夢を見ることは残酷か
ベビはみかん。ときどり。のタイトル発表されたときに思ったんやけど、あまりにもめせもあ。の後を追いすぎてる気がするんだよな。いやそもそも第一回のオーディションは「めせもあ。ベイビーズオーディション」やったからそこに応募した子たちはみんなめせもあ。がきっかけで入ってるはずやし、それが悪いって言ってるんではなくて、どこに向かっていくどういうアイドルになりたいかという像が彼らには事実存在しやんのじゃないかと思う。
ベビのオタクじゃない人間がこんなこと言うてごめんな、ただ情報だけで客観した時の話です。めせもあ。は(いろいろざっくり割愛すると)モーニング娘。みたいなアイドルになりたくてかき集めて走り出したグループで、けどその目標のモーニング娘。はそもそも結成の段階からつんく♂とナイナイの名前と手で集められ、フルイにかけられ、選び出された精鋭たちで、一期生はものすごく地道に頑張った人やけど、それでもナイナイが番組で引っ張ってくれて、つんくが音楽を作ってくれた。
けどむすめん。には傘も後ろ盾もなくて、名前それだけに話題性もなくて、そもそもがカバーダンスユニットで、組成も過程もまるでモーニング娘。ではないし、(想定する)目標のモーニング娘。に向かって走り出しても、そもそも性別もフィールドも違う。だからこそ、むすめん。とめせもあ。はそれまでにかつてない「ニコニコ動画出身アイドル」としてのポジションと活躍の場を新たに創成する必要があった。だからむすめん。、めせもあ。は、前人未到の道を掻き分けて切り出して掘り起こして、十人が自らの足で踏み均してそこをステージにしてきた。
モーニング娘。は?モーニング娘。は、ある程度知名度や人気が軌道に乗れば、つんくが想定した通りメジャーの線路に乗れた。その線路に一度乗れたら、後はいまのモーニング娘。があるように、細く頼りなくなったとしても、特急列車が各駅停車から機関車に、トロッコになったとしても、まだ走り続けられている(各駅停車も機関車もトロッコもすべて素晴らしい乗り物である)。いまのモーニング娘。が走っている線路は、つんくが引いたわけでもナイナイが手伝ったわけでも、一期生が敷いておいてくれたわけでもない。いま2020年のモーニング娘。が彼女たちの手で作っているものである。しかし彼女たちには、線路を敷くだけのノウハウと資材があって、しかもそこは線路を引くべきフィールドで、上に車両を走らせるだけのパワーも持っている。
めせもあ。は線路を引くための土地ではないところを走ろうとしている(不相応だとか無理だとかではない)。水が引けなくて米が育たないのならば麦を、山の斜面で野菜が育たなければ果物を、さつまいもが育たなければビートを育てれば良いのであって、そこで飢え死にするべきだと言っているわけではない。線路が引けなくても幹線道路が作れないわけではない。幹線道路が無理でも舗装することはできる。あるいは無舗装の山道をジープで走ってもいいし、ひょっとしてそこが湖や海ならば線路を引くより船を拵えるのが正しい。
めせもあ。はそこを自らの手で模索している。モーニング娘。はいまも続いていて彼女たちの力で走り続けているけれど、それにしてもめせもあ。はあまりにも道の途中である。めせもあ。は彼らのやり方で彼らの道を模索している。彼ら自身で彼らの道を切り開いている。*ChocoLate Bomb!は自分もめせもあ。みたいにアイドルがやりたいとえ〜すけが立ち上げたグループやけど、また少し違うやり方で彼らの道を自ら切り開いている。むすめん。とめせもあ。が立ってきたステージにも立つけれど、アクセスが違えば目的も成果も違う。
パンダドラゴンもようやく少しずつ彼らの特色が出てきたように思う。本題じゃないからもう具体的には省略するけど、バーターじゃなくても仕事が得られるようになるのも近いんじゃないだろうか。わたしアイドルの仕事やマネジメントに関しては知らないけど、彼らは自分にできることを生かして、自分たちの道を自分たちで作ることを(めせもあ。に手取り足取り教えてもらって)理解し始めた。
つまり、めせもあ。とちょこぼとパラゴンは、それぞれ自分たちの力で自分たちの「〇〇なアイドルになりたい」「〇〇できるアイドルに」「〇〇をするアイドルに」という像を持って、そこに向かってそれぞれ自分の道を切り開き始めている。ここでこの三グループの三つの目標は三つ、肩を並べることになる。(コズミックのことはメンバーの顔と名前くらいしかわかんないのでまた勉強させていただいてから考えたい。)
DDベイビーズは、いったいどこに向かうアイドルなんだろうか。めせもあ。さんが好きなんです、めせもあ。さんみたいになりたいんです、であればめせもあ。が踏み固めてきた後を追って歩き続けることはできると思う。けどそれはすでにある程度以上整えられた道を辿っただけであって、「道を切り開くアイドル」としてのめせもあ。にはなれない。めせもあ。のやってきたことを真似するのが目標だろうか。それとも道を切り開くのが目標なのだろうか。
DDベイビーズって、ジャニーズでいえばJr.やし、ハロプロであれば研修生じゃないですか。芽が出なければ、成果が出なければ、いつまでもそこにこびりついていられるポジションじゃない。一般的にはまだまだな知名度のめせもあ。って駆け出しアイドルに背負われた、ただでさえ名前にパワーがない株式会社DDという事務所の、さらに研修生というポジションは、夢追い人にしても少し心許なさすぎる。モラトリアムならいいのかもしれない、若い子たちならそこで何年か過ごしても、後には人生経験の一つとしていい感じにまとめられるのかもしれない。けど本当になりたいアイドル像があるのなら、マジで本気でそれに向かって走っていくつもりなら、めせもあ。の後を追いかけるだけで良いのだろうか。
朔太郎さんがDDベイビーズを脱退、事務所を退所なさったときに散々思った。DDベイビーズという曖昧なポジションで何年も過ごさせるということは、大切な若い時間をじわじわ食い潰して、彼らの人生を取り返しのつかないものにしてしまうんじゃないかと。こんなことやめなさいと言ってるわけじゃない。DDに早くデビューさせろやと言ってるわけでもない。所属事務所が新グルを作らないのはまだグループ結成に必要な人員もスキルも育ってないから作らないのだと思う。その判断が間違っているはずはない。てかそもそもアイドル増やならその前にしなきゃいけないこともあるし…。
だとしたら、DDベイビーズはどこにいくのだろう。DDベイビーズはDDベイビーズという名のポジションにいる限り、どうしてもめせもあ。の後を追っていくしかない。でもそのポジションはいつまでもしがみついていられる位置じゃない。期間を定めて走る子たちもいるだろうけど、だとしても可能性も確実性もなさすぎる。この人たちを応援することは、この人たちの未来をじわじわと壊すことにならないかと、ただ見ているだけの人間のくせにときどき不安になる。このアイドル未満の人たちを、応援しなきゃいけないし、応援してもいけないような、妙な気持ちになるときがある。
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