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THE HOKUSAI!!

みなさん、知ってました?

2020年2月より、日本国パスポートの基本デザインに北斎「富嶽三十六景」が用いられることになったんですって!

今や日本国内のみならず、海外からもかなりの注目をあつめる北斎。

でも、あの波の絵の浮世絵師だよね、くらいしか私も知らなかったので、北斎をもっと掘り下げたく、あるマガジンを購入したという経緯です。


では、一緒に掘り下げていきましょう。

葛飾北斎伝説

2020年は、北斎の生誕260周年だったそう。

*平均寿命40歳と言われた江戸時代で90歳まで生きた
宝暦10年(1760年)現在の東京都墨田区亀沢の川村家に男児が誕生。名を時太郎と名付けられる。この男児がのちの北斎である。
その後幼くして、幕府の御用鏡師・中島伊勢の養子となる。
時太郎は6歳の頃より暇さえあれば絵を描く子供だった。

*名を30回も変えた
よく知られる「北斎」という名は39歳、独立を果たした際に名乗ったペンネームだった。
時太郎→鉄蔵、春朗、宗理、載斗、為一、卍・・・晩年は「画狂老人卍」と名乗っていた・・・

(キャラ濃いなー)

*90回以上引っ越した
墨田区内、今の両国駅周辺ばかりを93回も引っ越しした。
理由は、家が散らかって片付けるのが面倒だから・・・。

(理由がク◯すぎる・・・)

*好物
好物はスイーツだった。客は北斎宅を訪問する際、大福餅を7〜8個手土産で持っていった。
そばも好き。寝る前に一杯引っ掛けた?
お酒もタバコやらない。でも下戸ではないらしい。

(大福って笑・・・かわいいな。現代のいちご大福教えてあげたい・・・)

作品ジャンル

*浮絵

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遠近法を使い、奥行きを持たせている。


*美人画

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初期の頃

みずみずしさを匂わせ、北斎の中でも代表的なスタイル。口元や目が小さく可憐で儚げな女性たちは現在でも大人気

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酒に酔った芸妓がしどけなく三味線箱に身を預ける。大人の妖艶さ、可憐さをましてゆく


*役者絵

*風景画

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言わずもがな、ですね。

*妖怪画

*春画

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「春」の「画」とは、なんとメルヘンな・・・と思っていたら、江戸時代のエロ本的な官能的、そしてダイレクトに行為をしている絵を「春画」というらしい!

北斎の春画と認められているものはわずか5点しかないそうだ。

北斎は、タコと海人とをカップリングさせたり、余白に過剰なまでにオノマトペ(擬音語)を盛り込んだり・・・

(く、くせが強い・・・)

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こんな情報も載っていた笑


*ベロ藍を使用した絵
ベロ藍とは、18世紀初頭にプロシア(ドイツ)のベルリンで開発された青い塗料。その鮮やかで透明感のある青は浮世絵師に大歓迎され、北斎も好んで使っていた。

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うちわに最適な青ですね

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青が鮮やかです

*北斎マンガ

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人物のポーズや表情、動植物や幽霊、妖怪など、この世のどこにもないものまでも含めて、どのように描くかを指南した本。全15編で4000弱にも及ぶ図を収録した膨大なもので、鎖国時代にもかかわらず、ヨーロッパでも紹介されるほどだった。

父の画才を継いだ娘・応為

北斎は二人の妻との間に6人の子どもをもうけた。その中でも北斎の才能を受け継いだのが、三女の葛飾応為である。彼女は絵師との離縁後、一人で暮らす北斎の世話や代筆を行いながら、自らも優れた作品を残した。
また、北斎同様、気が強かったようだ。北斎と異なるのは、タバコと酒をたしなんでいたことだとか。

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「吉原格子先之図」
吉原遊廓のある鼓楼を描いた傑作。光と影、明と暗を描き分けているあたり、西洋絵画を彷彿とさせる。


特に私は、この二人を思い出した。

・自身の工房内の窓からの光が印象的なフェルメール

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・自身の生き方まで、明と暗なカラヴァッジョ

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まとめ

・北斎は気が強く、くせが強く、生命力も、娘も半端なく強い・・・

・ヨレヨレの着物と柿色のはんてんをご愛用の仙人みたいなおじいちゃん

・絵の才能は天下一品・・・すぎる・・・

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