教育系学部生から見た教育関連の本について

Jラボのシトと言えば教育だろう。少なくとも私はそう思っている。どこからか聞こえる教育についての本を取り扱え!という声に、文学を扱って以降悩まされていた。今回、教育の本について扱うのでどうか許してほしい。今回扱うのは、大学の教授から頂いた『FUTURE-EDUCATION-学校をイノベーションする14の教育論』だ。タイトルからして色々と言いたいことはあるが、今はやめておこう。

以下に、本を読んでいて気になった箇所を挙げていく。

はじめに

1.

「「今後一〇〇年間、教育を志す人間が必ず読むような本にしたい」という思いで、えりすぐりの記事をまとめました。」

とある。今後100年間とはでかくでた。「学習指導要領等は、時代の変化、子供たちの状況、社会の要請等を踏まえ、おおよそ10年ごとに、数次にわたり改定されてきた」(平成28年 中央教育審議会答申p3から引用)。それよりも長いスパンで考えているのだから相当すごい内容か、当たり前だが極めて重要な教育についての前提などが書かれているのだろうか。

2.

「一〇〇万人の子供たちが視聴者のYouTubeの授業動画など、新時代の学習方法にも迫っています」。

いかにも、一般的にも教育学部生的にも良しとされそうな内容だ。多くの人が抱いているであろう今までの教育への不満、多くの人が好きな平等、実践で使える新たな学習方法にしっかりと対応している。実践系の本ならば、ギリギリセーフだと思うが、

「今後一〇〇年間、教育を志す人間が必ず読むような本にしたい」

という思いでまとめていると言っているのでアウトだろう。

Ⅰ 教育の先にある未来

01 野依良治 人類は進化し続けなければならない

1.

「本来、なぜ教育があるのか。まず、個々の人々が豊かな一〇〇年の人生を送るため。国の存立と繁栄をもたらすため。さらに人類文明の持続に資することが最も大事で、この根幹をわすれてはならないと思うわけです。問題は、じゃあ、どういう人生、あるいは国、あるいは人類社会であるべきか―ということ。そこに理念あるいは構想がなければ、とても教育はできませんね。日本は戦後、欧米から民主主義や人権など多くのことを学んできたものの、残念ながら受け身であり続け、自らが考えた「国是」が共有されていないことに、根本的な問題があると思っています。」(p5)。

おそらくこの本で一番重要な文だ。教育を学んでいる時、一応は触れられるが非常にあっさりとしていて驚いたのを思い出す。そもそも何なのか。何のためにあるのか。ここが本当に軽視され、これからはこういう未来になるからやこうすれば面白くなるなどといった実践的なことを推してくる。学生は先生になる事やいかに自分の好きな教科の楽しさを伝えるかにばっかり力を入れている気がする。本当にこれは考えなければならない問題だと感じる。

2.

「筆記試験の成績が、神のご託宣のように思われているが、その「信仰」の根拠は何か。この「神」は一人一人の得点点数を一点刻みで正確に知っているが、人物の内容については何一つ理解していません。」(p16)。「「評価」は「分析」と異なり。本来は客観じゃなく主観です。」(p17)。「「主観は偏見が入るからいけない」「筆記試験は客観的で公平だからいい」と言う。」(p18)。「むしろ「政策的偏見」ではないでしょうか。」(p18)。

所長が書評で紹介した能力主義の話を思い出す。ちゃんとそれも読んでいきたいと思う。すこし話は変わるが、日本は公平性を気にしすぎて逆に格差を広げてしまっている。例えば、ある家庭ではネット回線が整っていないので、そこに合わせてICT教育をしていくなどと言ったことが起きている。最近、能力主義の危険性関連で岡田斗司夫の1時間30分ほどの動画を見た。その中に、運動神経が良い人には重りを身に着けさせ、美人には醜いお面をつけさせるなどして差を無くした世界の話があった。この話は行き過ぎているが、教育も似たようなことを行ってしまっている。

他にも、この01の文章は大切なことが書かれており、読む価値があると思う。ここだけでも読んでほしいと個人的に思った。

Ⅱ 学校のイノベーション

 07 鈴木大裕 「成功」「幸せ」の価値観を変えるー米国の失敗から学ぶ教育改革への道筋

この章を選んだ理由は2つある。
1つ目は、教育学で日本はよくアメリカの教育の跡を辿ると言われるからだ。2つ目は、世の中を経済的な視点からのみ捉える「新自由主義」社会が公教育に大きな影響を及ぼすという良い例があるからだ。
米国に起きていることは日本にも起きる可能性が高いので知ることは重要だと私は思っている。

「米国では学力標準テストの点数で子供を評価し、その点数で学校や教員までもが評価されているー。これを聞いて、日本も他人事ではないと思う人は多いのではないでしょうか。」(p99)。

この本の中でも、学校や教員の評価基準がそのような物であるため、自分のやりたいことをするための実績作りで、そのようなものに力を入れたと書いている人がいた。そのやり方は安易で分かりやすく、やりやすいため、変えるのは非常に難しいだろう。

「新自由主義的な教育改革を成し遂げるには、「三本のくさび」があると述べています。一本目は、「学力」をテストの点数へと再定義するくさび。二本目は、教員の「指導力」をテストの点数を引き上げる能力と再定義するくさび。そして三本目は、カリキュラムの基準をパフォーマンスの基準とすり替えるくさびです。」(p99)。

まず、一本目について触れる。学校教育法30条第2項に書かれている学力の定義は、「「基礎的な知識及び技能」、「これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力」及び「主体的に学習に取り組む態度」から構成される「確かな学力」のバランスのとれた育成が重視される」となっている。簡単にいうと、①知識及び技能②活用力③学習意欲によって学力は構成されているということだ。ちなみに活用力は不足しているという課題が調査によって報告されている。こう定義はしているが、これを測っているのはテストであり、そのテストは抽出式ではなく全員参加の形式である点や規制緩和による学校別の成績開示までできる点から現状はテストの点数=学力となっているとして良いだろう。

次に二本目について触れる。上記のテストの結果を受けて教員は計画を立てることを求められたりするため、このくさびも打ち込まれているとして良いだろう。

最後に三本目について触れる。前の2つのくさびはわかりやすいがこれはわかりづらいものだと思う。最近になって学習指導要領が新しくなった。そこでは何ができるようになるのかというパフォーマンスの基準が強調されている。すでに日本の教育には、必要なくさびがすべて打ち込まれていることになる。

Ⅲ 近未来の教育


ここでは08のスタサプの話と09のAI型教材キュビナの話をまとめてICT教育について書く。

まず、ICTはInformation Communication Technologyの略だ。このコミュニケーションという箇所が重要だ。

次に、教育関連の政治的な流れを挙げる。

2009年 原口ビジョン「2015年までにすべての教科書をデジタル化する」。2010年 総務省のICTを使った実験の2年で終わるフューチャースクール。2020年 GIGAスクール構想。

次に、メリットとデメリットについて考える。

タブレットで提供される教材とテスト見ていく。・スキナーの「プログラム学習」・ブルーナーの「完全習得学習」・穴埋め式・マークシート方式・記述式・ディスカッションなどなど。ここで思うのは、デバイスを使う事で新しさを出しているが、実際にやっていることは全然変わっていないのでは?ということだ。フィードバックを送りやすいなど管理はしやすくなるが、それによる新しい何かがあるわけではない。ただのIT化でICT教育とは?となってしまう。ここでさっき書いたコミュニケーションが重要になってくる。以前のを効率化し、知識をつなげたり、調べたりすることができるのが重要だ。また、データで管理しているため、どこで間違えたのかが分かり、教育の理想的なものとして挙げられる個別最適化につながる。この章の08と09でも効率化や個別最適化が挙げられている。ただ、民間企業が入ると08にあるような安易な改革をしようとしてしまう恐れなどから、あまりスタサプに魅力を感じない。個人的にAI型教材キュビナに魅力を感じる。学習指導要領をしっかりと参考にしている点やあくまで学習の効率を上げる道具であることを理解し、それを教育にしっかりと実装するためにどうすればいいかをしっかりと考えている。そしてコミュニケーションについても触れている。

Ⅳ ポストコロナの学校像

この章はあまり面白いと思ったものはなかった。

最後に

今の教育とこれからの教育をどのように考えているのかがわかる点で面白い本だ。そして、あまり語られていない恐ろしい事実も教えてくれる本でもある。

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