがリリースされた。物理的にも精神的にも情報が入ってこなかったので気がつかなかった。
リリースされて1年以上経ってから気がついたのは不覚だった。

健康で文化的な必要最低限の生活

役所では暴れる連中を対応することも多く、チンピラやホームレスに殴られたり首を絞められたり酒を頭から浴びせられることも日常茶飯事であった。

「制服脱いで表でろや」
オレこんなんだけどいいのかな。

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絡まれるのが面倒なので筋トレする

着痩せする

見た目が貧弱ゥ!貧弱ゥ!UUURRRRYYY!!

だから絡まれる

絡まれるのが面倒なので筋トレする

という無限ループ。
ちなみに筋トレは警備員始めたタイミングで始めた。

すぐにでもスタートアップに戻るつもりだったのだが、なんだかんだヒトと接するのが性分に合っていたのか任意整理があらかた片付くまで続けてしまった。

これ以降は個人が特定されないように少年ジャンプのキャラに置き換えてみる。まさに大切なことは少年ジャンプが教えてくれたである。

大切なことは少年ジャンプが教えてくれた

宅配便のあんちゃんに足を引っ掛けて因縁をつけていたチンピラを止めたら、チンピラから頭突きを喰らった。どさくさに紛れて配達のあんちゃんはいなくなってしまった。
そもそも酒呑んで役所で暴れるんじゃない。

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オレ陰キャだけど、よく分からない相手でも仲良くなってしまう。
「ちまちま借金返してないで、(自己破産して)お前もこっち来いよ」と言われる始末。マダオめ。御免こうむる。
ちなみに警備業法第14条で自己破産者は警備員になれない。借金持ちは警備員になれる。理屈はわかるけど不思議な法制度である。

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自称フランスで画家をしていたというホームレス、バットで職員を殴るホームレス。オモチャのバットだけど。
梅澤春人先生もびっくりだ。

フランスでモテモテだったと自称画家のホームレス。
マリアンヌ泣くぞ。おい。

ホームレスがオモチャのバットで職員を殴ってお巡りさんに連れていかれたのだけど、オレがそのホームレスと顔見知りだったのでオレまで警察署に行く羽目になった。
幸い怪我人もいないし被害届を出さない限り厳重注意で終わるかと思ったのだけど署内で暴れたせいで留置所にぶち込まれた。
ホームレスがしばらくして留置所から出てきたのだけれども、「てめぇのせいでブタ箱ぶち込まれたけどよぉ、オレはよぉ警察のお偉いさんと知り合いだからよぉ早く出てこれたんだぞぉ」とか言ってオレに逆恨みをしていてめんどくさかった。警察のお偉いさんと知り合いと言うのは勿論ホームレスの妄想である。

ガッデム

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東京ドームの地下闘技場に住んでいる自称しているホームレス。
証拠だと言ってよく分からん手紙を見せてきた。
お前、出版社違うんだからこっち来んなよ。

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誰彼構わず口汚く罵るPSYCHO-PASSの小畑千夜みたいな女がいてよく問題を起こしていた。
その日も坊主頭の大柄な男を罵った。最初は大柄な男、山のフドウも我慢していたのだけども何度も何度も罵しられているうちにキレて殴りかかった。
すぐさまオレと職員で間に入って止めようとしたがエレベーター内まで押し込まれた。

「やめましょうよ。こんなことしても(殴っても)損するだけですよ」
職員が説得しようとしても「オレはもう終わってんだよ」と言って聞きやしない。いくらオレがガリで筋肉の絶対量が足りなくても成人男性2人をエレベーターに押し込むなんてどんな馬鹿力なんだよ。
さすが南斗五車星がひとり。山のフドウである。

更に職員一人を呼んで3人がかりで止めに入った。
「(立哨中に) 酷い罵りをしているのを見ている。あんたが怒るのも無理ないし、オレが同じ立場だったらオレだって怒る。だけど手を出したら庇いきれない。それは不本意だから止めてくれ。」とロジックもへったくれもない無茶苦茶な説得をしてしまった。なんだよ、オレの気分が悪いから止めてくれって。

盗用疑惑

前述にある通り、出資相談をしていた某メガベンチャーに盗用疑惑が浮かんできた。

出資希望のプレゼンをしたところ某メガベンチャーの持つスピード感と合わずそのラウンドでは見送りとなった。実際、トラブル続きで思うようにサービスをローンチまで持っていけなかったので指摘自体は納得していた。
その8〜10ヶ月後にNailCuteのネイルシール部分と類似したサービスがリリースされた。
app storeからは某メガベンチャーとしてリリースされていたのに関わらず、某メガベンチャーの公式サイトからはリンクされていなかった。

戦略投資推進室と社内ベンチャーがどうような関係で社内体制がなっているか分からないので完全に盗用とは断言できないし、また社内ベンチャーのサービスについては本家サイトからリンクを貼らないのもポリシーなのかもしれない。

それでも弁護士に相談したところ秘密保持契約(NDA)を結んでいたとしたらアウトだとの見解だったが、通常どのようなVCだろうとシード/アーリーステージでの出資相談のプレゼンでNDAを結ぶことはないはず。また戦略投資推進室の担当者はリリースして数ヶ月後に転職しているために事実関係を知ることができなかった。

某メガベンチャーが別件で炎上した際に、そのサービスも数ヶ月間サービスメンテナンスが続いてそのままクローズしていた。
撤退する時は痕跡も残さず撤退するのだな。

正直なところパクるならせめてきちんとパクって、クリエイターへ還元されるところまでやって欲しかった。

オレ自身ホームレスになろうがどうなろうとも自己責任だが、起業志望/起業中の学生に対しこの某メガベンチャーを勧めたことについてはいまでも後悔している。

二人の祖母の死

山のフドウとの一件のあと暫くして、入院中の母方の祖母が亡くなったとの訃報が入った。
入院中に見舞いに行ったときも、祖母の亡骸を目の前にしても、父が死んだときもそうだったがかける言葉を見つけられなかった。
好きでもない人間、山のフドウには声をかけて手を差し伸べようとするが、実の祖母には声もかけられない。

バカみたいにヒトを助けては、ヒトを助けるような立派な人間じゃないと自己嫌悪に陥っていた。
カラダが動く方へと行動していたが、震災のお礼をすると言いながら出来てない負い目からの代償行動じゃないのか。

「わりいことばせたらわがね(悪い事はしたらダメだ)」が母方の祖母の口癖だった。
転がり落ちたとき、犯罪に手を染めずになんとか踏みとどまれていたのは祖母の言葉があったからかもしれない。

それから数年して父方の祖母が亡くなった。
父方の祖母とは父が死んでから折り合いが悪くなった。
祖母は祖母なりに父の生きた証を言いたかったのかもしれないが、加害者に対して父が死んで親戚や知人が津波の被害から助かったことを伝えていたり、まるで客人を持て成すかのような行動をとっていたので口論になった。
また従姉妹の進学についておなごわらしに学をつけてどうすんだと言うのでそこでも喧嘩となった。
孫に真正面から立て続けに怒られたから面白くなかったのだろう。
そこはかとなく折り合いが悪くなってしまった。
祖母が亡くなったときに喪失感はあったものも父のそれとは違い喧嘩をしていた方が幾分マシだったのだなと気がついた。

思えばアイスを買ってきてくれと使いを頼まれたのが父との最後の会話だったんだ。
なんだよ。アイスが最後の会話って。
うつ病の友人に刺されかけて北海道に移住しなければ、引越しの際に実家による事もなく最後の会話も何もないのでアイス買ってきてくれだけでもマシなのかもしれない。

事業の盗用疑惑、祖母の死と立て続けに起こり精神的にまいっていたところでNaoyaぱいせん、ED氏、ヒロカッズ、金ちゃん(金俊年さん)に助けられました。その節はありがとうございました。

這いつくばって前に進む

いままでみたいに退路を断ち、怖いモノ知らずに当たっていく事はなくなった。
チンピラだろうとなんだろうと向かっていけるのにスタートアップに関してだと腰が重くなってしまう。それでもスタートアップに戻ろうと足掻き続けた。
思いだけでは人は動かないし腹は減る。

Make Moneyに企画を出してみたりもした。これはNewsPicksが企画したビジネスコンテストで、言わばNP版『マネーの虎』通称『マネーのシマウマ』である。

日本のアップデートっていう意識たka…NewsPicks系にありがちな漠然とした募集テーマであった。

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パクられても平気な企画 (パクられてもと言うと語弊があるが)で、誰かの生き辛さを解消するツールなので例えオレがやらなくてもパクったとしても誰かが世の中に出してくれたらそれでもいいかなと思って出してみた。

トドちゃんが上手く言語化していたのでコメントを引用してみる。
まぁ、トドちゃんも同じく予選敗退だけど。

ゆうて、この手の企画はいくらでも思いつくんやけど、ワイが死んでもうたら、何にもならずに消えてまうやんか。
少なくとも発表すればワイが死んでもアイデアは残るから、まあ、ホンマに価値のあるものやったら、誰かの役に立つかもやろ。出来るだけ形にはしたいもんやけど。ワイ的なノブレス・オブリージュのつもりやねん。ギャグにしか聞こえへんやろけどもw

これは窓際★トドちゃんの企画
Make Moneyで落ちたワイの企画を晒すwww

オレが出した企画は吃音症や等級つかないような言語障害(構音障害や発話障害)がある人向けのツールであり、例えば目が多少悪くてもメガネやコンタクトなどのテクノロジーで不便なく生活(アップデート)できますよね。なら言葉は?と言うのが根底にあってグレーゾーンにいる人たちが生きやすく、それが日本をアップデートってことだと思う。

サービス自体はbluetoothの骨導音マイクとアプリのセットで、将来的には音声認識で高齢者含めた発話の補正ができればよいのだけれど、初めは骨導音マイク使って吃音症や言語障害がある人の聞こえる自身の声を取り出したい。(DAF/FAFなどの機能も付けたい)

色覚異常の場合どう見えるかのシミュレーションツールはadobeなどでリリースされているし、ならば声はと言う感じで自分に聴こえる声“内なる声”を相手にシミュレーションしようと。
ちなみにサービス名のライオネルは言語聴覚士のライオネルローグより。

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コロナ禍。そして…

ホームレスに殴られたので現行犯逮捕した。
いつもは殴られたところで被害届を出さないのだけど、オレを殴ったホームレスが女性職員に執拗に粘着していて職員に逆恨みがいくと嫌なので被害届を出した。
いままで取り押さえたあと逆恨みで仕返しに来ることが何度かあって今回もこのパターンの気がしていた。
最初相手が否認したため裁判までいってめんどくさかった。
なんだよ。新型コロナが怖くて酒呑んで役所行って女性職員に執拗に絡んでオレに止められたから殴ったって。
そもそもオレを殴ったのが緊急事態宣言前なので、コロナが怖くてっていうのは十中八九嘘なのだろうけども。そもそもコロナが怖いからといって人を殴ったらいけない。

公判後、空を見上げるとブルーインパルスが飛んでいて笑ってしまった。
どんなタイミングだよ。

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既に役所の警備から離れていて対応できないので、職員に対して逆恨みがないことを願う。
オレが警備員をやった数年間で派手に暴れる野郎は体感で7割以下になったし、オレがいた意味もあったのかなぁ。

最近はUberEatsドライバー単体だけでも生活費は賄えるようになったので、UberEatsドライバーをやりつつスタートアップに戻ろうと思う。

つまずいて起き上がりまた同じところでつまずいてを繰り返しているうちに10年経ってしまった。

なにも成し遂げていないのに自分語りなんてただのくそ野郎の戯言だけど、口を閉ざしていては10年間の足掻きが無駄になってしまう気がして。

なにひとつ上手くいかないし運命なんてコントロールできない。
だけど陰キャで粘着質なので、ありがとうもくそ野郎も返していく。
諦めたらそこで試合終了。諦めの悪さも少年ジャンプで学んだことだ。


東日本大震災 八戸市の記録より。3月11日16時48分頃の様子。上平昭一氏による撮影。
東日本大震災1週間後の館鼻岸壁の様子。著者撮影。

イラスト
あにゃまる、西アズナブル

漫画コマ流用
幽☆遊☆白書 冨樫義博
銀魂 空知英明
BØY 梅澤春人
バキ 板垣恵介
敬省略

警備員編は個人を特定できないようにボカして書いていますが、問題がござましたらすぐに修正削除致します。
また漫画のコマ流用部分も同様に問題がござましたらすぐに修正削除致します。





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