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この話、どう思いますか?


天才外科医と謳われ、名医で評判のドクターがいました。

ある日のことです。

一人の子どもが救急車でその医師のところへ救急搬送されてきました。

父親と名乗る男性に付き添われてきたその子どもを見て、医師はひどく動揺しました。

なんとその子どもは、まさに自分の子どもだったからです。


映像が想像できましたか?

だいぶドラマチックな展開ですけど、まず思うのはこのお医者さんと付き添いの男性ってどんな関係でしょうか?

「付き添ってきた男性は、たまたま倒れている子どもを見つけて運んでくれた赤の他人。説明が面倒だったから父親と名乗ったのかも」

あるいは

「一緒にいた男性は離婚した前妻の現在の夫。つまり子どもの義父」

さあ、どう思います?


正解は、この医師と子どもは、「母と子」

男性は、医師の夫です。


いかがでしょう?

この医師を男だと思い込んでしまいませんでしたか?

「お父さんが2人?だとすると…どういう関係だろう?」

とつじつまが合うドラマチックなストーリーをひねり出そうとしませんでしたか?

これ、なんとなく

名医の外科医=男性

の思い込みがあるからです。

社会通念といいましょうか、文化的固定観念と言うんでしょうか。


でも私たちは、常にこういう「思い込み」で一喜一憂してるんです。


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テストで95点だったしずかちゃんは、絶望してるんですよ。

「どうしよう、ママに見せられないわ~、私もう生きていられない~」

といって、泣いてるんです。

それを聞いていたのび太くんの点数は、10点でした。

日常、0点しか取れないのび太君にとって、10点は歓喜の点数…

ところが95点で泣いているしずかちゃんを見て、のび太君は自分が惨めで情けなくて絶望的な気分になりました。

のび太君にとっては、しずかちゃんはガチ中のガチの大天才です。


でもこれ、しずかちゃん側からのび太君を見たらどうでしょう?

しずかちゃんは、100点じゃない人間はダメ人間だという思い込みを持っているんです。

だとしたらしずかちゃんにとって、のび太君は虫けら以下のクズですよね。

でも優しいしずかちゃんはそんなことは思いません。

「のび太さんに比べたら私はなんて幸せなんだろう」ってことに気づくはずです。

こういうのを下方比較で、偏った思い込みに気づくという一つのセラピーなんです。


いずれにしても私たちは、様々な思い込みに支配されています。

これね、自分の頭で考えず、他者思考で生きていると、世間の風潮、テレビやネット、周りに人の言動、親からの刷り込み、自分の辛かったり不快だった経験によって、ネガティブな思い込みを作り上げている可能性があります。

本当にそうか?

と自問自答するクセを持ちましょう。

自分はどんなメガネをかけて見ているかに気づきましょう。

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