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2022年6月5日午前3時38分

お前の最後の呼吸の話をしようね。
この時間にお前が死んだことは理解しているのだけど、命が尽きる瞬間はイコール呼吸が止まった瞬間ではないように思って、なんだか、なんとも言えないでいるよ。
四月にひさしぶりに三匹連れて動物病院にいって、おじいちゃんはちょっと痩せすぎだけど元気ですね、寝たきりですか?「いえギャルの尻を追いかけてます」ごはんは食べますか?「レトルトフードなどでどうにかこうにか食べてます」素晴らしいですね。心臓病は出てきてるので気をつけて見ててください。とか言ったばかりだった。
それから五月前半の二週間ほど、元気だった。犬用のレトルトパウチのウエットフードを食べていた。カリカリも混ぜていた。食べていた。シニア用は食べないから、アダルト用を食べていた。お前はずっと。女の子達の歯石取りの日もお前の体調を聞かれて、変わりなく元気ですと答えたもの。でも、この間の二週間に、心臓発作じゃないか?みたいな状態で行き倒れていることが三度あった。
でもそこからパタっと五月後半の二週間ほど、お前はほとんどなにも食べていなくて、でももともと少食だから、気が向いたらまた食べ始めるだろうと気にしないでいた。朝起きてリビングに降ろしたら水をガブガブ飲んで、すぐにゲーッと吐き戻すことが何度かあった。一気に飲み過ぎだと思っていた。全部吐いちゃうからまた喉が乾くんだろうなって。けど、月曜日に大好きな散歩にいって、先週は歩けたほんの三分ほどの距離を歩けなくなって、いることを知って、慌てて次の日動物病院へつれていった。
脱水しすぎ、低体温で、先生は普通の顔をしていたけど看護師さんの態度が変わったので、ハッとした。ア〜こりゃ死にかけてんな!とわかったけど、復活すると思って疑っていなかった。飯食ってないし、脱水して体温も下がっちゃっただけで、点滴もしてもらったし、体を温めてたら、また復活して、散歩もいけるし、あと200年くらい生きるよな、と思っていた。
けどマジでかなりの脱水だった。後ろ足は血管出ず、前足も出ず、首から取ろうとしたけどそれでも採血できずだった。足の二回は黙って我慢したけど、首のときはさすがに「痛」って言ってた。点滴刺したときは「てめえ」って言った。車に戻ったら運転席の弟の腕によじ登って、「アウアウアウ」って泣いた。動物病院で痛がるの珍しかった。
でもね実際に、点滴打ってブランケットにくるんで、その日の晩にひさしぶりに少しウエットフードを食べたの。次の日には砕いた犬用ボーロと砕いた犬用のミルクカステラも少しずつ食べた。ウエットフードも嫌がりながら少し食べた。このまま復活すると思った。
水曜日は犬の服を買いにいった。五月になると犬のあったかい服ってどこにもなくって、仕方がないからDAISOでマイクロファイバーのタオルやニットのハギレを買ってきてミシンでシバいた。およそ二年ぶりのミシン。かかった時間の半分以上はロックミシンの糸かけ直してた。三本ロックの糸三本ぜんぶ切れるのはマジでなしだろ。
木曜日は午前二時にベッドでしょんべんを漏らされてわたしとベッドと犬を総洗い・総着替え。「ベッド降りる」「下いく」って言ってんのを、ボケてんな〜と思ってなだめすかそうとしたら、おしっこでした。すまん、これはわたしが悪い。朝は六時ごろにまた「あの〜」って言うからなにかと思ったらおしっこアゲイン。出てから報告すんな。まだ朝早かったけど二度寝の気持ちでもなかったから、また犬の服を作りかけたり、難しくて頓挫したりして過ごす。
十時頃から動物病院にいったら、体温が少し上がって、顔色は良くなってるけどそれでもまだ体温も低いし、流動食を食べさせましょうということになった。これだけで何ヶ月も生きる子もいますから、と先生が、わたしの目を見た。復活は、しないの。もうこの子、お城の周り散歩に、いかないの。でも、まあなんだかんだ、夏くらいまで生きるんじゃないかしら、何ヶ月も保つかもしれないんだし。
点滴につれてって、帰ってきて流動食をやって、学校にいった。動物病院に向かう途中の車内で、犬がやたらと泣いていた。こんなことなかったのにな。バイトの内職が忙しかったから、電車の中でテレワーク。帰りも電車でテレワーク。なにかしていないと途方もなく泣けてくる。帰り道のイオンで泣きながら犬用のBEAMSのTシャツを買う。¥1,980-(税込)、わたしの服より高い。泣きすぎて店員さんに目を逸らされる。泣きながら帰ったら、ちょうどお前は水がなんか飲んでたみたいで、自力で立って歩いていた。わたしが玄関からの扉を開けたら、ちょうど目があってこっちに向かってきた。なんだ、お出迎えしてくれるくらい元気じゃん。
木曜日の晩まではいつも通り普通に部屋で寝る。ブランケットにくるんでいたが、嫌がって普段通り寝たがる。枕元のiPadやパソコンを枕にしたり、わたしの枕をベッドがわりにしたり、ギャルの尻枕を借りたり、ベッドの縁から垂れてみたり。頭を低くしている気がする。

月曜日:散歩にいく。
火曜日:動物病院にいく。低体温。点滴。
水曜日:動物病院休み。少し食べ物食べる。
木曜日:動物病院。点滴。流動食を処方される。

金曜日はバイト。ロングで入ってたけど、ランチタイム中に仕込みを先倒しでやりまくって休憩即帰宅。帰ったら犬は寝ていた。職場が遠いので、片道30分ほどかかる。休憩時間は長めにもぎ取ってきたけど、一時間ほどしかいられない。ブランケットにくるんで抱え、家の周りを少し歩く。天気がいい。わたし天気悪いと関節痛があるの。天気がよくてなにより。流動食も頑張ってて、木曜日・金曜日は一日に1/2缶のペースでちゃんと食べてた。えらい。体温、少し低い。温め続けてるのに。夜はホールだったので髪を巻いてすぐに出る。仕事が終わって帰ったら、また元気そうだった。母親は心配して「もう死ぬところだから」と言ってみんなを集めたけど、寝てる間の方が楽みたいで、逆に呼吸が力強くなってきたので金曜日の晩はそこで解散。2:30。
また今日もわたしの部屋で寝る。朝六時半ころ、起きて気づいたら布団がしんめりしていた。シャーとちびったんじゃなくて、じわじわずっと出ているらしい。起きて着替え、流動食。そこそこ食べた。八時・十時の流動食はオカン。まあまあ食べた。今日は親父が動物病院につれていって、三日位前からある、ベロの裏の潰瘍みたいなのについて聞く。ベロが壊死し始めていたらしい。流動食を取れなくなったら、日曜日はお家で看てあげてください。
土曜日もロングだけど休憩時間は一度家に帰る。朝は服を着せて出たが、昼に帰ったら裸にブランケットだった。苦しいらしいから、と親父が言う。枕代わりにわたしのポケモンTシャツが使われていたので回収。新しい布を充てがう。夜は店長のご厚意でパートのおばちゃんを一人呼んでくれて、わたしと妹を早めの時間に帰してくれた。土曜日の晩に。死ぬほど忙しい時間帯だったが、逃げるように帰った。家に着いたのは八時前頃。
さっきまで苦しくてバタバタしてたけど、いま少し落ち着いたところ。と親父が言った途端にまた両手両足でキックキックして苦しがる。だっこしているのが一番楽みたい。ブランケットで巻いて、膝の上へ垂らしておく。人間の晩ごはんはペヤングの超特大きつねうどん。関東風の味付けで辛い。五人前サイズなのに、揚げが六枚入っていた。これが関東のやり方か?
晩ごはんの後は、しばらく夜キチンと眠れていないのもあって眠く、リビングで寝転がって腹の上に犬を乗せて過ごす。起きているときより寝てるときの方が体が楽そう。特に頭は低くしているのが楽らしい。犬の肩・胸のあたりがわたしの胸に乗るようにして、犬の口元がわたしの鎖骨あたりにくるようにして寝かせる。何度かキックキックはする。圧がかからない程度に撫でる。襟の周りがおじさんのよだれまみれになる。腹は染み出したおしっこでびしゃびしゃだがまあいい。午前一時半頃母親が外出から帰ってくるまでそうして、オカンが帰ってきて一度おくるみを解いたら、下痢便が少し出てた。わたしは一度軽く首から下だけシャワーを浴びて、服を着替えて、わたし肌弱い方だから、悪いけど寝てる間だけおむつさせて、と謝っておむつの袋を開けたらマナーウェア。おむつじゃないじゃん。買い出し担当、弟。仕方がないので、ブランケットの内側にペットシーツをかまして、おくるみにして寝る。
部屋に戻って、また腹の上に乗せて寝かせる。呼吸音はパワーのない「カスッ、カスッ」という音。規則的に聞こえる呼吸音に耳を澄ませながら微睡む。ときどき左右を返す。
ふと気づいたら呼吸音が弱くなってきていて、手を翳しても呼気が感じられない。苦しいのかなと左右を返す。胸を下にしたうつ伏せっぽい体勢が少し楽なようだったから。顔をわたしの左肩の方に向けた。呼吸音を探している間に、呼吸が止まる。心臓は動いている。わたしの指先の拍動だったかもしれない。焦ってまた左右を返す。顔を右に向けて、胸に指先を当てたら、もう動いていなかった。
跳ね起きて両親の部屋の扉を叩いた。叩いたけど、もう心臓が止まっていると、思ったから、「抱いてあげて、いま呼吸が…」と絞り出して、母親に渡した。父親が飛び起きてきて、わたしは妹を起こした。弟は部屋の扉を一応叩いたけど、朝が早い仕事なので無理には起こさなかった。
「えらかったなあ、えらかったなあ」
犬はまだ、ホカホカにあたたかくて、柔らかかった。目が少しだけ開いている。母親が犬を撫でているのを、見て慌てて部屋に戻って時間を見た。iPhoneのロック画面、3:38、6月5日。
それからわたしと母親と父親、妹、四人でリビングに降りて、ついでにギャル達も降りてきて、体が柔らかくて温かいうちにみんなでだっこして、おむつを外した。便もまた少し出ていた。けど少し。綺麗な姿だった。顔つきも安らかだし、機嫌も良さそうだった。いい顔だね、と誉めていたら、輪に加わっていたモモ子が嬉しそうにしっぽを振っていた。ウメ子は不思議そうにおじさんの匂いを嗅いだり、周りを忙しく歩き回ったりしていた。
小さめの段ボールに、ペットシーツ、保冷剤、ペットシーツ、ブランケット、新品のマットを敷いて、おじさんを寝かせて、白いハンカチを掛けた。目が少し開いていて、口も少し開いていて、でも顔つきは安らかで、寝顔もこんな感じの犬だった。日曜日もバイトだから、もう寝ようと思って前足に触れたら、冷やしているからか、もう固くなり始めていた。泣いていたら結局五時か六時ごろまで眠れなかった。
日曜日は十時からだったので、なんだかんだ8:30頃まで少し寝る。一緒に焼く用に、犬が好きだったおやつとそうでなかったおやつを選り分けておく。時間になったので、少し犬に声をかけて出る。
隣市に、格安でペットの犬をきちんと焼いてくれる施設があるんだけど、日曜日だからか、よく知らないけど締めるのが早くて、今日は弟が半休で昼までの日だったから、弟が揃ってからの時間にしようということでネットでペット葬儀を探して、結局ばーちゃんの知り合いのペットの葬儀をしたとかいう、近所の葬儀屋のツレみたいな人のとこで焼いた。ちょうどたまたまバイトの休憩と重なる時間にお焼香と、火葬と、お骨上げまでできて、ここでもやっぱりお前は天才的に優しい犬だった。死ぬときも母親が出先から帰ってくるのをきちんと待って顔を見せてやり、焼く前にもまたわたしに顔を見せてくれた。
賢い犬だね、16歳、チワワにしては、大往生なんじゃない?お前の兄弟はもうみんな先に死んだよ。先週までわずかながらもカリカリを食べて、月曜日には散歩までした。そうしてみんなが覚悟をする時間をくれて、できることをみんなやってあげられるくらいの猶予もくれて、そうしてみんなに顔を見せてやってから、死んだんだもの。偉いね。焼く間際もいい顔をしていた。初夏の頃くらいに、暑い日の昼間に、だらんとフローリングに伸びて心地よさそうにしているみたいな、いい顔だった。母親に卵焼きを焼いてもらって、これも犬と一緒に焼いてもらった。

べえ、お前えらかったね。えらかった、えらかったよ。ほなな、またおいで。何度も言おうとしたけど、喉につかえて言えなかった。ほなな、また来いよ、盆にでも、正月にでも、それか今度親父がホウモンハタかなんか釣った日にでも、あるいは蝶々でも、子猫でも、ヤモリかトカゲになってでも、またおいで。焼き上がった骨は粉々だった。よく頑張ったね、えらかったね。ほなな、またおいでよ。

ターザンでさ、ゴリラが言うじゃん、「ゴリラ、死ぬ、怖くない。ゴリラ、死ぬとき、眠る。ゴリラ、死ぬ、怖くない」って。お前も怖くなかったのかな、苦しくなかったかな。べえがわたしたちを悲しませようとして死んだわけじゃないのを知っているから、できるだけ笑顔で送ってやろうと、思ってはいたんだけど、やっぱり口角は上がらなかった。上げようとしたけど、号泣しながらでは無理だった。またおいで、お前は、抱っこされるのが好きだったから、抱っこしてやろうね。女の子達を飼い始めるまでは、お前はずっと誰かしらに一日中抱っこされていたい子だったもんね。仕事や学校で不在が多い家だったから、留守を守って寂しかったんだろうね。またおいで、夢にでも、出ておいで。抱っこして、お前の冷たい肉球を手のひらで握りたい。

中学生のとき、一時期だけど、学校も家もしんどくて、どうしても弁当が食べられなかった。それでも母親は毎日卵焼きを焼いてくれてたから、卵焼きだけは捨てるに忍びなくて、いつもお前に食べてもらってたの。嬉しそうに食べてたね。小さくて辛くて寒い前の家で、わたしとお前だけがいた時間に。
ごめん、なんかやっぱお前がおらんと夜はあんまり寝れんくて、泣けてくる。この先わたしの人生に、お前がもう二度と登場しないこと、もう永劫によだれも垂らさない、おしっこも撒けない、食べこぼしもしない、好き嫌いもしない、好きなおやつも、食べることはないこと、夜中に寝苦しいとか布団に入れろとか言って起こされることももうないこと、どうしても寂しくて、家に帰ってもお前は出迎えてくれないし、ウッドデッキで日向ぼっこもしてないし、どのベッドを探してももういないの。寂しいよ。
寂しいよ、またおいで。寂しい。

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