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創作行為、過程を見るか結果を見るか(AI使用について)

ドーモ、イラストやデザインをやっているきょくなみイルカです!
R-9=サンが画像系AIについて面白い記事を書いていたので、私の現時点でのAIについての感想などを書いていこうと思います。数年後に見ると、「あー当時はこんな感想だったんだな」ってなりそうな予感よ。

R-9=サンの記事はこちら

●AI絵とAI文への抵抗感の差

AI絵もAI文も、すばらしい技術だなって思います。
こうやって人間は進歩していって、環境が変わっていくんだろうなというタイミングに立ち会っている感覚です。

ただし、他人の絵を学習してそれを売り捌く人は新設された地獄に落ちてほしい程度の抵抗感を感じます。
ましてや人からその過程とかが送られてきたらと思うと…
どれぐらい気持ち悪いかといえば、知らない人からオナニー動画(オナニー動画)が送りつけられたぐらい気持ち悪いですね。

対して、私もNotionAIは使っているし、ChatGPTにたまに質問しているし、TwitterのTLに現れるおもしろAI絵は楽しんでいます。

あと、フォローしているVtuberの方で自分をモチーフにしたAI絵を連続投稿している方がいました。
これについては完全に御本人の自由…だと思うのですが、イラストを書いている自分からすると、ファンアートを作るやる気が大幅減しました。(もちろん本人のものを本人が作っているので何も問題はないです)

例えばですが、「私の推しCP小説が無限に出てくる壺」があったら、やっぱり使ってしまうんだろうな…という立場の違いによる感覚の違いも感じています。

つまり「自分の創作活動に影響しそうなAIには抵抗感を覚える」という感想ですね。

●手綱を握れ、馬から落ちるな

これは自戒でもあるのですが、「どうしてそう表現したか説明できないものはコントロールできていない(程度によるけど)」と思っています。

例えばChatGPTでjavascriptのコードを書いたとして、それをコピペして動いたとしても、理解していなければ常に危険が伴うわけですね。

それはAI絵にもAI文にも言えるんじゃないか?と思います。
例えばAI絵は赤十字とか使ってはいけないモチーフのこと知らないかもしれないし、政治的に危ない表現もしてしまうかもしれない。
AI文も同様に、差別的表現に触れてしまうかもしれない。

そのあたりをコントロールして監督した上でAIを使って創作していくのがうまい付き合い方なのかなぁ、と思っています。

●他のラフな感想

これは画風の指定によるところがほとんどだと思うのですが、いわゆるAI絵の高解像度のキャラクターイラストが苦手ですね…
なぜ苦手かというと、画面の情報量が多すぎるから、と分析しています。

文章で例えるなら、超小さい文字が密集してたくさん並んでいるような感覚です。集合体恐怖症的な感じ。

あと、例えば富士山の山頂までタクシーで行けるようになったとしてですよ。歩いて山頂に行くのとタクシーで行くの、この感覚は今のAI絵の環境に似てるんじゃないかなと思っています。

どちらも「富士山の山頂に行く」という結果は同じなものの、過程がまったく違うわけです。
歩く過程を楽しんでいる人はもちろん歩いて登るでしょうし、過程は楽できれば良いと思っている人はタクシーで行くと思います。

これはAIを使用してイラストや、文章を作ることに置き換えても同じだなって思っています。

●未来へ…

これからAIに関する環境も色々と変わっていくと思いますが、うまく付き合っていきたいですね。

個人的には仕事が楽になる方法があれば、(さらにセキュリティ上問題なければ)試してみたいなって思っています。

^ー^<マタネ

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