悪くなくても謝ってしまう人
某、私のパートナーですが・・・
失業保険の手続き…
書き方がわからなくて、何度も電話で聞いて、やっと完成したのでハローワークに書類を提出しに行きました。
すると、数日後、不備があると言って、再提出を求める通知が送られてきました。
「ちゃんと説明したはずです。言われたとおりにしてください!」
と怒られました。
そこで、また訂正をし、再提出しました。
すると、また間違っていると言って、不備で受け取れないといってきました。
「あの…言われたとおりにしたんですけど…」
「そんなことは言ってません。説明書をよく読んでください。ちゃんと書いてあるでしょ!」と。
それはそれは高圧的な態度…
そこでパートナーの返した言葉が、
「すみません…」
「すまない」なんて1ミリも思ってもないのに。
だって、事前に何度も説明を受けて、何度も確認して、言われたとおりにやって…
明らかに相手の説明に矛盾があるんです。
そりゃもう内心、はらわたが煮えくり返っている…
おかしいじゃないか!なんでそんな高圧的なの?なんで見下してるの?
でも
返した言葉は…
「すみません…」
これ、いくら内心では「自分は間違っていない」と思いつつも、「すみません」と言ってしまった以上、「あなたの方が正しいですよ」というメッセージを送ったことになってしまっています。
そして、自分のしてしまった行動(「すみません」と謝ってしまった)を正当化するために、こういう思考になっていくんです。
「私の理解が悪いんだろうか?」
「私が聞き違えたんだろうか?」
「ホントにそうやって説明されたんだろうか?」
「ちゃんと質問しなかった私が悪いんだろうか?」
そんなふうにモヤモヤし続けてるんです。
何か事が起こると、
自分が悪いのかも…
自分のせいで…
とまず思っちゃう…
結構いますよね。
世の中には、なんでも悪いのは他人のせいにする人もいれば、全部自分のせいだと思ってしまう人もいるんです。
いずれも認知のゆがみです。
ごめんなさい
わたしのせいで…
私が悪かったんです
何かあれば謝る…
僕のパートナーの場合、無意識レベルでこんなビリーフ(思い込み)があるように思います。
謝る人 = 良い人
正直な人 = 良い人
自分は良い人であろうとする
良い人として見られたいという願望がある
「良い人になりなさい」という教育を受けて育ってきたから。
反論したり、事を荒立てたり、噛みつく人は悪い人
だから、本当は自分は間違っていないとは思っていても、良い人であろうとするあまり謝ってしまうんです。
そして、正直であろうとするあまり、もしかしたら私には落ち度があったのかもしれないと必死に記憶を再構築するんです。
どうして、責任問題にしようとするんでしょうね。
「誰かのせいでこうなった」なんて、どうでもいいことなのに…
そんなパートナーが、僕の本棚から「7つの習慣」を取り出して読んでいる姿を見ました。
なぜ僕が懸念するかというと、「7つの習慣」の第1の習慣は、「主体的であれ」という自己責任を説いた内容があるからです。
要するにうまくいかないことを他人や組織、環境のせいにして、不平や不満を言わないで自分のできることに集中しなさい…ということが書かれてあるんですが、これをどう解釈するんだろう?と不安になったんです。
主体的に生きるということは大切なことです。
僕は、雨が降ることさえ自分のせいだ!と思っています。
でも、どうですか?
相手から謝られて、うれしいですか?
この人っていい人だな?って思いますか?
少なくとも、役所の対応と交通事故の対応だけは、「自分のせいだ」と簡単に口に出してはいけないと心に誓っています。
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