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アクション映画って基本的には大好きなんですが、観ていてよく違和感を感じることがあります。


例えば戦闘シーンの場面。

敵の要塞へ仲間と乗り込んでいくシーン


大勢の敵の銃弾をかいくぐりながらありったけの武器で応戦し、ザコどもを撃ちまくってラスボスまで辿り着き、ついにラスボスを倒す…という定番の展開。

見てる方はハラハラドキドキ。

戦闘中には多くの敵を片っ端からやっつけていくわけなんですが、味方の仲間が流れ弾に当たり、途中で命を落とすわけなんです。

「マイケル!死ぬなぁ(泣)マイケル!こんなとこで死んじゃダメだぁ…、逝かないでくれぇ…」

そして、

「許さねぇ!お前たち、よくもマイケルを!絶対許さねぇ!」

と言って、さらに怒りを戦闘モチベーションに換え、敵をそれまで以上に殺しまくってラスボスの元に突っ走る…


感動的なシーンです。



ちょっと待ってください。

いやいやいや

「よくもマイケルを!許さねぇ」とか言ってますけど、そう言うあんたもたいがい殺してまっせ…って思うんです。

敵の兵士も家族があり、仲間がいて、いろんな背景の事情があるはずなんです。

ラスボスからは恐怖で支配されて従っているだけで、本当はいやいや戦っているだけかもしれません。撃たなければ撃たれるかもしれない状況なんですから。


そんだけ大量殺戮をしておいて、

「許さねぇ」

なんていう権利はないぜ!って思っちゃうんです。



私たち視聴者は、主人公に感情移入しちゃっているもんだから、主人公を応援しちゃうんです。そして主人公の背景や事情をいっぱい情報としてもっているので、主人公が正しいという目線で観ています。つまり、主人公の敵は悪いやつ。悪いやつなんだからやっつけて当然。


こういう心理を「内集団バイアス」と言います。

つまり「身内びいき」という心理です。

そして、外の敵に対しては、「外集団同質効果」といって敵が全員均一に見えてしまう。一人ひとりの個性に対しては無関心になってしまうわけなんですよ。




僕は子どもの頃から気になってたんです。

格闘もの、アクションものは大好きなんですが、でもいつも主人公が好きになれない自分がいたんです。みんな偽善者のように思えて。

だったらふり切って「俺は悪だ」と宣言して殺戮する敵の方が一貫性があるので好きなんですよね。


北斗の拳なんかケンシロウは不必要に人を殺しすぎでしょ。

あれだけ虫けらのように人を殺しておいて、「愛をとりもどせ」じゃないっちゅうねん。



北京オリンピックで、ワリエワ選手がドーピングで批判を浴びていましたよね。

世界中から非難を浴びインスタなどで叩かれていると聞きました。


これもバイアスがかかってませんか?

今、不穏な動きを見せているロシアの人だから。

ドーピング大国と言われたロシアの人だから。


15歳の少女は時代と大人たちの事情に翻弄されているのかもしれません。

もし、彼女があなたの家族だったらどうでしょう。


北京オリンピックは随分となにやらゴタゴタした印象を受けますが、それも今、世界の覇権争いをしている中国での開催という穿った見方やなんらかのバイアスがかかっているのかもしれませんよね。




いずれにせよ、ただ流されて、まわりが言ってるからと鵜呑みにしないで、いろんな角度から想像できる目を持ちたいものです。


正しいことってなんなのか。



正しいという字は、止まれの上に一と書きます。

正しいかどうかを考えるときには、一旦止まろう!ということです。

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