五十肩を患い自分を見つめ直す
五十肩との邂逅
ある日、何気なくベッドに横たわって万歳をしてみた。するとどうだろう、左腕がまるで反抗期の少年のように、言うことを聞かずに浮いたままになってしまったのだ。
「ん?」と思い、次に右腕を同じように動かしてみる。
すると、右腕はすんなりと降りてくるではないか。左腕の可動域が明らかに違う。
この異常を目の当たりにして、僕は直感的に悟った。「ああ、これが五十肩というやつか」と。
そう気づいてしまった瞬間から、左肩は急に主張を始めた。
まるで黙っていたことを今さら後悔するかのように、激しい痛みが僕を襲う。
夜になると、その痛みが増幅され、何度も目を覚ます羽目になる。もはや、痛みと共に過ごす夜が僕の新たなルーティンとなってしまった。
当たり前のありがたさ
思えば、20代、30代の頃は健康なんて当たり前だった。しかし、40代となった今では、その当たり前を維持することすら、なんと難しいことか。厄年という洗礼を、僕は遅ればせながら受け取ったのだ。
この痛みに耐えながら、僕は過去を振り返って考えてしまう。「一体、何が悪かったのだろう?」と。そういえば、5月あたりから肩に違和感を覚えていたのを思い出した。
「現状維持は衰退」という言葉が、今になって僕の脳裏に響く。
しかし、人生の辛い体験というのは、これまでもそうであったように、大きな成長の起点となるに違いない。
きっとこの痛みも、何かの前触れなのだろう――
そう自分に言い聞かせながら、痛みに耐える。
ふと、我が子と手を合わせてみる。
小さな手には、もちろん肩こりなどという概念は存在しない。
「肩こりがなくて羨ましいな」と、素直に思った。彼女の未来に、この苦痛が訪れないことを願いつつ、僕は再び万歳を試みた。
無論、左腕は相変わらず浮いたままだが、それでも何かが変わるかもしれないと、ほんの少しだけ希望を抱いている。